2009年2月 9日

東北石けん 第2波24時間スト打つ

週刊『前進』06頁(2378号4面2)(2009/02/09)

東北石けん 第2波24時間スト打つ
 “労働者の怒り見せてやる”

 東北石けん労働組合は1月28日の「東北石けん闘争勝利!総決起集会」と翌日の24時間第2波ストを圧倒的に闘いぬき、会社解散と全員解雇攻撃をはね返す団結と闘争体制を打ち固めた。
 総決起集会では洞口明委員長が「操業停止、全員解雇、会社解散の阻止へ断固闘うストだ。労働者の誇りと団結で闘う」と高らかに宣言した。
 書記長が経過報告を行い、「団結こそ労働者の最大の武器だ。解雇撤回まで闘う。動労千葉のように団結の拡大で闘う。『一人の首切りも許さない』を34年貫いて勝利した全金本山労組に学び、続こう」と力説した。
 ともに闘う弁護士や労働者、学生が次々にアピール。「全金本山闘争は門前闘争を基軸に怒りや団結を再生産させて闘い勝利した」「資本の論理で労働者を切り捨てるのは許せない。労働者は誇りをもって闘い、団結を広げる」
 クライマックスは組合員の決意表明だ。「ストで人生と価値観が変わった。自分たちにこんなに力があったのか。解放感でいっぱい」「労働者をなめるな。労働者の怒りを見せてやる。闘わずして未来なし」
 第2波ストは60人が工場門前に結集した。閉ざされた門には「本日、臨時休業」「当敷地内、許可なき者、立入禁ず」との掲示。門の中にはスパイ調査や警備の極悪会社や、東北大学有朋寮強制執行に投入されたブルースカイ警備保障のガードマンが配備されていた。社長の姿はない。本当に許せない。
 「社長は出て来い。解雇を撤回しろ。団交に応じろ」——朝7時、第2波ストの火ぶたが切られた。「思いきり闘う」という洞口委員長の決意表明の後、阻止線をぶち破り工場構内に突入した。組合員とともに先頭に立ったのは全金本山労組の労働者だ。全員解雇への怒りが炸裂。この迫力を前に、ガードマンも警察もまったく手が出せない。工場構内を完全に制圧し、社長宅前での集会が始まった。
 組合員が訴えた。「元気モリモリ、気合十分だ。会社を徹底的に追い詰める」「労働者が従う限りにおいて社長とは親子関係だった。われわれが奴隷の道を捨てた途端に非和解になった」
 仲間もアピールした。「会社が裁判で勝っても労働者は実力で職場に戻る」(全金本山労組・熊谷春男さん)「自分の人生は『一人の首切りも許さない』をまっとうすること。これを死ぬまで堅持する」(同労組・庄子和さん)
 第1波に続いて、再び職場が解放区になった。「解雇撤回、闘争勝利」のコールが響き渡る構内デモ。工場前を通過する車からも激励やガッツポーズ。周辺ビラまきも反応は上々だ。地元のテレビもトップニュース。社長は最後まで姿を現すことができなかった。
 ストに入ると労働者と資本家は非和解だと実感する。怒りがドンドンわいてくる。労働者が社会の主人公であるという誇りを取り戻すことができる。組合員の団結、地域の労働者・学生の団結を打ち固めることができる。ストの現場は最高の労働学校だ。
 第2波ストの現場実力闘争で解雇撤回の展望を開いた。東北石けん労組に続き、自らの職場でストを組織し、「生きさせろ!」ゼネストを闘い取ることを参加者全員が決意した。
 (投稿/みやぎ労組交流センターM)
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 【解説】
 東北石けん労働組合は07年5月、仙台市にある(有)東北石けん佐藤工場の従業員5人全員で結成。これに対し、会社は新工場建設(09年4月操業開始予定)と現工場解体を契機に組合をつぶすことを決断。
 08年11月、新工場の労働条件について団交要求をした組合に対し、会社は全員解雇を通告し、組合員に対する切り崩しを開始。2人の組合員が脱退したが、組合は臨時大会を開催しストライキで闘う方針を確立した。
 会社は今年1月17日、従業員5人全員に「新工場を別会社として設立し、現工場の3月会社解散、2月全員解雇、1月操業停止」という文書を一方的に送付した。
 組合は1月19日、年休で仕事をボイコット。1月22日に第1波24時間ストを打ち抜き、支援30人とともに社長と代理人の弁護士を徹底的に追及。1月29日には、支援60人とともにガードマン導入と警察権力の介入を粉砕し、第2波24時間ストを貫徹。社長は急きょ休業を通告、工場内の自宅に籠城(ろうじょう)。組合は2月以降の旧工場解体攻撃を打ち破る団結と陣形を打ち固めた。