2009年3月23日

4・21日比谷野音 裁判員制度5月実施を阻止 「憲法と人権の日弁連をめざす会」代表 高山俊吉さんが語る

週刊『前進』06頁(2384号5面1)(2009/03/23)

4・21日比谷野外音楽堂へ
 裁判員制度5月実施を阻止しよう
 「憲法と人権の日弁連をめざす会」代表 高山俊吉さんが語る

 「裁判員制度はいらない!大運動」が、“みんなで5月実施を阻止しよう”と、4・21日比谷野音集会と銀座デモを呼びかけている。裁判員制度の狙いとその時代背景、反対運動の高揚などについて、「憲法と人権の日弁連をめざす会」代表の高山俊吉弁護士にお話をうかがった。全国から4・21集会に大結集し、5月実施阻止へ闘おう。(編集局)

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 高山俊吉弁護士
 1940年、東京都に生まれる。東京弁護士会所属。青年法律家協会議長、日本民主法律家協会副理事長などを歴任。交通法科学研究会事務局長を務め、市民の立場から交通事故や道交法など交通分野を追究。同時に「憲法と人権の日弁連をめざす会」代表として改憲と司法制度改革に反対し、運動を続けている。昨年2月の日弁連会長選挙に立候補し、7043票対9402票で大善戦。
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 第1章 裁判員制度は改憲そのもの

 『裁判員制度はいらない』の文庫版が講談社から2月19日に出版されました。単行本を出したのが06年9月です。5刷を重ね、裁判員制度の本としては異例の売れ方でした。
 制度推進の本はいろいろ出ているけれど、一向に売れないという記事を新聞で読みました。“裁判員の仕事は簡単だ、何も準備はいらない、安心して裁判所に来てくれ”という調子の宣伝が盛んに行われていました。本なんか買わなくていいと裁判所が言っているようなものだから、売れなくて当たり前、それとも裁判は本当は難しかったのかい、と私は皮肉を言いましたね。
 文庫版は、旧版の各章にその後の情勢を書き加え、新しい章も設けた改訂新版です。平積みで並べている本屋もたくさんあるらしく、うれしい状況です。
 最高裁がやった世論調査でも、82%を超える人が裁判員制度に消極です。大半の市民が疑問や懸念を抱いている。それがこの本の売れ行きにも影響しているし、全体の動向を決める大きなベースにもなっています。ぜひ読んでください。
 意見がいくらか違っていても、裁判員制度をつぶしてから、どうして国がこんな制度を推進したのか、じっくり議論することにして、今はまず、つぶすことに精力を集中しましょう。

 第1節 憲法9条を絶対に変えるな

 労働者、労働組合に今最も訴えたいことは「改憲絶対反対、憲法9条を変えてはならない」ということです。
 改憲はなぜ許されないのかを一番よく理解できるのは労働者、労働組合です。「侵略戦争阻止」の意味を最も正確に把握できる立場にいるからです。資本が国と一緒になって、労働者、民衆に対する搾取、収奪をとことん進めていき、ついに資本は海外にも拠点を築き、そこで搾取、収奪を始める。そして、軍隊との連携、軍隊による庇護(ひご)を求めるようになる。
 そのとき、国内の労働者、労働組合がそれを了解すれば、それは排外労働運動になってしまう。かつて日本の労働運動はその道を歩んだ。それを再び許してはならないということです。
 海外の労働者が搾取、収奪されることは、日本の労働者が搾取・収奪されることと本質的に同じことだ。海の彼方のどこかの国の労働者の首を切り落とす刃(やいば)は、私たちの心臓を貫く同じ刃だということに気づいたら、その野望をサポートする侵略戦争を絶対に許してはいけないということになる。
 そしてそのことは、資本の行き場、新しい侵略の展開を許さないことによって、資本主義の矛盾を誰の前にもあからさまにさせることにつながる。そして、労働者、労働組合は、搾取、収奪する資本の側に立つのか、それともそのもくろみと闘う側に立つのかが問われる。そういう構造になるのだと思います。
 労働者、労働組合が、資本や国が自分たちを苦しめるのと同じことを世界的な規模で展開することを許さない、その闘いが改憲阻止闘争です。

