労農同盟の発展かけ 3・29三里塚に結集しよう
労農同盟の革命的発展かけ 3・29三里塚に結集しよう
天神峰現闘本部裁判の一方的な結審強行という攻撃は、世界大恐慌情勢が一段と深まり、日帝・支配階級の延命をかけた労働者・農民への階級戦争がエスカレートする中で、国家権力が三里塚闘争の不屈の前進に追いつめられた姿をむき出しにしたものだ。
市東孝雄さんの闘いによって足踏みを続ける新たな帝国主義的農業政策と農民切り捨て、三里塚闘争40数年の地平が阻み続ける日帝の航空政策の危機、その表現としての北延伸攻撃のなりふり構わぬ展開、労農同盟の前進に対する日帝ブルジョアジーの階級的憎悪——三里塚闘争は革命情勢の急速な接近の中で、あらゆる意味で決戦情勢に突入したのである。
わが革共同は反対同盟農民との血盟にかけて、この決戦をともに闘い抜くことを宣言するものである。動労千葉の春闘ストライキ、3・20渋谷デモ、三里塚3・29全国総決起集会は完全にひとつの闘いだ。労農学人民の大部隊で結集し、反対同盟農民とともに決戦を担い抜く強固な団結と連帯を打ち立てよう!
第1章 革命の現実性示す労農連帯
そもそも三里塚の闘いの歴史に「法」や「民主主義」は無縁だった。空港建設40数年のすべては、警察機動隊の暴力に依拠して行われてきたのである。機動隊の盾や棍棒で殴られ、あらん限りの暴行で傷ついた人々の数は優に5千人を超える。とてつもない買収資金が使われ、反動マスコミを総動員したのも、空港建設の歴史の特徴だ。
しかし反対同盟農民の不屈の闘いは、全国の労働者・学生・人民の圧倒的な支持と支援を受け、40数年後の今もなお、空港の完成を阻み続けるという前人未踏の地平を切り開いているのである。とりわけ首をかけ組織をかけて三里塚との連帯を貫いてきた、動労千葉の闘う労働者との労農連帯の強固な陣形は、現下の革命的情勢の接近の中で、日本プロレタリア革命の現実性を示すかけがえのない力だ。これが日帝権力の階級支配の危機を文字どおり促進する問題であることは、権力自身がくり返し憎悪をむき出しにすることで自認しているとおりだ。
かつて1971年9月、大木よねさん(第1期工事の敷地内農家)の自宅と農地は、県知事が「本日の強制代執行は中止する」とのテレビ発表の直後に破壊・撤去され、よねさんは機動隊の暴行を受けて道ばたに放り出された。権力は一人の農民の不屈の闘いが、どれほどの人々の怒りに火を付けることになるか、心の底から恐れていた。そして彼らの恐れは、卑劣なだまし討ち執行にもかかわらず現実となった。北総大地は文字どおりの人民暴動と内乱の地と化し、以後、本格的な強制収用は事実上不可能となった。権力の”伝家の宝刀”と言われた土地収用法体制を文字どおり実力で粉砕したのだ。
この三里塚闘争の圧倒的な地平が、今まさに大恐慌下で、日帝支配階級ののど元に致命的な破綻点となって突き刺さっているのだ。今回の現闘本部裁判で、現場検証を一度も行わずに結審を強行した敵権力の恐怖の大きさを見すえよう。市東さんや萩原進さんら、敷地内農民を先頭とする反対同盟農民の不屈の闘いには、あの大木よねの闘いの力が、途切れることなく脈々と受け継がれているのだ。敵権力がこの期に及んで、なりふり構わぬ農地強奪再開へ動き出したゆえんである。
第2章 階級的な原則を貫く三里塚
三里塚闘争は、日帝支配階級との非和解的な対決を最も鋭く体現してきた。「83年3・8」の反対同盟分裂は、二期決戦を最後の勝利まで、すなわち革命の勝利までやり抜くのかどうかの分裂だったが、全国の左翼勢力を激しく二分して、なおも階級的原則を貫いたその先進性と勝利性は、4者4団体派から塩川一派まで、今日のすべての体制擁護派との党派闘争に勝ち抜く指針でもある。
動労千葉と反対同盟の労農連帯のきずなは、韓国・民主労総の労働者をはじめ全世界の熱い注目を受けている。そこに階級的労働運動と社会変革の勝利への展望が見えるからだ。
権力の日常的な監視と圧力を今も受けながら、ひるむことなく農地を守り続ける反対同盟農民は決戦の檄を飛ばした。「億の金より1本100円の大根が大事」という反対同盟の農地死守の心意気に応えよう! 3・20に続き、暫定滑走路の北延伸阻止、市東さんの農地死守、日帝の農業破壊攻撃粉砕の決意も固く、3・29全国総決起集会の大結集をなんとしても実現しよう!