2009年3月 9日

法大弾圧裁判 5・29デモ弾圧2G 被告人質問

週刊『前進』06頁(2382号6面3)(2009/03/09)

法大弾圧裁判 5・29デモ弾圧2G
 “ゼネストで奪い返す”
 被告人質問4・24集会へ戦闘宣言

 3月2日、法大5・29デモ弾圧裁判第2グループの第9回公判が開かれ、中村真之君と本山隆介君への被告人質問が行われた。
 二人はともに東北大学に98年に入学し、有朋寮に入寮した同期だ。「200人が暮らす寮は鍵のない二人部屋。寮生同士で食事や風呂をともにしながら」(中村君)「自分たちだけですべて運営する自治寮のあり方に接して価値観が変わった」(本山君)という。
 有朋寮での生活は同時に当局の廃寮攻撃との闘いでもあった。「大学に対して、学生が主体的に関わっていく自治寮のあり方を、問答無用で奪うことは許せなかった」(本山君)。そして2001年の「廃寮決定」以降のあらゆる弾圧や処分と闘いぬいて勝利してきたのだ。
 「有朋寮闘争をとおしてつかんだことが二つある。ひとつは、仲間をけっして裏切らないということ。もうひとつは、学生をモノのように扱う当局を許さず、革命を起こすと決断したことだ」(中村君)。「学生が団結すれば、国家暴力と真っ向から闘い勝利できることがはっきりした」(本山君)。
 06年3月14日の法大弾圧の知らせを聞いた二人は、弾圧を自身と全国学生への攻撃としてとらえ、一切を引き受けて法大闘争の勝利のために全力で闘った。「社会をひっくり返すまでやるという有朋寮魂がその後の闘いに引き継がれた」(中村君)。連続する処分や弾圧にひるむことなく、法大生と深く結びついて闘い抜いてきた。
 そして、08年、ついに5・29決起へとのぼりつめていく。「恩田君への処分は絶対に許せなかった」(中村君)。そして「一人の仲間も見捨てない」と決起した法大文化連盟の決起と切り結び、ジャージ部隊に「首を絞められ」(中村君)「Tシャツを引き裂かれ」(本山君)ながらも、5月20日から29日に至る連続的なキャンパス集会とデモをともに成功させたのだ。「大学に抗議する者は『学外者』として排除される状況下で、文化連盟がキャンパスで集会をやりぬいたことはまさに法大解放の端緒となった」(中村君)。
 最後に二人は、「裁判長よ。増田総長をこの法廷に呼び、増田が言うところの『自由』とはいったいどんなものなのか明らかにしてみよ」(中村君)、「裁判所の姿は、学生や労働者階級の自己解放性を奪おうとするものだ。裁判闘争をとおし、どんな攻撃に対しても真っ向から闘えば勝てるということをはっきりさせる。全国学生はゼネストで大学を奪い返す」(本山君)と、4・24法大1千人集会に向けての戦闘宣言を発した。
 次回(3月16日)の公判では、金子悠太君、松室しをりさん、坂野陽平君の3人に対する被告人質問が行われる。公判傍聴に結集しよう。