 第2節 “国守る気概”を民衆に強制

 実は、裁判員制度の問題は改憲をめぐって存在するのです。裁判員制度は改憲そのものだということです。
 この国が海外で武力を使える状態にするためには明文改憲も解釈改憲もいとわない。そうしなければこの国はもう成り立たないと国も資本も考えている。
 しかし、「憲法9条はこのままでいいじゃないか」という意見が国民の間に相当ある。その突破策は資本や国にとって重大な課題です。国民が公(おおやけ)を大事だと考える、そのような社会のルールをなんとしてもつくり出したいのです。
 一人ひとりの国民に、悪いことをした者には厳しいペナルティが科されるべきだと考えさせたい。その先にあるのは“国の秩序が大事だ、この国を守る気概が大事だ”というものの考え方を定着させることです。
 第2次世界大戦の中では、隣組とか国防婦人会とか、国民総動員を社会の末端で担う組織がつくられました。弁護士までが翼賛報国会をつくった。この国の支配層は今、その歴史から必死に学ぼうとしています。90年代以来、この国が確実に危機に突入することを見据え、国を守る気概を一人ひとりの民衆の心に植え付けようと考えたのです。
 立法、行政、司法の三権分立とよく言います。司法は、行政や立法と一定の距離を置き、時に彼らの誤りをただす。それが一国の平穏な維持の上で大事だというチェック・アンド・バランスの思想ですね。
 この論の立て方は、近代国家ではある種の常識ですが、この国の支配層は今、これを突破しようとしている。三権分立なんていうきれいごとを言っていられる時じゃない、ということです。それが次にお話しする司法制度改革の狙いです。

 第2章 「司法改革」攻撃の三つの柱

 司法制度改革審議会が2001年に出した意見書は、「立法と行政は動脈、司法は静脈」と言い、「司法は公共空間を支える柱」とも言いました。司法は、立法や行政としっかりつながっているひとつの「血流」であり、国を支える主柱だということを意識せよ、というのです。
 分かりやすく言えば、国が危機に直面していることをしっかり自覚する司法でなければだめだということです。近代憲法原理のあからさまな否定とも言えます。
 国の危機はけっして仮定の話ではありません。80年代半ばから新自由主義攻撃が吹き荒れ、構造改革、規制緩和がどんどん進められました。司法制度改革審議会の意見書は、「司法改革は、政治改革、行政改革、規制緩和などの経済諸改革の最後の要である」とまで言いました。
 どうして司法改革が最後の要かといえば、とことん「優勝劣敗の論理」で競争していくと、紛争が激発する。そして、そういう紛争に終止符を打たせる弁護士がたくさん必要になる。弁護士を「おくりびと」として登場させる必要がある。だから弁護士は激増させねばならない。弁護士の激増は弁護士を食えなくもさせる。食えなくなれば、「司法はこれでいいのか」なんて言わなくなり、ますます最終処理人の仕事にはまりこんでいく。そういう狙いが激増政策にはあります。
 司法改革の柱は三つです。ひとつは弁護士激増。もうひとつは司法支援センターという第二日弁連づくり。そしてもうひとつは裁判員制度です。
 弁護士激増と司法支援センターは、弁護士、弁護士会という憲法擁護勢力を根底から破壊する政策の産物であり、裁判員制度はお国が大事と考える民衆をつくる国民改造政策の産物です。弁護士も民衆も権力側に立つ司法の担い手にしてしまう政策です。
 権力や資本にとって未曽有の危機の時代に、その危機を隠しつつ自分たちの側に引き込んで突破しようという策です。

