団結ひろば 投稿コーナー
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5・16-18沖縄闘争に参加して 辺野古のビラ配りで銃声が 群馬合同労組 massa
組合活動歴が浅く、一般人寄りの自分にとって、今回の沖縄訪問は非常に刺激的で印象深いものとなった。
特に辺野古でビラ配りをした際は、すぐ近くで銃声が聞こえたこともあり、地方でありながら外交や基地問題の最前線に立っているかのような錯覚に陥り、生涯忘れられない経験をすることができた。
その一方で、国際通りのデモの盛り上がりをよそに、「道州制」ってなに? 何で今沖縄で訴える必要があるの?などという素人丸出しの疑問を持っていたりもした。
いずれにせよ、沖縄という地に初めて降り立ったおかげで、久しぶりに「戦争」や「アメリカ」という敵の存在を思い知ることができたような気がする。
5・16-18沖縄闘争に参加して 戦争と切実に向かい合う 神奈川・鉄鋼業 甲矢
沖縄へは高校の就学旅行で行ったことはあったが、今回のような内容で行くのは初めてだ。
国際通りでのデモ行進では、時間帯が夕方だったからか、数多くの人びとからすさまじいほどの注目を浴び緊張したが、われわれが訴えかけている言葉を立ち止まって真摯(しんし)に聞いてくれる者、ビラを受け取り、歩きながらでも読んでくれる者、手を振り声援をしてくれる者など圧倒的な手応えを感じた。
デモをやり抜いた達成感に浸っていたのも束の間、直後なんと学生が逮捕され、東京に連れ戻されるという権力の許しがたいことが行われ、怒りに身が震えた。
それから、沖縄県民大会で「道州制・民営化反対」の署名活動、ビラを配っていると、大会主催者が「道州制反対なんて関係のないビラをまくな!」などとものすごい剣幕で言ってきて、最初はビビったが、なぜか逆に俄然(がぜん)やる気が出て、最後までやり抜こうという気持ちになりました。
特に印象深かったのが戦時中、病院施設として掘られた壕(ごう)の中の暗く、狭く、息苦しい感じです。ひめゆり資料館では戦争当時に使われた教科書や医療器具が展示されているのを見たり、かつて陸軍病院で働いていた人の日記を読んでいると、悲しみ、憤りとさまざまな感情が入り混じった何とも言葉にできない感じになりました。この時、見学に来ていた学生たちとひめゆり学徒が重なって見えて、不思議な気持ちになりました。
3日間と短い間の行動でしたが、さまざまなことを肌で感じ、考えさせられ、そして「われわれは戦争を客観的に見るのではなく、われわれは戦争と切実に向かい合うのだ」と、この沖縄闘争で学びました。
5・16-18沖縄闘争に参加して 世界で一番あつい5月! 東京西部 的場昌人
沖縄をともに闘争した皆さん、その後はいかがお過ごしでしょうか?
闘争としては初参加、旅行としては16年ぶりの沖縄は、かけがえのない3日間となりました。
まず初日の野戦病院(沖縄陸軍病院南風原〈はえばる〉壕群)は、真っ暗で多湿で、飢餓と不衛生とまさに絵に描いたような地獄の世界。
次のひめゆり資料館も、当時の手紙や顔と名前がまるで卒業アルバムのように、リアルに並んでいて、現実を重くつきつけられた。その最後に、すべての戦争は権力と差別と偏見による排外的イデオロギーが産み出すとの記述があった。恐らくは左翼でも何でもない人の書いたもの。、そこにわれわれの正しさを感じた。
夕方のデモでは地元の反応が温かい印象で、「やはり帝国主義による被害の最前線だった証拠なのでは?」と感じた。
2日目の県民大会では体制内指導部や革マルの悪質さを生で実感し、また3日目の富田晋さんの話でも体制内指導部は悪質だという認識を持った。
悲劇はもうたくさんだ。道州制も裁判員制度も粉砕し、歴史の新たなページを文字どおり平和一色にすべく、世界同時革命にて一刻も早く世界地図をマルクス主義で統一させるべき、権力の廃絶こそが核廃絶の最短ルート、それが結論です。
まあ後は、この間新たに知り合った仲間も全国的に増えたのも前進!!ってとこかな。
区主催の拉致被害者家族支援集会を弾劾 東京・杉並 S
6月2日夕、荻窪駅北口で杉並区主催の「北朝鮮拉致被害者家族の支援の輪を広げよう区民のつどい」に反対する直撃街頭宣伝を行った。
山田区長は今年度の区の事業として「共感の輪を広げる」と称して、北朝鮮拉致被害者家族の支援運動を1年間行うとし、この日、杉並公会堂に横田夫妻を始め拉致被害者家族や中山恭子首相補佐官を招いて講演会を催したのだ。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への排外主義と敵対意識をあおりたて、朝鮮侵略戦争への突入を自治体から後押しする戦争・改憲攻撃だ。絶対許さない!
