動労千葉結成30周年にあたって 大原 武史
動労千葉結成30周年にあたって
第2次国鉄決戦勝利を土台に大恐慌を革命へと転化しよう
大原 武史
第1章 日本階級闘争の革命的な歴史を甦らせよう!
帝国主義戦後世界体制は最末期の矛盾と危機を爆発させ、労働者階級人民の生活を困窮に陥れ、自ら生み出した生産・流通・金融の全機構を破滅的危機に追いやり、その体制的延命をかけて戦争への道を突き進んでいる。このかつてなく激しい情勢の進展は、労働者階級人民にプロレタリア世界革命以外に一切の展望がないことを告げ知らせている。
では、プロレタリア革命をいかに実現するのか。それは、労働者階級が資本との非和解的な闘争をつうじて団結を打ち固め、それを土台とした不抜の組織を形成することによってである。
党と労働組合、これこそが労働者階級の武器だ。資本主義の最後の発展段階としての帝国主義は、その出発点からプロレタリア革命の恐怖にさらされ続けてきた。労働者階級が団結し闘ってきたこれまでの歴史を抹消し、現在の闘いを圧殺することによってのみかろうじて成り立っている体制だ。ブルジョアジーとこれを支える体制内勢力は、労働者大衆が団結し革命的に決起することを心底恐れている。
だから、日本労働者階級人民の革命的闘争を歴史から抹殺することに躍起になっているのだ。動労千葉の存在と歴史的闘いもまた、不当に低められ意図的に無視され続けてきた。だが、わが革共同が牽引(けんいん)して切り開いた70年闘争の地平を現実の労働組合運動において貫き発展させ、体制内労働運動指導部の限界性と制動を打ち破り、日本労働者階級の根底的戦闘性と革命性を開示し続けてきたのが動労千葉30年の歴史なのだ。いかなる攻撃と困難をも団結の糧として、労働者階級に対する信頼を貫き勝利してきた生きた実例がここにある。
資本の増殖すなわち「金もうけ」を一切の価値基準として、人間と自然を支配し破壊して、私的所有と独占を正当化し延命しようとする帝国主義に未来はない。このような体制を一刻も早く革命によって打倒しなければならない。今や多くの労働者大衆、とりわけ青年たちがそう思い始めている。
根本的問題は、労働者階級の存在と闘いと別なところに革命を描くことはできないということだ。歴史の見方とは、とことん階級的であり党派的でなければならない。労働者大衆が現体制の打倒すなわち革命を求め始めているとき、日帝ブルジョアジーとこれを支える一切の体制内勢力による改竄(かいざん)に対して、今こそ階級的革命的歴史をよみがえらせなければならない。革命への過程は、労働者階級の団結の道筋にほかならない。われわれは、動労千葉の30年にわたる「奇跡」とも言うべき闘争と勝利の地平において、全労働者階級の団結を形成していく。これこそが、われわれの党派性であり階級性なのである。
08年、われわれは、労働者階級の存在と闘いを革命と切り離して資本主義の枠内に閉じ込めようとする一切の勢力との断固とした思想的実践的闘争を推し進めることによって、11・2全国労働者総決起集会の歴史的勝利を切り開いた。労働者階級の存在と闘い、その階級的団結を、ブルジョア議会主義と法規範の枠内に押しとどめようとする体制内勢力の限界性と破産を暴き、それを突き破る主体的勢力を登場させたのである。米韓の戦闘的労働組合指導者とともに5700人の参加者は、労働者階級の団結によって生み出される力の大きさをつかみ取り、比類のない根源的感動を味わった。
世界金融大恐慌の本格的到来は、労働者階級を蔑視(べっし)する「改良主義」や「救済主義」の無力性を急速に突き出していく。体制内労働運動は、労働者階級の革命的エネルギーを解放しないばかりか、絶望しか組織し得ない。今必要なのは、直接的には厳しい資本攻勢に対し絶対反対を貫き、階級的団結を総括軸として闘い抜き、革命的指導者と闘争主体を形成することである。ブルジョアジー、そしてその支配体制を支える体制内勢力は、いかなる困難をものりこえる労働者階級の荒々しい台頭に震え上がっているのだ。
「世界は革命情勢だ!」「動労千葉のように闘おう!」を真っ向から訴える青年・学生の闘いは、階級的団結の根源的力を感動的にあらわした。これは、これから始まる闘いの鮮烈な序曲である。われわれは、この地平に立ちきって全労働者階級の団結と勝利の路線を明確にしなければならない。第2次国鉄決戦とは、日本労働者階級の団結の基軸であり、それゆえプロレタリア世界革命勝利への道筋なのである。
