2009年1月12日

団結ひろば 投稿コーナー

週刊『前進』06頁(2374号6面1)(2009/01/12)

団結ひろば 投稿コーナー

 第1章 解雇撤回を要求して人生初のストライキ 合同労組かながわ E

 合同労組かながわ交通機械サービス分会は、12月26日、満を持してJR東日本大井町工場で24時間ストライキに打って出ました。
 ストライキ要求項目は以下の通りです。
 (1)会社はA組合員に対するパワハラをやめよ。パワハラの責任の所在を明らかにし、謝罪せよ。(2)会社はA組合員に対する職場配転を撤回し、謝罪せよ。(3)会社は12月27日の雇い止め=解雇を撤回せよ。(4)契約社員に有給休暇をよこせ。
 A組合員は(株)交通機械サービス(JR東日本大井町工場=東京総合車両センターの孫請け)の契約社員(7月〜12月)です。7、8月に工場内で「日刊動労千葉」を運転士などに渡していました。会社はこれを知って驚愕(きょうがく)し、朝礼や社内報で「『日刊動労千葉』をまいているような人はやめてもらう」と怒声を発し、A組合員のロッカー、バッグを開け写真を撮りました。1週間後に職場配転攻撃をかけ、殴る蹴る、ハンマーやブリキ缶を投げるなどの暴行、「速く仕事をやれ。山猫ストをやっているのか」の暴言などを連日のごとくやってきました。
 A組合員はくじけそうになりながらも「こんな攻撃に屈してなるものか。いつか必ず一矢報いてやろう」と考えていました。
 ストライキは貫徹され、門前では11人の合同労組かながわ、なんぶユニオンの労働者が結集し、決起集会を終日やりました。A組合員は慣れないマイクを握り、目の前にいる職制に怒りの弾劾をたたきつけました。会社から受けているパワハラをもう我慢できないと腹の底から怒りを発しました。一日中門前は解放区となり、労働者はほとんどビラを受け取り、A組合員を激励する人もたくさんいました。
 A組合員は「人生で初めてのストライキだ」と空気入っていました。世の中は革命情勢です。大量首切りが始まっている中で「生きさせろ!」ゼネストにうって出よう!

 第2章 羽越線事故3周年にJR新潟支社を弾劾 新潟 N・S

 5人死亡、33人負傷の羽越線事故から3年の12月25日、風雨の中、「JR・国は羽越線事故の責任をとれ! 1047名の解雇を撤回せよ!」のシュプレヒコールが、JR東日本新潟支社に向かってたたきつけられた。
 夕方、クリスマスでごったがえす新潟駅万代口に、「早期解決をめざす12・7集会」で4者4団体を徹底弾劾した国労現場組合員や交流センターの仲間が結集して座り込みとビラまきが行われた。また「派遣・期間切り」に「森精機のようにストで闘おう」と呼びかけるビラまきを連日行っている新潟地域一般ユニオンが合流した。
 座り込んだ25名の仲間に向かって、この行動を呼びかけた国労新潟支部執行委員の星野文男さんは、「庄内空港との競争をやったために起こった事故だ。原因は国鉄の民営化にある。事故当時の松田会長は民営化で20万人の首切った張本人。今も羽越線事故の責任をとらず相談役に居座っている」と弾劾し、「労働組合をよみがえらせよう。第二、第三の動労千葉をつくろう」と訴えた。
 続いて4・25尼崎現地全国闘争を呼びかける関西労組交流センター代表の富田益行さんからの連帯アピール、解雇撤回の原則を貫く国労秋田闘争団の小玉忠憲さんからの連帯アピールが読み上げられた。そして参加した地域一般ユニオン、青年労働者、タクシー労働者、自治体労働者が次々と新自由主義を激しく弾劾した。2時間にわたる座り込みは、圧倒的な注目をあび、「がんばってください」と声をかける青年、ビラを求める労働者も多かった。

