2009年1月26日

団結ひろば 投稿コーナー

週刊『前進』06頁(2376号6面1)(2009/01/26)

団結ひろば 投稿コーナー

 第1章 会社解散・解雇の撤回求め石けん労組スト 東北石けん労働組合執行委員長 洞口 明

 仙台市の、純石けん「釜出し一番石けん」を製造している有限会社・東北石鹸佐藤工場の労働組合、東北石けん労働組合は、組合つぶしのための「会社解散・従業員全員解雇」攻撃に対して、1月19日、24時間ストライキに突入しました。
 この間、営業譲渡、工場移転合理化を進めてきた東北石鹸資本は、新オーナーのもとで工場を移転する動きを労働組合を無視して進めてきましたが、組合の団体交渉要求に追い詰められ、さらに攻撃をエスカレート。17日に開かれた団交で、弁護士を立てた上で「会社解散、全員解雇」を通告してきました。
 これに先立って組合では臨時大会を開催してスト権を確立して団交に臨みました。団交の場では、会社の攻撃に怒りを爆発させ、組合員、組合側同席者の長谷武志さん(全金本山労組副委員長)が一丸となって会社を徹底的に追及しました。「法にのっとって」と繰り返す会社に、私たちは現場で実力で反撃する意志をたたきつけました。
 19日、当初の方針にはありませんでしたが、青年のA組合員の「もう会社に何の協力もしたくない」という声を受けて、他の組合員もまったく同感。即座に朝礼中の会社に対して、「こんな仕打ちを受けて身も心も働ける状態ではない。今日は休みます」と通告して、山猫ストライキに突入しました。この一撃で会社はまったく仕事が回らない状況にたたき込まれました。
 “労働者の怒りを思い知れ! 工場を回しているのは労働者だ!”という真実を会社に「音の出る」形で突きつけたのです。
 東北石けん労組は、文字どおり「生きさせろ!」09ゼネストの先陣を切る闘いに突入しました。今後何度でもストライキに突入して、会社に大打撃を与え、会社の悪行を社会的に暴き、支援の陣形を強固につくり上げながら闘います。地域の労働者・学生・市民の総結集で闘います!
 ★東北石けん労組は1月22日、19日の年休ストに続いて第1波の終日ストライキ闘争に決起!(『前進』速報版参照) 

 第2章 第1波津田沼デモ!飛び入りの参加者も 千葉 HA

 千葉・習志野で1月18日、「生きさせろ! 第1波津田沼デモ」を掲げた千葉春闘団結集会実行委員会主催の集会とデモが行われた。京成・新津田沼駅近くの津田沼第一公園に千葉で闘う労働者40人が結集した。直前の街宣で知り合った4人の中学生グループも飛び入りで参加だ。
 司会のちば合同労組の青年労働者が開口一番、「皆さん、もう資本主義は終わりです。労働者の団結でぶっ倒しましょう! 一緒にデモをやりましょう!」と元気良く呼びかける。最初に動労千葉を支援する会の山本事務局長、続いて三里塚現闘本部、医療労働者の発言と続く。最後にワーカーズアクション実行委員会の青年がとりわけ大きな声で「1・29経団連デモに立ち上がろう」と訴える。
 デモ出発。新津田沼駅前とJR津田沼駅前を結ぶ繁華街を2往復するコースだ。若い女性がケータイで何度もデモ隊を撮影。年輩の女性が「私もデモに参加したいんですが、これから仕事なので。頑張って下さい」と話しかけてくる。中学生もボードを掲げて一緒に大声でコールを叫ぶ。JR津田沼駅前ではロータリーを一周。ここでも笑顔で注目する人が多い。デモ後の参加者の表情も全員明るい。「今日一日闘って良かった」
 集会・デモに先立ち、新津田沼駅前で、20人を超える参加で街頭宣伝を行った。「自分も派遣切りされた」と怒りを表明する労働者、「高校生の就職口をなくさないで欲しい」と女子高生。街頭は怒りであふれている。職場で街頭で労働者の怒りを解き放ち、「生きさせろ!」ゼネストに向かって突き進もう!

