2009年5月11日

団結ひろば投稿コーナー

週刊『前進』06頁(2390号6面1)(2009/05/11)

団結ひろば投稿コーナー

 「茨城・星野さんを取り戻す会」を結成 茨城県労組交流センター 岩澤仁志

 4月18日、水戸市で「茨城・星野文昭さんを取り戻す会」の結成集会を行いました。1月の千葉県に続き、全国で20番目の結成です。
 杉並の狩野満男さんと中央事務局の金山克巳さんの提起は、34年間不屈に闘う星野さんとの固い絆(きずな)を感じさせました。熱を込めた訴えは、参加者の確信を強め、茨城での会結成の意義が鮮明になりました。
 参加者がさまざまな意見・感想を述べました。「今年、なぜ立ち上げるのか、星野闘争が今の問題だからだ。70年のような闘いをやらせないという攻撃に対して、われわれが大恐慌情勢に革命をやる、ということをはっきりさせる闘いだ」「『かわいそうな人』ではなく、同じ時代を一緒に闘っている星野さんをとりもどそう、という訴えが大切」「昔、杉並で星野さん救援をやっていたので、本日の会結成はとてもうれしい」「こんなきれいな絵を描いていることを初めて知った」「われわれ自身が今の体制と必死で闘うことが核心だと思う」。討論の時間が足りなくなるほどでした。
 最後に、会則を全体で承認し、今後の行動方針について討論しました。星野さんに手紙を出そう、できるだけ早い時期に徳島刑務所での面会を実現しようと確認。会員拡大に特に力を入れ、職場、地域に働きかけよう、きょう参加した全員が活動家になろうと提起され、確認されました。
 私が最初に逮捕された25年前の三里塚のデモで、取り調べの公安刑事から「お前は星野みたいになってもいいのか」と言われたのですが、この間法政大で大量逮捕された学生諸君もやはり「お前は星野みたいになってもいいのか」と言われているとのこと。星野さんの完全黙秘・非転向の闘いは権力と非和解で闘う原則だとあらためて思った次第です。
 会場の壁一面に貼(は)られた星野カレンダーの絵、その前での記念撮影、そして交流会と、大いに盛り上がりました。

 狭山現地調査で権力犯罪に怒り沸き立つ 法政大学 中島宏明

 4月12日、部落解放東日本共闘会議が呼びかけた狭山現地調査に取り組みました。無実の石川一雄さんと連帯して狭山闘争の勝利をもぎりとるための闘いです。
 昨年5月の現地調査の直後から、獄中闘争を経て1年ぶりに現地を訪れて、まず驚いたのは駅前の変わりようです。駅前再開発で、「すずや」(デッチあげストーリーで石川さんが牛乳を買ったとされる店です)などの駅前の商店も取り壊され、石川さんが実際に雨宿りしていた荷小屋跡もフェンスで囲われています。
 石川さんが事件当日歩いた真実のコースと、デッチあげ「犯行」ストーリーのコースをそれぞれ歩き、寺尾確定判決の「事実認定」なるものが、いかにデタラメで差別にまみれたものかを検証しました。
 石川さんと被害者の中田善枝さんが連れだって歩いたとされる道の脇の畑で農作業をしていた人や、「殺害現場」のすぐ近くで作業していた小名木さんの「見ていない」という証言を無視してストーリーをデッチあげる国家権力は、本当に許せません。
 午後は、警察が真犯人を取り逃がした現場である佐野屋や、石田養豚場のある堀兼を訪れました。歩くには遠い距離ですが、この「距離」にもまた、デッチあげ性が示されています。  
 現地調査を重ねるごとに、権力犯罪への怒りが沸き立ちます。46年にわたって狭山差別裁判を強行・継続してきた国家権力は、今、第3次再審請求の棄却をねらっています。 
 国家権力に対する差別徹底糾弾を貫き、権力打倒に燃える石川さんの怒りは、私たちの怒りでもあります。警察・検察・裁判所が一体となった階級分断=団結破壊の部落差別攻撃を許さず、階級的共同闘争の発展で再審棄却策動をうち砕きましょう。
 解放共闘の呼びかける5・23狭山集会を成功させましょう!

 漁船沈没・行方不明は平戸市当局の責任だ S市 Y・A

 4月14日午前8時過ぎ、平戸市生月町館浦漁港の旋網(まきあみ)漁船「第11大栄丸」が大波を受け転覆・沈没し、12人の乗組員が行方不明となった。報道は風速20㍍、波の高さ2〜3㍍だったという。現地の漁民の話では、これくらいの天候では出漁するのは当たり前だったということだ。つまり荒天下での出漁はそれほど恒常化していたというわけだ。
 かつては隆盛を極めた当地の旋網漁業も、漁獲量の激減により今では数えるほどの業者しかいなくなっている。こうした状況の中で無理な出漁が恒常化してしまっていたのである。救助された漁民の中にも「精神症状」を生起している人もいる。これは単なる「労働災害」などではない。明らかに平戸市の「業務上過失致死傷」である。否、殺人・殺人未遂にも当たるのではないか。
 当地の漁業者はほとんどが当地出身県知事・金子原二郎の息がかかっている。資本は漁業労働者に対しても命を奪う無理な出漁を強いているのだ。満腔(まんこう)の怒りをもってかかる所業を糾弾・弾劾するものである。

 30年代米労働者描く『ビッグ・ストライキ』 動労千葉を支援する会 広沢こう志

 国際労働運動研究会から『THE BIG STRIKE』(ビッグ・ストライキ)というパンフレットが出された。港湾労働者をはじめとするサンフランシスコの労働者が1934年のゼネストをかちとる過程、資本・権力との激しい攻防、そしてその後を、ダイナミックな筆致で記録したマイク・クインの原著を、読みやすく躍動感あふれる日本語で抄訳したものだ。著者が徹底的にランク・アンド・ファイル(現場組合員)にこだわっている点に特徴がある。
 ジャック・ヘイマン氏をはじめとするILWU(国際港湾倉庫労組)の仲間たちは、今もこのゼネストを誇りを持って語り、その指導者であるハリー・ブリッジスの名を何度も口にする。このパンフレットを読んで、その気持ちに近づくことができたような気がする。何よりも、ヘイマン氏たちが動労千葉の闘いに触れて、瞬時に「同じものを感じた」わけがわかった。序文とあとがきにハリー・ブリッジスが言葉を寄せている。
 「彼らランク・アンド・ファイルは、自らが教えを請うた経済学者や法律家、財務顧問、それに組合幹部さえも、尊敬に値する真に有能な助言者であったとしても、自分たち労働者の団結した力に勝る存在であるとは考えなかった。ランク・アンド・ファイルの力は、あるがままの姿で現われるのであって、何にも替え難い貴重なものである。この原理は永遠に不滅である。このことを、クインは労働者階級の指導者を志すすべての者に伝えたかったのだ」
 この「永遠不滅の原理」が時空を超えて動労千葉の中に受け継がれ、そして全世界の労働者の中に生き続けている。
 1930年代の比ではない世界大恐慌に突入している今、サンフランシスコの誇り高き労働者の思いと闘いのすべてを、われわれの闘いの中で何倍にもし、「労働者階級の究極の勝利」をついにかちとる時だ。
 動労千葉はこの7月、ゼネスト75周年を記念して行われる国際労働者会議に招かれ、サンフランシスコの地を訪れる。
(200円。前進社でも扱います——編集局)