 第3章 職場ビラで即日解雇闘い宣言し街頭署名 青森 M・K

 12月23日、昨日降った湿った雪が所々凍り、最高気温が2・6度の中での”解雇撤回街宣”をやりぬきました。
 市の業務委託を受けている職場で、仲間がビラ(11月集会など)を職場でまいたら、会社の秩序を乱すなどと言って予告期間もおかずに即日解雇されました。「絶対許せない!!」っていう怒りと、今までつくってきた団結によって労働組合を結成し、先日会社に団体交渉を開かせました。
 「労働者は生きるために立ち上がろう」と呼びかけたことに会社が恐怖して、あせって解雇してきたのです。私たちは、絶対解雇は認めないと会社に宣言し、この日街宣に打って出ました。
 当初、2人だけの街宣の予定でしたが、県外在住青森出身の労働者がたまたま帰省していて、この街宣にも来てくれました。3人で約3時間、536枚のビラを渡すことができました。
 「解雇、派遣切り、雇い止め、人の首を切るっていうことがまかりとおっている今の社会は許せない。わたしたちは一人の首切りも許さない原則をとことん貫く闘う労働組合です」と街頭でガンガン訴えました。
 18筆の解雇撤回署名が集まりました。メッセージの内容がすごい。「自分の職場も清掃とか外注されて大変」「解雇やめてください」「労働者が社会を支えているんです。がんばれ」「未来を築こう」など熱いメッセージをいただきました。寒さなんて忘れちゃって、本当に熱い街宣になりました。年末年始、熱い街宣を続けます!!

 第4章 「マツダに闘う組合を!」と連日の訴え 広島県労組交流センター K

 広島県労組交流センターは、マツダの労働者に対し、連日早朝宣伝活動を行っている。12月18日には、マツダ本社工場の最寄り駅・向洋(むかいなだ)駅前に8人で登場し、マイク宣伝とビラまきを行った。「生きさせろ! 俺たちはモノじゃない! マツダに闘う組合を」と書かれた黄色ののぼりと県労組交流センターの赤いのぼりを掲げ、「一人の首切りも許すな! 闘う労働組合をよみがえらせ、団結して闘おう!」と訴えた。
 列車が到着するたびにものすごい流れとなって労働者が工場へ向かっていく。その中で、1時間半で「史上最高の」600枚のビラが受け取られた。以前の10倍以上だ。
 反共御用労組の連合・マツダ労組は組合員に対し、「一切ビラを受け取るな」という指示を徹底している。この間も十数名のマツダ労組幹部らがビラまきを監視し、労働者を威嚇してきた。しかし労働者は寒さの中でポケットに突っ込んだ手を出して、ドンドンビラを受け取り、堂々と歩きながら読んでいく。
 「1600人もの派遣切りに何も闘わないマツダ労組執行部は正社員も絶対に守らない。組合を現場労働者の手に取り戻し、首切り絶対反対・解雇撤回・大幅賃上げを掲げてストライキで闘おう」というアジテーションに対し、反動組合幹部連中は何も言えず、顔を引きつらせるのみ。駅構内のタクシー労働者も「客に渡すよ」とビラを何枚も受け取り、宣伝隊の訴えに「そうだ!」と大声で声援を送った。
 「ゼネストはやれる。絶対やってやる!」——広島の闘う仲間は、年末年始、さらにマツダをはじめ全労働者にゼネストと革命を宣伝・扇動し、組織する闘いを推し進めていく。

 第5章 労働者階級の三里塚への決起を促す一冊 三里塚現闘 外山正幸

 わが三里塚、待望の書、『農地収奪を阻む』が出た。11・2集会の直前に手にしたこともあってただちにオルグに役立てようと第Ⅲ部の「三里塚労農連帯の地平」から興味深く読んだ。著者である反対同盟事務局次長の萩原進さんと動労千葉の中野洋前委員長の対談だ。テーマは、21世紀の新たな時代の三里塚闘争論。
 ジェット闘争を共有した労農連帯の地平をしっかり踏まえ、既成指導部をのりこえて労農のそれぞれを指導してきた2人のトークは、帝国主義の最後の延命策=新自由主義が総破綻した中で、大路線をめぐって展開されていて意義深い。
 近年、成田駅での反対同盟の宣伝活動において空港関係の労働者が反対同盟に共感を寄せてきているのが目立つ。工事そのものに携わっている建設作業員、空港内のサービス業、パイロットをはじめ航空会社社員などさまざまだ。「空港城下町」である成田市で4万人の労働者が空港関連だといわれている。空港が一市の縮図のようにしてある。資本主義の崩壊が迫っている今、空港機能はいつ停止するとも知れない不安定な中にあるということだ。反対同盟の闘いはその労働者の心に必ずや届くに違いない。
 萩原さんが「三里塚闘争を闘えない労働運動は労働運動も闘えない」と語り、「三里塚は労働者の直接利害がかかった闘争」と中野さん。農地死守の反対同盟と連帯し、動労千葉と共闘する労働組合の赤旗が空港を包囲して林立する時、空港内の労働者が階級として決起する。これこそ「空港廃港」の現実性であることを対談が浮き彫りにしていた。必読だ。