体制内派「弱者救済」論のりこえ、資本主義打倒へ 革共同医療福祉労働者委員会
党派闘争貫きゼネストへ
体制内派の「弱者救済」論のりこえ、資本主義打倒へ
革共同医療福祉労働者委員会
医療福祉労働者委員会を結成し1年を迎える。資本家のために支配され生かされてきた存在から、奴隷の鎖を引きちぎる闘いに打って出るや否や、こんなにも濃密で躍動的な世界を獲得できる。この私たちの登場をもって、資本主義300年の歴史を終わらせる胸躍る世界革命情勢に突入した。1秒たりとも現状にとどまるな。資本や体制内が次々仕掛ける「労働者を軽んじ蔑視する考え」に取り込まれずに労働者を信じ、大胆に階級の中に分け入って行動を呼びかけよう。あらゆる困難を引き受け、全存在を階級的団結にかけきり、プロレタリア世界革命を成し遂げよう! 労働者階級には絶対にできる! そのためにゼネストを! ますます激しい党派闘争を! 職場闘争を! 地区党建設を! マル青労同1000人建設、階級の指導部づくりを!
第1章 資本の延命策=新自由主義は大破綻した
新自由主義は労働者を殺し社会保障制度を解体し、それまでの社会保障充実運動のような闘いすら無力な存在にした。体制内運動指導部は実力闘争を一切排し、要求運動(請願・署名運動)に純化していった。例えば国立病院民営化攻撃や、病院のIT化と一体の合理化攻撃、病院評価機構をとおした労働組合破壊攻撃に対し、医労連は現場の怒りをまったく信じず、闘いを組織せず、実力闘争を排して分断を受け入れ、労働組合としての屋台骨を自ら完全に折った。新自由主義攻撃とは、労働者(労働組合)が資本の延命に組織されるのか、団結して資本と闘い自らの強さに目覚め、革命を組織するのかの、資本にとって生死をかけた攻撃だった。それが大破綻したのだ。そしてわれわれは路線の純化をもって生き残った。
資本家は、この大恐慌情勢下で労働者が「生きさせろ! 労働運動の力で革命するぞ!」とあたり前の闘いを開始していることに恐怖している。そして究極の構造改革=道州制攻撃をとおして、労働者階級へのむき出しの、なりふり構わぬ支配に乗り出した。それは革命の現実性に資本家が恐怖しているからだ。
だから、この情勢は階級的労働運動路線によってしかチャンスにすることはできない。労働者階級にとってこの情勢は、資本主義社会を覆す決定的なチャンスである。それが道州制との闘いだ。
道州制は、全労働者・全社会にかけられた分割・民営化攻撃だ。公立病院の民営化だけでなく、医療福祉全体の民営化・市場化攻撃である。世界大恐慌下の道州制攻撃は、これまでの労働者への暴力支配とはまったく異なる。道州制が狙う医療福祉の市場化と資本の労働者支配は、医療福祉労働者にますます低賃金と超過密労働を強いる。体制内労働組合は1ミリたりとも労働者の利害を代表せず、労働者を「救う」という盾を構え、資本を救済するために労資共同で労働者のあたり前の闘い、生活防衛的闘いにまで襲いかかる。しかも世界大恐慌下の資本家に労働者を「救う」ことなどできない。ワークシェアリングは労働者の生きられない現実を労働者自身の責任に転嫁し、ますます労働者から搾り取る攻撃だ。
これとの闘いは、労働者の団結をかけたむき出しの賃労働と資本の激突だ。資本家階級の攻撃の中で、医療福祉労働者が自己犠牲的にかつ弱者救済的な「安全弁」として登場させられるのか、「賃労働と資本」の非和解の闘いで資本主義の弱点をとことん突く存在として登場するのか、これが世界大恐慌下で医療福祉労働者に問われている問題である。医療福祉労働者は実力闘争で階級の力強い結集軸になろう!
