2・16国鉄・春闘集会に結集を 「1047名の解雇撤回」「生きさせろ!」の闘いに
2・16国鉄・春闘集会に結集を
「1047名の解雇撤回」の旗高く
「生きさせろ!」の闘いの最先頭に
大量首切り攻撃がすさまじい勢いで広がり、被解雇者を先頭とする労働者階級の一大決起が始まっている。資本主義300年の歴史が終わりの時を迎えた。もはや後のない世界的な大恐慌を、プロレタリア世界革命へと転化すべき時がついにやって来た。この激動の中で、日帝国家権力による国鉄1047名解雇撤回闘争の解体攻撃がいよいよ激化している。同時に、国鉄闘争の中から生み出された4者4団体路線推進派の屈服と変質がいっそう激しく進み、革共同から脱落・逃亡した平田一派が、その最も悪質な先兵として登場してきている。こうした情勢の中で動労千葉は、1047名闘争の階級的な再構築への重大な決意をこめて「国鉄1047名の解雇撤回! 09春闘勝利 2・16労働者総決起集会」(要項別掲)を呼びかけている。この闘いこそ「生きさせろ!」ゼネストの根底的な爆発の扉を開く闘いだ。
第1章 4者4団体との対決貫き1047名闘争の発展を
4者4団体は、昨年秋に開催した「10・24集会」に警視庁・機動隊を導入するという暴挙に手を染めた。「解雇撤回要求を貫け」と訴える国労組合員らを「妨害勢力」と言いなし、警察の手を借りて集会から排除したのだ。この決定的事実こそ4者4団体路線推進派の腐敗と転落をまざまざと示している。彼らにとって「国鉄分割・民営化絶対反対、解雇撤回」の原点など、もはや屈服和解の妨害物でしかない。自ら原則を投げ捨てた瞬間に、あくまで原則を貫いて闘うものを平気で警察に売り渡すまでに一直線に転落したのだ。
核心は階級協調の思想であり、プロレタリアートの持つ力への不信とブルジョアジーへの信頼だ。体制内派にとって、1047名の被解雇者は「闘う主体」ではなく「解雇された犠牲者、救済の対象」でしかない。彼らは、「6月までに170万人」(東京新聞 1月12日付)と言われるすさまじい首切り攻撃を強行しているその張本人どもの前にはいつくばり、その「良心」に期待して救済をお願いしているのだ。激しい怒りを爆発させて決起を開始した数十万人の被解雇者、2千万青年労働者らに“政府や資本と闘っても勝てない。頭を下げて救済をお願いするしかない”と制動をかけているのだ。
第1節 「警察導入論はデマ」の大うそ
この「機動隊導入」という決定的事実について、国労5・27臨大闘争弾圧裁判の旧弁護団らはこの間、「『警察権力の導入』論はデマ」という苦しまぎれの大うそを叫び始めている。こんな主張は集会現場にいた人であれば誰も信じないが、いま一度、10・24集会の真実についてはっきりさせたい。
集会当日、日比谷野音正門前には機動隊が横一列に並んでピケを張った。機動隊の隊長は「主催者の警備要請により、配置に着きます!」と連呼しながら警官隊を正門前に並べた。警察の背後には在京闘争団幹部らが並び、警察と一緒になって闘う国労組合員を排除した。会場にやってきた参加者は、舞台裏の入り口に回され、警察と主催者がつくる狭い列を通され、「面通し」までやられた。国労の現場組合員や支援の労働者は一様にわが目を疑い、「ここまで転落したのか」と激しい怒りを爆発させた。
10・26団結まつりで在京闘争団幹部は「おまえらを排除するために機動隊を入れたんだ。なにが悪い」と居直った。4者4団体の屈服和解路線の正体、それが「10・24集会への機動隊導入」の事実に凝縮されている。
第2節 1047名闘争の力を解き放て
動労千葉主催の2・16集会は、「生きさせろ!」の闘いの最先頭で新たな1047名闘争の開始を宣言する集会だ。
国鉄1047名闘争は戦後労働運動史上に前例のない画期的闘いだ。国家の総力をあげた労働運動根絶攻撃を打ち破り、20年以上にわたって連合に抗する強烈な対抗軸、労働者階級にとってかけがえのない結集軸として存在し続けてきた。
そして、ついに資本主義は終わりの時代を迎えた。1047名闘争が、全社会からわき上がる社会変革の熱烈な要求と結びつき、「首切りは絶対に許さない! 解雇撤回!」の原則を貫いて最先頭に立つならば、たちどころに5万人、10万人の労働者人民を結集することはまったく可能な情勢が到来している。さらに、国鉄分割・民営化攻撃の決着が何ひとつつかない中で「公務員360万人の全員解雇・選別再雇用」という自治労・日教組解体攻撃との大決戦が始まる。1047名闘争こそ、巨万の労働者を「生きさせろ!」ゼネストに決起させる決定的水路であり、動労千葉労働運動をあらゆる職場に拡大していく闘いだ。