 第1節 「市民参加」はナチスに先例

 「市民の司法参加」政策は、今回初めてお目見えした奇策ではありません。1930年代にナチスが推進した政策にプロトタイプ(原型)があります。主権者としての国民に自ら行動させることにより、国のあり方を変えてゆく国家政策の手始めとして、ナチスは「市民の警察参加」を展開しました。
 今、「市民の司法参加」はすばらしいことだと言い募っているのが日弁連執行部であり、日本共産党、社民党です。
 「共産党はどうして裁判員制度に反対しないのか」と支持者から強い批判を浴びている、そう私に訴えてきた党員がいました。その苦労が集積して、党中央に「延期」論を発表させるところまでいったのでしょう。社民党も状況は同じだと思います。
 民主党も一時期、代表や幹事長が見直し論を言いましたが、その直後に連合から「われわれが一生懸命推進しているのに、何を言うんだ」とねじ込まれたようで、急に話がどこかに飛んでいってしまった。この党の議員も多く反対していますけれども。
 推進側は「安全・安心な社会を実現するために、市民の一人ひとりが変わっていこう」と言っています。それは「今日からはこの国を守る気概を持つ人間になろう」ということです。私は『裁判員制度はいらない』の本で、「小さな利欲、不平、ぐち、怒りを捨てよう」という高村光太郎の詩を紹介しましたが、あの思想です。その議論のペテンを見抜かなければいけない。

 第3章 82%の人びとが「反体制」に

 自民党、民主党、共産党など全政党が一致して進めている裁判員制度に国民の82%以上が首を傾げたり反対したりしているというのは大変なことです。特大活字を使っても言い足りないぐらいです。だって、体制内勢力がひとつになってしまったのに、国民がノーと言っているということは、比喩(ひゆ)的に言えば、国民が反体制になってしまったということですから。
 危機に直面した支配層が登場させたのが裁判員制度だったのですが、その裁判員制度が国民を「反体制」に追い込んでしまった。「国民の代表」の国会が決めたことなのに、圧倒的な民衆がイヤだと言う。仕方がないと言わない、あきらめない。
 この力の大きさを私たちはしっかり見たい。支配側が断崖(だんがい)絶壁に追い詰められている。それは「衆参ねじれ現象」などというちっぽけなレベルの話じゃない。今の政治のありように、国民の大多数がノーを突きつけている。この大きさを私たちがどう運動のベースにできるかが問われています。
 私たちの力を妙に過小評価する人がいるけれど、正しくない。新しい状況が生まれている。そのあたりをちらりと見せたのが昨年2月の日弁連会長選挙でした。論が本当に正しければ、支持する人たちはけっして少なくならない。必ず増える。今日の歴史状況が結論を決める基本的な座標軸になっている。座標軸は“今まさに変革の時”です。世の中がひっくり返る時。そのことを「裁判員制度は問題だ」という82%超の数字に見よう。私たちの闘いはそこにある。

 第1節 立ち上がる労働者と民衆

 支配の危機や破綻を見ぬけない諸潮流、諸政党は、裁判員制度に反対しない、反対できません。
 危機になって、世の中の矛盾がさらけ出されるのはいいことじゃないかと、私は思います。「世の中よく見えてきたぞ、誰が悪者で、誰が被害者かがよく分かるようになった」ですよ。そのように見られない人たちを「体制内」というのでしょう。
 世の中、折り合いをつけて生きていこうよという人も確かにいる。でも、行動に立ち上がる人びとも出てくる。私に裁判員制度に関する新聞の切り抜きをせっせと送って下さる方、なんとしてでも集会に足を運んで下さる方。その皆さんはこれまで運動の経験なんて何もない方々です、おそらく。でも、今は自分から立ち上がっている。これを本当の“市民の司法参加”と言うのでしょう。
 昨年11月に東京で行われた裁判員制度反対のデモには、東京・下町のご年配の町内会長さんが参加されました。6㌔の長い長いデモを完歩されたので、「お元気ですね」と声をかけたら、「行軍で鍛えましたから」と言われました。そういう人たちも立ち上がっているのです。
 なんとかこの社会を暴走させないようにしよう、暴走しなければいいんだっていう、そういう議論にとどまるのか、それとも労働者と民衆の力で新しい社会をつくろうと、大きく踏み出すのか。
 私たち自身、長く頭の芯(しん)まで微温的な発想に浸かってきましたから、考え方の転換は容易ではない。でも時代は大きく変わろうとしています。私たち自身が、うかうかしていたらみんなにのりこえられてしまう時代かも知れませんね。
 若い学生の皆さんが、先日、裁判員制度に関する私の話を聞いて、「よく分かった」と言ってくれました。そこには、学生の皆さんが今闘っている闘いのあり方が反映していると思います。それがそういう言葉になって表れたのではないか。「私たちは正しい運動をやってる」という思いの中に、私の話とつながる何かがあったのでしょう。うれしいですね。
 よれよれの麻生政権のもとで、14日には海上自衛隊がソマリア沖に派兵されました。私たちの足元で戦争への動きが始まっている。資本・権力がソマリア沖に向かうのは、彼らが強いからではなく、それしか生き残る道がないからです。支配層が仕掛ける攻撃にひそむ危機と矛盾を、私たちはしっかり見抜きたい。
 きょうは、私が裁判員制度と改憲について言いたかったことを率直に話させていただきました。勝機は確実にあります。4月21日にはぜひ東京・日比谷野外音楽堂でお会いしましょう。
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 第4章 裁判員制度/ここが問題