婦人民主クラブ全国協を始め、北島邦彦杉並区議、東京西部ユニオン、労組交流センターなど十数人が会場に向かう人びとに対し、マイクでビラで訴えた。
「家族会の求める制裁は戦争だ。山田区長は、つくる会教科書採択を始め、杉並の教職員や区民の戦争動員を進めてきた。戦争を止めるのは労働者の戦争協力拒否の闘いだ。労働者の国際連帯をつくることが拉致問題の解決。労働者の団結で社会を変えよう」
ブルーリボンバッジをつけた人が、ビラを受け取っていく。突っかかってきたのは1人だけ。
同時に法政大学での学生弾圧に抗議し、即時釈放を求める緊急全国声明の賛同署名運動にも取り組んだ。5月18日以来、荻窪駅ではこの問題で4回目の街頭宣伝。この間、法大の卒業生や法大生が署名してくれた。この日も看板を見て「まだ出てこないの? ひどいわね」と声をかけてきた人が2人もいた。法大生の闘いは、老若男女の心に響いている。
街頭には怒りが充満している。この怒りをひとつにして、6・14−15闘争に攻めのぼろう!
◎党学校を受講して
党学校を受講して 1年間の格闘の後に飛躍した自分がいる 東京 津久田渓
「地区の革命」の真っただ中で第1回の「7月テーゼ」を学んだ。突きつけられたのは、労働者階級が革命の主体と言いながら、現実の労働者階級への不信と絶望がなかったのか、ということだった。「7月テーゼ」の核心である「労働者階級の特殊的な階級的解放が同時に全人間の普遍的な解放である」こと、労働者階級は階級社会を打ち倒す存在であり、労働者階級にはこの世界を革命する力があるということをつかみ直すことができたのが大きかった。
『賃労働と資本』の結論は、階級的団結論である。階級的団結論は資本主義と最も鋭く対立する。資本と労働者の関係は、非和解的である。資本の分断と競争、団結の解体と否定と正面から力で対峙できる階級的団結をつくり上げる闘いを動労千葉はやってきた。労働組合とは、資本と闘うための組織であり、武器であることをはっきりさせることだ。
リーマン・ショックで世界大恐慌が本格的に始まり、新自由主義は破綻し、資本主義はついに終わりの時を迎えた。労働者を食わせることができなくなった資本主義は、命脈が尽きて、社会の発展にとって桎梏(しっこく)になった。おれたち労働者が代わってやるという気概を持つことだ。
最後のテーマは『国家と革命』。「労働者の解放は労働者自身の事業でなければならない」というレーニンの認識と確信。レーニンはプロレタリア革命をめざし、労働者階級の組織化を主要な任務とし、労働運動を階級的労働運動として発展させようとした。
いま革共同は、スターリン主義によるマルクス主義の歪曲を半世紀にわたる苦闘をとおして打ち破り、今日、動労千葉に代表される闘う労働組合の階級的実践と固く深く結合して、21世紀の革命に向かって断固とした挑戦を開始している。日本階級闘争こそ紛れもなく、世界革命への突破口を押し開く国際階級闘争の最先端である。日本の労働者階級が全世界の先頭に立って階級的団結をつくり上げ、資本主義打倒の突撃路を開く闘いをやりぬこう。
党学校で学んだ1年間、七転八倒、格闘の日々だったが、1年前と比べて飛躍した自分がいる。党学校は「階級的労働運動路線についての確信を深め、革命の組織者、宣伝・扇動者として飛躍するための闘いの場」になった。
党学校を受講して 党学校はとても刺激的な学びの場だった 東京 渡部洋二郎
第9期党学校は「7月テーゼ」についての提起から始まった。これは決定的な内容だった。マルクス主義・レーニン主義を今日学習するということはどういうことなのかが、非常に分かりやすく突きつけられた。
「7月テーゼは血債主義・糾弾主義を克服し、プロレタリア自己解放の思想としての本来のマルクス主義・レーニン主義の再生、再確立を提起した。それは、21世紀の革命を実際にやりぬくための現代的再生・再確立であり、具体的には動労千葉労働運動と11月労働者集会が切り開いてきた地平、さらに07年3月以来の青年労働者の闘いの発展の上に、まさに『生きたマルクス主義』としてつかみとられてきたもの」だという核心的提起がなされた。
このような「7月テーゼ」論の提起が私を1年間ともかく講義を一度も欠席することなく学びきらせる大きな原動力となったとつくづく思う。さらに、「再生・再確立」の作業が「現在進行形の、きわめて創造的な闘い」なんだという提起も、私の学習意欲をかきたててくれた。
実際にすべての講義が例外なく、とことん階級的労働運動路線の実践の立場に立ちきった、実に刺激的で意欲的な提起としてなされ、毎回深い感動を覚えた。
とりわけ印象深いのはレーニン『帝国主義論』の講義。私にとっては衝撃的であった。
つまり、「レーニン『帝国主義論』を単に〈戦争の不可避性を確認する〉だけではしょうがない。資本主義の終わりであり、労働者階級による世界革命の時代なんだとはっきりさせ、訴えていくことが重要。〈大恐慌をプロレタリア世界革命へ〉なのだ。レーニンの提起の核心はここにあるし、戦争の問題もこの立場からはっきりさせていく。〈恐慌↓ブロック化↓世界戦争〉を平板にとらえると、ブルジョア思想(『エコノミスト』でも言っているレベル)になってしまう」との提起に、ちょっと頭の中が真っ白になってしまった。
毎回終了後にレポートを書いたが、いつも最後まで居残って書いた。ここは最も時間がかかった。しかし、それだけ学ぶところ大であった。
急がしさにかまけて原典そのものを自分で読みこなしていないのが悔しい。1年間で学習が終わったわけではない。実践しつつ学び、学びつつ実践する精神で、気持ちが熱いうちに再学習し、あらためて党学校にチャレンジしたい。