 第3章 経団連デモの訴えに「革命やらなくちゃ」 なんぶユニオン T

 1月20日夕方、東京・品川駅高輪口で一般合同労組なんぶユニオンが街頭宣伝を行った。
 一日の仕事を終え路上にあふれるばかりに行き交う労働者に「森精機の派遣労働者のように団結してストライキで闘おう!」「1・29経団連に対する怒りのデモに参加しよう!」と呼びかけた。家路を急ぐ労働者も足を止め、そこかしこで討論に。資本による大量解雇への怒りと、資本と非和解で闘う労働組合への共感は、皆共通だ。
 駅前の京品ホテルを経営者が勝手に売り払い解雇された労働者が退去命令をはね返して自主営業していることを、誰もが知っている。
 ユニオンの労働者の提起に応えて「『生きさせろ!』ゼネストの実現をめざす団結署名」にペンを走らせながら、「革命でもなんでもやらなくちゃね」と女性労働者が力を込めて語った。資本家どものやりたい放題にさせておくわけにはいかない。森精機のようなストの実現に向けて街頭をさらに熱いものに!

 第3章 東大安田決戦40周年許されぬ歴史の偽造 東大闘争元被告 山本卓雄

 1969年1月18〜19日の東大安田決戦から、早くも40周年を迎え、マスコミもテレビや新聞が幾つも特集を組んだ。
 そのほとんどが現在につながらない過去の消耗な回想だったが、なかでも日本テレビが1月14日に放送した「東大落城」という2時間のドラマ仕立ての特別企画は、特にひどかった。歴史の偽造そのものでもあった。
 一方の主役が権力側の現場指揮官だった佐々淳行(警視庁警備一課長)で、その言動なども怒りに堪えなかったばかりか、学生側の主役が工学部列品館に立て籠(こも)ったML派(毛沢東主義派)だったことも、安田決戦の実際の主軸とはかけ離れていた。列品館は重傷者が出たりしたため、早々と白旗を掲げて落城した。しかもML派はとっくに消滅し、現在の階級闘争とは無縁だ。
 法文2号館から一人残らず敵前逃亡したカクマルは問題外だが、最大の主役の一人である東大全共闘の山本義隆議長も、最大部隊の中核派も、まったく出てこない。
 思い返せば、わが中核派は全国結集した二百数十人の部隊で、70人以上が籠城(ろうじょう)した東大全共闘とともに、最後まで責任を取り切って闘った。中核派は、安田砦防衛の最重要部署である2階と、時計塔の6階、そして正門を入って右側の要衝、法研(法学部研究室)を受け持ち、大量の火炎瓶、鉄パイプと、石やブロック片で徹底抗戦し闘った。
 2日間の逮捕者総数は786人、起訴は540人。私の大学は東大全共闘に次ぐ50人の部隊が上京して籠城し、法研砦(とりで)死守戦を軸に奮戦。私自身は1年8カ月近く未決勾留され、2年の実刑をくらった。
 「安保粉砕・日帝打倒」「帝大解体」などのスローガンを掲げて闘われた東大闘争の歴史と精神は、革命勝利をめざす現在の革共同と中核派の闘いの中に生き生きと継承されている。

 第5章 松原市立病院の3月閉鎖—全員解雇攻撃 大阪 渋谷あかね

 大阪府南部の松原市で公務員労働者の大量解雇攻撃が始まった。昨年11月28日、中野孝則市長は「市民病院来年3月閉鎖」を発表した。私は「9月末の銚子市立病院閉鎖に伴う185人の医師や看護師の全員解雇は絶対許せない。いよいよ大阪でも公務員全員解雇攻撃が始まった」と、労組交流センター自治体労働者部会の仲間と「市長のクーデターは許せない! 解雇絶対反対で闘おう」とビラを作り、まきに行った。
 市長の閉鎖発表の引き金になったのは07年12月の総務省「公立病院改革ガイドライン」だ。すべての自治体に年度内に公立病院経営改革計画を作ること、赤字病院は3年以内に結果を出すこと、結果の出ない病院はつぶしてしまえと激しく迫っている。市長と与党自民・公明は「建て替えに100億円もかかるから再建は無理」と突然閉鎖を発表し、12月議会で廃止条例を通過させたのだ。道州制を進める橋下府知事は「どこかで決断しないと自治体の財政は逼迫(ひっぱく)してしまう」と市長のクーデターを支持した。絶対許せない! 病院労働者は院長から「明日閉鎖発表」と聞いた27日、80人が市役所に押し寄せ、市長追及・弾劾に立ち上がった。病院存続を求める署名は2カ月で3万5千も集まっている。
 許せないのが日共・自治労連だ。目の前で170人を超える労働者の生首が飛ぼうとしているのに、日共のビラや主張は病院労働者への解雇攻撃に一切ふれていない。
 病院労働者は私たちのビラまきを歓迎し、「首になったら行くところがない。解雇は許せない」と怒り、国鉄分割・民営化絶対反対、解雇絶対反対の動労千葉の闘いに共感を示した。民営化や解雇攻撃に怒る労働者と結びつき、絶対反対で闘う医療労働者の総決起をつくりだそう!