第2章 革共同と動労千葉が開いた最高の到達地平
動労千葉は、この3月に結成30周年を迎える。動労千葉の歴史は、現場組合員の階級的団結の力で戦後体制内労働運動の限界と制動を打ち破り続けてきた歴史であった。そして動労千葉指導部の思想と路線の根幹には、反スターリン主義・革命的共産主義運動の実践、マルクス主義の復権とそのストレートな貫徹があった。革命的共産主義運動なしに動労千葉は生まれなかった。そしてまた、革共同は動労千葉によって革命的共産主義運動たりえたのである。革共同と動労千葉は、党と労働組合の不可分一体性を、日本階級闘争における生きた実践として体現した。
歴史上かつて経験したことのない世界金融大恐慌情勢は、プロレタリア革命の時代の到来だ。この時代における党の最大の任務は、労働組合の主戦場において、労働者階級の闘いをブルジョア的法規範の枠内に収めようとする体制内労働運動指導部との鮮烈な党派闘争に立ち上がることにある。体制内労働運動勢力との分岐と対決ということは、労働者階級が自分自身の存在のすごさに目覚め、革命的に団結していくということである。あらゆる勢力が労働者階級の存在と闘いを低めていることに対して徹底的に闘い、現場労働者の獲得をめぐる党派闘争に勝利するということだ。
日本帝国主義は、国鉄分割・民営化を水路に4大産別の労働運動の壊滅を図り、6000万プロレタリアート全体の背骨をたたき折ろうとしている。2000万非正規雇用を国鉄分割・民営化を突破口にして生み出し、これと公務員労働者を対立させ、6000万プロレタリアート全体を非正規雇用にたたき込み、階級総体を屈服させた上で戦争への道を掃き清めようとしている。
そして、この4大産別において、体制内労働運動指導部が労働者を最も強くブルジョア議会主義と法の幻想に縛り付けている。レーニンがロシア革命の勝利の教訓で明確にしたように、労働者階級の獲得をめぐる労働組合における党派闘争とは、革命の準備過程、実現過程、そして新社会建設の過程に至るまで貫かれる闘争なのである。
動労千葉の前身である動労千葉地本はもともとは右派の拠点であった。この動労千葉地本の右派執行部権力を、青年部を土台に原則的職場闘争と街頭政治闘争、そしてマルクス主義の学習の貫徹によって打倒し、さらに動労本部カクマルとの激烈な路線闘争と党派闘争を貫くことによって動労千葉が形成された。その分離独立の過程、独立直後のジェット燃料輸送阻止闘争の過程、さらには国鉄分割・民営化決戦を闘い抜いた2波のストライキ闘争の過程、そして「分割・民営化絶対反対」を貫き、JR総連カクマルを先兵としたJR体制との激突を貫いてきた過程。この中で全国労組交流センターを形成し、11月労働者集会を呼びかけ、「新潮流運動」を発展させてきた過程。動労千葉の30年間の歴史における一つひとつの闘争が、掛け値なしに体制内労働運動の限界性を打ち破り続けてきた壮絶な飛躍の過程なのである。時代と資本の攻撃の核心を見据え、労働者階級全体の利益のために全組合員が一丸となって闘い抜いてきたこの誇り高い歴史を、日帝ブルジョアジーおよびこれを支える一切の体制内勢力は、意図的に低め無視し続けている。
それだけではない。わが党内においても旧与田一派、塩川一派は、動労千葉の歴史的階級的地平を低め続けてきたのだ。それは、労働者階級の革命性の否定であり、党の歴史の清算であり、プロレタリア革命からの逃亡にほかならない。彼らを打倒し放逐したことで、動労千葉の革命的階級的地平を党自らが低めてきたあり方からの根本的転換をかちとった。そしてこの地平を党の一切の闘い、とりわけ4大産別決戦に徹底的に貫いていくことが今日求められているのである。
第3章 70年闘争地平継承した分割・民営化阻止決戦
08年末から09年冒頭にかけて、日帝資本は世界金融大恐慌の危機を激しく労働者階級に転嫁し始めた。派遣労働者を始め非正規雇用労働者を容赦なく大量に解雇し、さらに正規雇用労働者の解雇へと突き進んでいる。
