2009年2月 9日

“解雇撤回” 国労5・27弾圧裁判 羽廣被告が不屈の闘志

週刊『前進』06頁(2378号3面2)(2009/02/09)

“解雇撤回あくまで貫く”
 国労5・27弾圧裁判 羽廣被告が不屈の闘志

 1月30日、東京地裁刑事第10部(植村稔裁判長)で、国労5・27臨大闘争弾圧裁判の第103回公判が開かれ、羽廣憲被告への被告人質問が行われた。羽廣さんは、1047名の当該として解雇撤回をあくまで貫く不屈の闘志を表明した。
 羽廣さんへの質問は、国鉄闘争の現状に関することから始まった。羽廣さんは、解雇撤回の原則を投げ捨てた4者4団体を批判して、「解雇された者が解雇撤回を掲げて闘うのは当然だ。首を切った相手に頭を下げることはできない」と断言し、4者4団体が10・24集会に機動隊を導入したことを徹底的に弾劾した。そして、「私たちの解雇撤回闘争は、闘う労働者すべての共同闘争だ。ともに闘う仲間がいる限り、自らが先頭に立って闘う」と宣言した。
 弁護団は、90年の清算事業団による解雇から今日に至る経過をつぶさに聞き出した。それに答えた羽廣さんの発言は、1047名闘争が国労本部の裏切りと絶えず対決しながら貫かれてきたことを全面的に明らかにするものだった。解雇撤回の原則を貫き闘いぬいてきた羽廣さんの、国労本部への怒りは深い。
 弁護団の質問は、鉄建公団訴訟の05年9・15判決のことに移った。羽廣さんはこの判決を法廷の原告席で聞いたという。羽廣さんは「解雇有効」という言葉を聞いた途端、「これは反動判決だ」と確信した。ところが原告団幹部は「折衷判決」と評価し、鉄建公団訴訟にかかわっていた5・27裁判の旧弁護人たちも、この判決を「司法が国鉄の不当労働行為を初めて認定した」と積極的に評価した。羽廣さんは旧弁護団を「私たちの気持ちが分かっていない」と痛烈に批判した。
 さらに羽廣さんは、松崎被告との弁論分離の問題に触れ、松崎被告が大規模農業経営者として生きていく道を選択し、地元の苅田町から認定農業者として表彰されている事実を暴いた。もはや松崎被告には解雇撤回闘争を貫く熱意は失せていると羽廣さんは断言した。
 06年12月に国労本部が鉄道運輸機構に対し損害賠償請求訴訟を起こすと、松崎被告はこれを賛美し、7被告を非難するビラを公然と出した。彼は今や4者4団体にくみし、動労千葉を「民同以下だ」と誹謗(ひぼう)しているありさまだ。
 羽廣さんは、1047名闘争の経過を振り返って、「修善寺大会は現場の決起で『大胆な妥協』方針を覆した。しかし、そこでつくられた執行部は、本当に分割・民営化反対だったのではなく、分割・民営化に屈していた。だから解雇撤回闘争を本気で闘う指導はできず、闘争団とかけ離れた政治解決方針を押し付け続けてきた。現場の組合員が闘う指導部を打ち立てなければ解雇撤回闘争には勝てない」と声を強めた。そして、「解雇の嵐が吹き荒れる今、22年間、解雇撤回を闘ってきた1047名闘争が原則を貫き闘うことに労働者階級全体の勝利の展望がある」と言い切った。分割・民営化以来の国労のあり方を、自分の体験に基づき、明快に総括しきったのだ。
 羽廣さんは、検察官や裁判官の質問には一切黙秘すると表明した。検察官が質問を始めようとすると、すかさず弁護団が異議を出した。裁判長は「質問に答える意思があるかどうかだけ確認を」と裁定し、検察官の質問は「一切答えるつもりはないのか」の一問だけで終了した。
 次回公判では、暴力行為等処罰法に関する荻野富士夫小樽商科大学教授の証言と橘日出夫被告への再質問が行われ、弁護側立証は終了する。次々回は検察の論告だ。大詰めを迎える公判闘争に総結集しよう。