だからこそ今、4者4団体を始めとするあらゆる体制内派との闘いが激化しているのだ。それは「労働者とはいかなる存在か」「いまの時代に労働組合はどうあるべきか」という根本問題をめぐる路線闘争だ。資本主義の「最後の防波堤」「救済者」として登場しつつある体制内派の正体を暴き出し、1047名闘争が本来持っている無限の力を解き放っていかなければならない。
第2章 屈服和解路線を賛美する体制内派の先兵=平田派
4者4団体が反動的正体をさらけ出す中で、革共同から脱落・逃亡した転向スパイ集団=塩川一派、平田一派が、4者4団体路線の最も悪質な先兵として登場してきている。とりわけ平田一派は「革共同の国鉄闘争論批判」なる文書で4者4団体の全面擁護を始めた。塩川一派も「警察導入」という事実に一言も触れずに機関紙で「10・24集会」を賛美している。
彼らは、4者4団体との対決を貫いて画期的地平を切り開いた11・2労働者集会—3労組共闘の前進、5・27裁判7被告の自己解放性あふれる闘いに追い詰められ、国鉄闘争の戦場に引きずり込まれてきたのだ。
第一に、そもそも平田文書の目的は何かということだ。それは、4者4団体路線の全面擁護、そして「動労千葉排除」に尽きる。そのために、あらゆるペテンを振り回しているにすぎない。彼らは1047名闘争の原点が「国鉄分割・民営化絶対反対、解雇撤回」にあることを一切語らないばかりか、「解雇撤回を掲げ続けることは愚策」「家族を抱え10年、20年と闘いを展開していくことは一般的ではない」「労働組合運動は資本主義の枠内の要求実現のためのもの。資本主義の枠内で解決することは妥協。その妥協が高いレベルか低いレベルかは判断基準ではない」と4者4団体の裏切りを擁護し、他方で、「動労千葉は民同以下」「手練手管、口八丁手八丁の物取り主義」とののしっている。
4者4団体幹部は「しょせん鉄建公団訴訟は負け戦」「闘争団と家族はもう持たない」「解雇撤回は玉砕」と敗北主義をまき散らし、1047名と家族を屈服和解路線で制圧しようとしている。平田一派はその最も悪質な先兵として“解雇撤回を下ろしても裏切りではない”“原則を貫くことは労働組合には求められていない”と言っているのだ。こんな屈辱的和解で労働者階級の闘いが一ミリでも前進するというのか!
第二に平田一派は、「革共同の『警察導入論』は自らの危機を隠蔽するための問題のすり替えだ」と述べて10・24集会への機動隊導入さえ擁護している。それどころか平田一派—松崎被告は、闘う国労組合員が警察権力と闘い、4者4団体幹部を弾劾している間中、その一部始終を舞台裏の入り口脇で黙って見ていた。権力の弾圧を容認し「第2の5・27弾圧」策動の加担者にまで転落したのだ。
第1節 分割・民営化攻撃に白旗をあげる
第三に、こうした平田一派—松崎被告の腐敗と転落は、05年9月15日の鉄建公団訴訟東京地裁判決に対する彼らの全面賛美に鮮明に示されている。平田一派は「9・15判決は国家権力の闘争団解体策動を頓挫させ、国労本部の屈服・転向方針を吹き飛ばした」と諸手をあげて賛美している。
9・15判決とは1047名闘争をなんとしても解体しようとする日帝支配階級の国家意志そのものだ。判決は、国鉄清算事業団による90年解雇の撤回を求める原告の訴えを退け、「正当な評価を受けるという期待権を侵害された」という名目でわずか500万円の慰謝料支払いを命じたにすぎない。しかも、国鉄時代に停職6カ月以上または2回以上の停職処分を受けた原告は慰謝料支払いの対象からも除外された。動労千葉争議団、停職処分を理由に不採用となった本州闘争団員を救済対象から排除した。つまり“分割・民営化反対で処分されたやつらは本州3会社が欠員でもクビで当然”と言っているのだ。9・15判決は、国鉄労働運動絶滅という分割・民営化攻撃の核心をゴリゴリ貫いている。平田一派はこの9・15判決を賛美することで分割・民営化攻撃に白旗をあげ、体制内的な地金をさらけ出した。
第四に平田一派は、自らの屈服を合理化するためにのみ「革命運動は、労働組合運動とは相対的に区別された革命闘争として展開されていく」と“労働組合と革命運動の分離”論を展開し、動労千葉労働運動の否定に躍起になる。そして彼らの実践的結論は、「妥協は当然」「原則を貫くことは愚策」というとんでもない反マルクス主義に行き着く。これが階級的労働運動を職場生産点で実践するという最も困難な闘いから逃げ、革共同から脱落・逃亡した平田一派のなれの果てだ。
マルクスには「労働組合運動はもっぱら資本主義の枠内で闘う組織、革命運動は党がやること」という労働組合観はみじんもない。また、動労千葉の中野洋前委員長は新版『甦(よみがえ)る労働組合』で「労働組合は労働者階級が団結する手段だ。さらに労働組合というのは、階級対立に伴う社会全体の転覆の準備手段である。つまり階級対立をなくすための社会転覆の準備をするところだ。……労働組合運動の中で労働者階級は、自分たちが権力を握った時の能力を身につける」と述べている。このことをはっきりさせたのがマルクス主義なのだ。