そして、労働者が人間らしく生きるために急速に労働組合的団結を求め始めている中で、体制内勢力は改良主義と救済主義を満展開している。その根幹に貫かれているのは、労働者階級の革命的決起への抑止であり、革命の現実性に対するプチブル的恐怖である。体制内勢力は、労働者を過酷な状態に陥れている元凶である資本およびブルジョア支配体制との徹底した闘争をけっして呼びかけない。それどころか、日帝ブルジョアジーへの屈辱的な要求・請願運動に組織しているのだ。
ところが、最末期帝国主義の危機の時代は、改良主義は改良にならず、救済主義は根本的救済をもたらさないのである。それどころか無制限な国家財政出動によって巻き起こる「通貨暴落」「超インフレ」「大増税」への階級的武装を解除する役割を果たしている。資本主義に対する最後の幻想を組織することによって、労働者階級の救済者どころか資本主義の最後の救済者としての役割を果たしているのが体制内勢力なのだ。
したがって彼らは、その個別の主観的意図にかかわらず労働者階級の絶望を組織し、ファシズムと戦争への道を準備しているのである。まさに、最も民主的と言われたドイツのワイマール体制がナチス登場の土台になったように。そして彼ら体制内勢力に共通している特徴は、動労千葉とわが党の到達地平を低め、徹底して労働者階級との切断を図ろうとする点にある。しかし、いわゆる「4者4団体」派や「護憲勢力」を含めた体制内勢力の限界性と労働者の革命的決起への抑止・制動の問題は、実は戦後階級闘争の歴史によって、とりわけ国鉄分割・民営化決戦とその後の20年以上にわたる闘争においてすでに明確な決着がつけられている。
第1節 護憲派の幻想と対決
戦後革命の脅威を鎮圧するために形成された「平和憲法」体制は、基本的人権および労働三権をブルジョア法的に「保障」することで労働者階級を体制内化することに最大限の力を注いできた。この「民主的」憲法下で日帝ブルジョアジーが推し進めてきたことは、労働貴族ダラ幹層の育成による労働組合運動の体制内化と憲法それ自体の骨抜き化であった。
この構造こそ「55年体制」そのものであり、この政治支配体制の確立と高度経済成長によって日帝は、階級支配の相対的安定期を生み出すことができたのである。しかし今や最末期の危機に突入した帝国主義体制とその最弱の環である日帝にとって、この平和憲法下での「55年体制」こそが桎梏(しっこく)になり、これを反動的に突破することが至上命題となっている。
これに対して体制内左派は「護憲」を至上のものにして、労働者階級の闘いを「護憲」の枠内に閉じ込める役割を果たしてきた。あくまでも法に規定された権利の枠内でこれまでの関係を維持せよということである。彼らは「護憲」を絶対の旗印として労働運動を従属させながら、これを超える現実の労働者の闘いは「反社会的」で「危険な運動」として攻撃することによって自らを維持しようとするのだ。
「平和憲法」とはいえ、それはブルジョア体制を維持するためのブルジョア法である。労働者階級の革命的闘争は、ブルジョアジーの法的規範を超えるものとしてあるのだ。わが党は、70年安保・沖縄決戦において、具体的にそれを実践した(無期懲役と不屈に闘う獄中34年の星野文昭同志は、この時最先頭で決起し「殺人罪」をデッチあげられた)。すさまじいまでの革命的解放的エネルギーが発揮されたのである。この革命的エネルギーと革命の現実性に震え上がり、日帝の救済者として現れたのが、反革命カクマルであった。わが党は、切り開いた地平を死守するためにカクマルとの死闘戦に突入した。党とともに動労千葉は、70年闘争の継承と発展をかけて国鉄決戦の主戦場において動労カクマルとの激烈な党派闘争を展開し勝利した。動労千葉に続き国鉄分割・民営化決戦の渦中で誕生した動労水戸もまた動労カクマルとの熾烈(しれつ)な闘争の中で形成された。
そして同時にその闘争過程とは、いわゆる護憲派としての社民など体制内勢力をのりこえ、この幻想と決別し新たな階級的労働運動を確立する過程としてあった。国家・議会・法を、越えられない「壁」として労働者階級に強制する「護憲派」をはじめとする体制内勢力の限界性は、国鉄・分割民営化決戦によって完全にあらわになったのである。
