2009年3月23日

団結ひろば 投稿コーナー

週刊『前進』06頁(2384号6面1)(2009/03/23)

団結ひろば 投稿コーナー

 第1章 千曲ユニオン青年部先頭に春闘一日行動 長野労組交流センター M・K

 2月22日、長野市で長野労組交流センターや千曲ユニオンを中心とした「09春闘勝利! 生きさせろ!ゼネストへ ワーカーズアクションinNAGANO」を一日行動として闘いとった。長野県で唯一の労働者の団結と革命を呼びかけるデモを市中心地から長野駅前まで貫徹した。両手を突き上げてジャンプする女子高生たち、「YES!YES!」と笑顔で叫ぶ青年たちなど、注目度は抜群。
 デモの高揚を引き継ぎ、駅前でデモ参加者がマイクを次々と握ってリレートーク。「自分の大きい声にびっくりした。怒りが大きいからなんだと自覚した」と感想をもらす青年も。
 デモに先立つ集会は、圧巻だった。その最大の場面は主催者を代表した千曲ユニオン青年部のアピールだった。「26種の職業を渡り歩き、千曲ユニオンと出会って初めて人間扱いされました。動労千葉労働学校でマルクス主義に触れ、10年間属した新興宗教と決別しました。団結と革命に生きよう!」という発言は、肉体労働で鍛えた彼の両手で全参加者の魂をつかんで「革命に人生をかけようぜ!」と揺さぶるものだった。
 島崎光晴氏の講演も大好評! 500万人ゼネストをやったフランスではなく、動労千葉労働運動が存在する日本から世界革命が始まる、という提起には全参加者が納得。
 夕方の交流会も含め、年末年始から積み重ねてきた街頭宣伝で深めた団結を決定的に打ち固めた歴史的な一日行動になった。   

 第2章 ハローワークの前で青年労働者と討論 高崎 高梨京子

 春闘集会への街頭宣伝に立ち、若者と討論になりました。
 地域のハローワークには自転車が何列にも重なり、入りきれないくらいに人がビッシリ。声をかけて春闘集会のビラをまいている私に、中から出て来た若い女性が会釈。彼女は日研総業から派遣切りにあい、県内で仕事を探して転々としているという。「今、彼と住んでいるレオパレスに、彼の友だちも転がり込んできているが、仕事が見つからず、このままだと家賃が払えずにみんな追い出される。デモでもしようかという話も出てきたけど、やっても何も変わらないし……」と話しかけてきた。「話をしたくても話せる人がいない。でもおばちゃんと話ができて気分が軽くなった。できたら集会に行きます」と言ってくれました。
 その後も、ビラを渡すたびに討論になりました。一人の若い男性は最初、「派遣切りって言っても法律で決まっているんだからしょうがない。自分も派遣会社にいた。イヤならやめればいい!」と突っかかるように言ってきた。でも世界でストライキが起こっていること、労働者には力があることを情熱的に話すと、彼の表情がだんだん柔らかくなり、やっと「おれが政治家になるってこと?」になりました。まったく知らない人でも、会って話せば労働者として人間として団結できるんだなと感じました。
 上州の空っ風の中で何人もの労働者と3時間も立ち話を続けて、すっかり体が冷えたけれど、胸は熱くなりました。また続けたいと思います。

 第3章 大阪西郡でスクラム固く機動隊と肉弾戦 首都圏学生 S

 西郡での闘いは国家権力に対する怒りの連続でした。「噴水のタイル工事の調査」と称し、森本さんの住宅前に張り巡らされたフェンス。そしてその工事をさせられる同じムラの仲間。八尾市住宅管理課が発した「ここは八尾市が管理する物件ですので、直ちに退去してください」なる「警告」。問答無用の機動隊突入・住宅追い出し……。私は敵の一挙手一投足に心の底から怒りました!
 強制執行前日、私は法大文化連盟と全学連の名が連記された檄布(げきふ)を森本さんにしっかりと手渡しました。「これがあれば何があっても大丈夫や」——そう語ったときの森本さんの表情、そして強く握り返された握手の感触! 法大文化連盟と全学連、そして私は紛れもなく森本さんと同志になったのです!
 それだからこそ私は強制執行に怒りを倍化させて立ち向かったのです。
 私が当日いたのは機動隊と直接肉弾戦になった裏口です。八尾市住宅管理課、執行官と補助者、機動隊を合わせると、裏口を守るわれわれの部隊の何倍にもなります。しかしわれわれは引き倒されてはすぐさま立ち上がり、スクラムから引きはがされてはよりスクラムを強固にして、権力と徹底的かつ不屈に闘いぬきました。
 まさにその光景は5・29法大デモ、6・29渋谷デモを彷彿(ほうふつ)させるものでした。住宅を必死で守り抜く闘いは、「一人の仲間も見捨てない」で、国家権力の暴力支配を打ち破る闘いそのものだったのです。
 当該の森本さんの「勝利した!」の一言に路線のすべてが込められ、闘いの勝利が総括できる今回の闘争。まさにそれは、すべての参加者が道州制粉砕の手応えを自らの手でつかんだ偉大な闘いでした。その闘いに加われたことを本当に誇りに思います。

 第4章 生徒と共に不退転で卒業式に不起立貫く 関東 川上清一

 昨春の卒・入学式、マスコミで東京の根津さんたちの「日の丸・君が代」不起立闘争が大きく報道された。私の勤務している高校の生徒たちも興味を持ったようで、以下の会話が交わされた。
 生徒「東京の先生が処分されたニュースをやっていたけど、先生は大丈夫?」
 私「私も無人の校庭の『日の丸』を引き降ろして県から処分されたことがある。たとえクビになっても『君が代』は歌わない」 
 生徒「卒業式や入学式では『君が代』を歌わされたけど、先生たちはなぜ歌わないの?」
 私「『日の丸・君が代』強制は、国家が国民に忠誠を誓わせ命令に服従させる社会をつくるため。そんな社会になれば日本は再び侵略戦争をする。だから日本中でたくさんの先生たちが処分を恐れず闘っているのだ」
 生徒「知らなかった。『日の丸・君が代』って、そんな意味があるの!」
 これを契機に生徒たちと機会あるごとに社会問題について話し合えた。
 卒業式当日、勤務時間前のビラまきに「先生、がんばってね。手伝おうか」「僕は絶対立たないからね」と声をかけてく
れる生徒が例年以上に多かった。今年は県教委や県議の出席で「君が代」斉唱が行われ、私は不起立=40秒のストライキを打ち抜いた。
 クラスのホームルームを終え教室を出ると卒業生に呼び止められた。「僕たち座っていたよ。近くの先生から肩をたたかれたけど絶対に立たなかったよ!」とうれしそうに話してくれた。式場の後方にいた私には見えなかったが、彼らの話や職員室の会話から、10人以上の生徒が不起立を貫いたことがわかる。
 生徒の下校後、例年どおり校長室に呼ばれた。退職する元指導主事の校長から「学習指導要領に基づいて国歌斉唱を行うのだから『歌わない』という選択肢はない。こんなことやっているから人事評価に影響するのだ!」と最後の“粘り強い指導”を受けた。ちなみに私の人事評価には出現率0・5%の「C」が並んでいる。
 今年の不起立闘争は、道州制攻撃との闘いでもある。権力は、県教委・校長に逆らって不起立する生徒を圧殺する社会制度をつくろうと必死である。そんな社会の行き着く先は戦前の天皇制国家への回帰でしかない。闘う教育労働者を排除する道州制攻撃に対し、入学式も不起立=40秒のストライキを不退転の決意で闘うつもりである。