第2章 団結にかけきる強さ。労働者は闘う主体
われわれは何をかちとったのか。
第一に、「医療福祉労働者は賃労働者・賃金奴隷である。だからこそ革命の主体なのだ」という賃労働と資本の階級闘争への純化をかちとった。賃労働と資本の非和解的対決の中で医療福祉労働者は階級的団結をつくることができる。そして医療福祉労働者の団結は、全労働者階級の利害をかけた団結を形成し、資本主義を揺るがす階級の武器となることができる。
第二に、団結にかけきる強さをかちとった。階級的労働運動と社会保障充実化運動は違う。団結を総括軸にすえきり、闘いを要求に切り縮めず一切を階級的力関係で決着をつける以外に展望はない。だからまずもって職場闘争なのだ! 要求をどこまで得たかを総括軸にして闘争したときに労働者は「資本あっての労働者」という存在におとしめられる。反対に、職場闘争で団結を総括軸に資本と対決したとき労働者は誇りを取り戻し、「労働者はひとつ」という階級性を奪い返す。
第三に、敵は資本家であり、資本の支配を打ち倒す力が労働者の団結にあるとハッキリさせた。労働者がそうであるように、患者も救済の対象ではない。ワークシェアリングは階級分断の資本家の武器であるように、「よりよい医療論」「地域医療論」「聖職者論」「病院の主人公は患者論」などは、労働者が階級闘争の主体となることを解体する資本家の論理だ。徹底的にハッキリさせるべきは、敵は資本家であるということだ。そしてこの資本との対決の中で、これまでの分断されていた関係を、何ものにも代えがたい、絶対に手放せない団結に変え、分断そのものを打ち砕く力を持つことだ。
第四に、労働者は本来革命的存在であることを徹底的に鮮明にした。労働者を信じた分だけ労働者は必ず変わる! 労働者の持つ力を私たちこそ信じよう。労働者は闘いの中で、そして労働者が階級闘争で闘いとってきた英知であるマルクス主義と自分たち自身との格闘の中で、奴隷的な見方が自分自身をも縛りつける鎖であると見抜く。労働者は仲間の中で成長し、階級的なものの見方、生き方へ自己変革する。この力を信じて大胆に闘いの中へ、弾圧のただなかへ隣の労働者とともに飛び込もう! 労働者への信頼に裏打ちされた革命闘争だけが、敵の攻撃すら「弾圧は団結のチャンス!」と言い切る力を持つことができる。
第3章 職場での党派闘争と実力闘争は一体だ
資本主義社会は、労働者をどう取り込むかに一切がかかっている社会だ。なぜなら労働者がこの社会のすべてを動かしているからだ。だからこそ、この社会の歴史をつくっているのは「資本主義とともにあるのか、革命するのか」をめぐる激しい党派闘争だ。実力闘争のただなかでこそ、労働者がこの社会を立派に運営していけると確信する。そうすれば資本家に労働者を縛りつけようとする体制内的なあり方をぶっ飛ばす勇気が労働者の中からわいてくる。党派闘争なくして実力闘争なし。実力闘争なくして党派闘争なし。
われわれは実力闘争によってしか決着をつけられない世界大恐慌の時代に、党派闘争の正義性をつかみ、腹をくくり、その中で飛躍した。そして労働者が党派闘争をとおして、職場支配権と社会を変革する主体性を獲得する職場闘争を始めた時に、必ず革命が問題になることをつかんだ。労働者は必ず革命の力に目覚める。ここに確信を持ち、党派闘争に逡巡(しゅんじゅん)するこれまでの関係をぶっ壊そう!
この職場での階級的労働運動の実践の中にこそ、待ったなしの地区党の飛躍、革共同の路線の純化、世界革命の現実性がある。職場闘争を軸に地区党の団結とがっちり組んで闘ってきたわれわれは、職場で「一人」や「一フラクション」「一労組」として存在していない。われわれは全国・全世界で一体のものとして、誇り高く、主流派として職場に登場しよう!
団結だけにかけきる底抜けの明るさで、革命という希望の光を放とう!
大恐慌の中で労働者の団結にかけきり、ますます意識的に職場での階級的労働運動にかけきろう! 09年、実力闘争への組織化にかけきってゼネスト情勢を切り開き、職場での権力闘争に大胆に、断固として打って出よう!