国鉄分割・民営化の法的根拠としての国鉄改革法は、86年の衆参同時選での自民党圧勝によって国会で圧倒的多数で可決された。この時点で社会党、日本共産党とともに国労指導部など体制内勢力は完全に骨が折れ、国鉄労働者にこれとの非妥協の闘いを呼びかけるのではなく、屈服の道を用意する役割を果たし続けてきたのである。国鉄分割・民営化との闘いにおける思想的路線的基盤を失った彼らは、一戦も交えることもできずに現場労働者をその攻撃にさらした。そしてさらに、労働者としての誇りにかけて分割・民営化と闘い続けてきた解雇者の存在を低め続け、議会主義的政治的救済の対象としてしか位置づけてこれなかった。
この国鉄分割・民営化決戦をとおして全階級的に明確になった体制内勢力の限界性と敗北の根拠は、実は70年安保・沖縄闘争を背景として勝利した70年マル生闘争の地平を自らの成果であるかのようにかたり、実は国鉄当局となれ合い、その後ろ盾で労働者支配を維持してきたあり方にあったのだ。
日本帝国主義にとって70年安保闘争と国鉄労働運動におけるマル生闘争での敗退は、実に震撼(しんかん)すべき事態としてあった。この地平を解体することこそ、カクマルはもとよりすべての体制内労働運動勢力の担った役割だったのだ。彼らの存在をあてにしてこそ、日帝ブルジョアジーは1974〜75年恐慌による帝国主義戦後世界体制の根底的危機への突入と75年のスト権ストにおける体制内指導部の敗北を転換点として、82年の第二臨調における「国鉄分割民営化答申」、87年の分割・民営化へと一気呵成(かせい)に突き進むことができた。わが動労千葉以外の一切の諸党派・諸潮流がこの攻撃に屈服した。その階級的核心は、70年安保闘争の地平の解体であり、この闘争の主軸であった国鉄労働運動の解体なのである。
動労千葉は、現場組合員の階級的団結の力に依拠し、それこそが一切を決めるというマルクス主義的原則を堅持し、「分割・民営化絶対反対」を貫き勝利した。戦後労働運動の中で、起伏はあるが国鉄労働運動は一貫して基軸的位置にあった。この国鉄労働運動を、体制内指導部の労働者支配を使って解体する攻撃が、動労千葉の存在と闘いによって挫折させられ、今再び一大転換点を迎えているのである。動労千葉結成30周年、国鉄分割・民営化から22年にして、世界金融大恐慌情勢の中で国鉄労働運動が日本階級闘争の主導軸として再びよみがえる時代を迎えたということだ。
第4章 体制内指導部を打倒し1047名解雇撤回へ
世界金融大恐慌の時代が到来している中で、日帝支配階級は2000万非正規雇用労働者への攻撃を水路に360万公務員労働運動を絶滅・解体し、6000万プロレタリアート全体への階級戦争を貫こうとしている。この日帝との闘いの中心に国鉄決戦が位置していることは明らかである。70年闘争が切り開いた階級的地平の発展か解体かをかけて反革命カクマルとの死闘戦に勝ち抜いた党と、これを労働者階級とともに国鉄決戦において貫いた動労千葉とが、日本階級闘争における最高の主体として、全労働者階級をとらえ日本階級闘争全体をラジカルに塗りかえていく時が訪れたのだ。
第2次国鉄決戦とは、わが党と動労千葉の歴史的到達地平と矜持(きょうじ)にかけた革命的主流派宣言であり、革命達成にいたる具体的実践的道筋である。日本労働者階級が体制内労働運動指導部の制動とブルジョア的法的規範を打ち破り、階級的団結に基づく自らの根源的力に目覚めていくために、日本労働者階級の最高の到達地平において武装し勝利し抜いていくということだ。「超インフレ」「大増税」「搾取・収奪の強化と戦争」以外に帝国主義が延命する道はない。これに対する労働者階級の勝利の武器は「団結と組織」以外にない。動労千葉は、それを実証する存在なのだ。
第2次国鉄決戦において動労千葉が国鉄労働運動の主流派になることと、日本階級闘争においてわれわれが主流派になることは完全に一体である。われわれは、動労千葉が起こした「奇跡」を全階級的に実現できる。それは、労働者の階級性と革命性に徹底して依拠し、資本とこれに対する屈服と妥協を組織する体制内勢力指導部と闘争し分岐を生み出し、革命的団結と組織をつくりだしていくことにある。その過程は、同時に自らの中にある資本主義に対する屈服としての体制内性を徹底的に打倒しうちかっていく過程としてある。団結を総括軸とするということは、こうした革命的主体を形成するということなのだ。