 ■「裁判員制度」とは、強盗致傷、殺人、現住建造物等放火、傷害致死、強姦致死傷、強制わいせつ致死傷、強盗致死、強盗強姦などの重大犯罪の刑事裁判(年間約3000件)に市民を参加させ、裁判官と一緒に審理に当たらせて評議・評決を行わせ、有罪・無罪を決めさせるほか、有罪の場合には刑罰も判断させる裁判制度。
 原則として裁判官3人と裁判員6人で行う(争いのない事案では、裁判官1人と裁判員4人で行うことがある)。裁判員裁判が実施されるのは一審だけで、控訴審や上告審は従来と同じく職業裁判官だけで行う。検察官は無罪判決に対して控訴できる。
 一人の被告人が複数の犯罪を犯した疑いで起訴されている場合、先行する裁判の事件ごとに部分判決が言い渡され、最後に審理する裁判所が最終判決を言い渡す。
 ■有罪・無罪の判定も量刑の判定も多数決で行う。最高裁は、3日以内に7割、5日以内に9割の判決が言い渡されると言う。被告人は裁判員の参加を絶対に拒絶できず、自分の判決に関わった裁判員の名前を知らされない(誰に有罪判決を言い渡されたのか知り得ない)。裁判員制度は被告人のための制度ではないとされている(司法制度改革審議会意見書)。公判で取り調べる証拠や主張は基本的に事前に整理され(公判前整理手続き)、公判はその手続きに拘束される。その結果、公判開始後に被告人・弁護人が新たな証拠調べを請求することが基本的にできないことになる。
 ■裁判員に指名された者は正当な理由なく出頭しないと処罰され、裁判長の質問に虚偽の回答をすると処罰される。人を裁きたくないというのは正当な辞退理由にならない。裁判員を特定できる情報を公にすることは禁止される(裁判員自身も自分が裁判員やその候補者になっていることを公にしてはならない)。裁判員を経験した者は評議の秘密その他職務上知り得た秘密を漏らすと6カ月以下の懲役などの処罰を受ける。
 ■陪審裁判は陪審員だけで評議・評決を行い、被告人が無罪を主張した場合しか開かれず、陪審員は量刑判断を行わない。有罪には原則として全員一致を必要とし、陪審員辞退は事実上広範に認められ、被告人は陪審員の裁判を受けるか否かを自由に決められる。検察官は無罪の判決に対して控訴できない。米国憲法は陪審制を被告人のための制度と規定している。裁判員裁判を陪審裁判に似たものというのは欺まんである。
 (この裁判員制度批判は高山弁護士がまとめたものです)
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 今売れている話題の本!
 『裁判員制度はいらない』
 高山俊吉著 講談社 +α文庫 定価/本体743円(税別)
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 第5章 日程 4・21大集会

 裁判員制度実施をみんなで阻止しよう!4・21日比谷全国集会と銀座デモ
●日時 4月21日(火)午後6時開場/6時半開会 午後8時デモ出発
●会場 日比谷野外音楽堂
●主催 裁判員制度はいらない!大運動