第3章 体制内労働運動の限界を打ち破ってきた動労千葉
いよいよ1047名闘争がその本来の力を甦らせ、その勝利に向かって突き進むべき時が来た。だからこそ、体制内労働運動の限界を打ち破り続けてきた動労千葉の闘いの地平についてはっきりさせることが重要だ。
国鉄闘争をめぐる党派的な分岐・激突は、今に始まった話ではない。1047名闘争の全歴史は、一貫して「和解路線」をひた走ってきた国労本部、協会派、日共スターリン主義、カクマルとの熾烈(しれつ)な党派闘争の連続だった。そして、こうした体制内党派の転落の原点は、なによりも国鉄分割・民営化反対闘争過程にある。
戦後最大の労働運動解体攻撃の嵐が吹き荒れる中で、すべての党派が「国家権力が本気でやってきたら結局は負ける」「これだけ攻撃が激しい時代には頭を低くしてたこつぼに入るしかない」と闘わずして屈服する道を選んだ。カクマルは敵の先兵になり果てた。
中野洋前委員長はこの過程を振り返って、「そういう思想に日本の労働運動はずっとおかされてきた」「僕は書記長の時から『民同労働運動を乗り越えるということはどういうことか』と考えてきた。それは根底的には、動労千葉に結集している労働者の階級性、本来労働者が持っている力を掛け値なしに全面的に信頼し、それに依拠して闘うということだ」と言い切っている(『俺たちは鉄路に生きる2』)。
重要なことは、動労千葉がこの立場を具体的な実践の中で貫き続け、体制内的な労働組合運動の「常識」を打ち破り続けてきたことだ。日々の職場闘争を土台とした階級的団結と戦闘的指導部の形成、「ゼニカネが問題ではない」と組織の総力をあげて決起した三里塚ジェット燃料貨車輸送阻止闘争、動労本部からの分離・独立闘争、国鉄分割・民営化絶対反対を掲げた2波のストライキ。「闘えば分裂する」どころか、動労千葉の組合員はストライキで圧倒的に団結を固めた。
89年〜90年3月には、動労千葉は3波のストで90年4月1日の清算事業団解雇を迎え撃った。JR体制下でのこの闘いは国労の現場労働者の魂を揺さぶり、国労もストに入らざるをえなくなった。国労本部の「全面一括解決」なる和解路線は吹っ飛び、清算事業団に踏みとどまって闘い抜いてきた国鉄労働者1047名が「解雇撤回・原職復帰」を求めて決起したのである。
動労千葉の闘いの歴史は、職場生産点での団結と職場支配権をめぐる死闘の中から、スターリン主義によって踏みにじられてきたマルクス主義を現場労働者の手に奪い返し、体制内労働運動の限界を突き破り、労働組合を闘いの武器として甦らせてきた過程そのものだった。
だからこそ日帝支配階級、JR資本、裁判所、さらにすべての体制内党派が動労千葉を排除し、動労千葉労働運動を否定することに躍起になる。「動労千葉排除」は1047名闘争解体の核心問題なのだ。
第1節 検察側の論告を迎え撃つ7被告
4者4団体路線絶対反対の闘いを先駆的に切り開いてきた国労5・27弾圧裁判7被告は、動労千葉と共催で12・14国鉄集会の大成功をかちとり、動労千葉と並ぶ第2次国鉄決戦の主体に躍り出た。
7被告は2・27公判で、検察側の論告という重大段階を迎える。現職の5被告は有罪判決が出れば解雇の危険性もある。JR資本と裁判所、そして国労本部が一体となった「指名解雇」ともいうべき攻撃を絶対に許してはならない。7被告はJR資本の憎悪を一身に受け、なおかつ1047名解雇の責任をJR資本に問い、尼崎事故弾劾—反合・運転保安確立の先頭に立ち続けてきた。「有罪判決、来るなら来い!」と大反動を引き受け、全人生をかけて闘い抜いている。この5・27被告団の闘いは、国労本部の奴隷的屈服と裏切りを体を張って暴き続け、国労内の分岐を促進し、JR本体の職場で苦闘する全国鉄労働者、とりわけ青年労働者を獲得する力を持っている。国労5・27弾圧粉砕闘争は、1047名闘争のいまひとつの基軸であり、全国の職場に「第2、第3の動労千葉」をつくり出す闘いの最前線だ。
「2・16労働者総決起集会」に総力結集し、新たな1047名闘争を圧倒的に登場させよう。
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■「2・16」とは?
国鉄分割・民営化を目前に控えた1987年2月16日、国鉄労働者7628人がJR不採用を宣告された。多くの労働者が、生活上のやむをえない理由からJR以外への再就職や本州JR会社への広域採用に応じたが、あくまで「解雇撤回・原職復帰」を求めて国鉄清算事業団に踏みとどまった1047名が、90年4月1日付で清算事業団から解雇された。ここから国鉄1047名解雇撤回闘争が始まった。