08年における第2次国鉄決戦の宣言と突入の中で、動労千葉とともに国労の中についに革命的闘争基軸が打ち立てられた。「国労5・27臨大闘争弾圧裁判被告団」である。
国労指導部は、JR資本との闘争を放棄したところで「労使正常化」や「解雇者の政治的救済」を描き、国鉄分割・民営化反対を貫く解雇撤回闘争の階級性を低め続けてきた。87年の国鉄分割・民営化、さらに90年の国鉄清算事業団による2度目の解雇をのりこえた国鉄労働者1047名闘争は、日帝ブルジョアジーと体制内指導部の思惑を超えて「解雇撤回・原職復帰」を求めて存在し続けてきた。したがって、この階級的解体のために日帝ブルジョアジーとその政治委員会は、一方で国鉄改革法23条を盾に「国鉄の不当労働行為の責任はJRにはない」として労働委員会における勝利命令を転覆する反動判決を下し、他方で体制内勢力指導部を使ってこの判決を越えられない壁として1047名への屈服を迫った。「4党合意」さらには「4者4団体路線」に基づく政治決着路線以外に道はないかのように描き出してきたのだ。
しかし、国鉄1047名闘争は日本階級闘争において、新自由主義に基づく規制緩和・民営化攻撃に対する労働者階級の不屈の闘いとして敵の破綻を突き出し続けてきた。
第1節 道州制攻撃粉砕せよ
今日、日帝ブルジョアジーは、世界金融大恐慌の本格的到来の中で「究極の構造改革」としての「道州制」導入の大合唱を始めている。これは、大資本に対する究極の規制緩和である。
国鉄分割・民営化を導入路とした「規制緩和」「民営化」が社会に何をもたらしたか。低賃金で徹底的にこき使われた上、景気の安全弁として雇い止め=「使い捨て」にされる派遣労働者の現実を見よ。医療体制は破綻し、病気になっても医者にかかれず、子どもを産む病院もない。高齢者、社会的弱者からは福祉が次々とはぎ取られている。大規模小売店舗法の規制緩和は、地方経済を破壊し中小商工主を駆逐した。農漁民は文字どおり「食べていけない」現状を強いられている。「道州制」とは、公務員労働者に対してこの労働者大衆の不満と怒りを向けることで、公務員労働運動をたたきつぶし、「大増税と搾取と戦争」によってますます生活と生存を破壊していくことにほかならない。
この新自由主義攻撃、規制緩和・民営化攻撃と全労働者階級の利害をかけて闘ってきたのが国鉄闘争であり、1047名闘争なのだ。これを「賞味期限切れ」と悪罵(あくば)する4者4団体派を許してはならない。1047名闘争は、いよいよ階級的に輝くときを迎えている。「賞味期限切れ」とは体制内労働運動指導部自身のことだ。
第2節 5・27裁判闘争の意義
国労5・27臨大闘争弾圧裁判は、国鉄1047名闘争の日帝ブルジョアジーと体制内指導部による清算・解体を階級的に突き破る闘いだ。「4党合意」による闘いの清算を拒否した闘争団組合員を統制処分にかけるために、国労本部は02年5月27日の臨時大会を強行開催した。この時、組合員らが本部方針に抗議してビラまき・説得活動に立ったことに対し、国労本部と警察権力は一体となって「暴力行為」をデッチあげて逮捕・弾圧を強行した。被告たちは自らの階級的存在をかけて1年以上にわたる獄中闘争を貫き、「国鉄分割・民営化絶対反対」の原点を断固として守り抜いた。これが5・27弾圧裁判闘争である。
米村事務局員および旧弁護団の解任、さらに松崎博己被告との裁判分離は、4者4団体の屈服路線を持ち込んで裁判の階級的地平を解体するもくろみに対する断固たる闘争と決別としてあったのだ。そして今、5・27被告団は自らの首をかけて闘っている。動労千葉とともに党の階級的立場を明確に確立したことに5・27弾圧裁判闘争の決定的地平があるのだ。
先にも述べたように労働者階級の存在と闘いとは、ブルジョア法の規範を超えたときその階級的エネルギーを解き放っていくのである。2月結審—今秋判決情勢を、われわれはJR資本との断固たる闘争によって迎え撃つ。
2・16集会を突破口に、4・25尼崎事故弾劾現地闘争の猛爆発をかちとろう。もってJR資本および国家権力を震撼させよう! 首を覚悟し、腹をくくった労働者に恐れることは何もない。獲得すべきは全世界だ! 動労千葉のように闘おう!