2009年1月12日

法大弾圧裁判 4つの裁判を白熱的に闘う

週刊『前進』06頁(2374号5面4)(2009/01/12)

法大弾圧裁判 弾圧の全容を解明
 4つの裁判を白熱的に闘う

 08年末の10日間に、四つの法大裁判すべてが白熱的に闘われた。
 12月17日は7・24建造物侵入デッチあげ裁判、22日と25日は5・29デモ弾圧裁判の第2、第1グループ、そして26日は5・28暴行デッチあげ弾圧裁判が行われた。
 7・24と5・29の3法廷は、いずれも清宮隆法大前総務部長に対する反対尋問となった。弁護団と被告団の総力をあげ、06年3・14以来の法大弾圧の全容を解明する闘いをやりきった。
 25日の第1グループの公判では、法大生・内山佳久君や内海佑一君を先頭に、清宮にトドメを指した。清宮は06年3・14弾圧のとき、前総長平林千牧らと結託し、「事前に麹町署で警察官と何度も相談し、あらゆるシミュレーションを行った」「デモが大学構内に入るのを合図に、柳沼理事の判断のもと私が110番通報した」と認めた。
 「思想・言論弾圧ではない」などと言ってきたが、すべてうそだった。法大生と全国の学生が戦争反対を訴え闘うことへの、国家権力と一体となった計画的襲撃——。これが3・14であり、延べ88人の逮捕者を出して今日まで続くデッチあげ弾圧の出発点だ。さらに内山君が「文化連盟の学生2人を無期停学処分にしたな。結局、今の法大生を恐れて一番弾圧しているじゃないか」と追及。清宮は沈黙するのみだ。
 しかし、清宮は「ここまで泥沼化するとは思っていなかった」「警備体制に実効性はなかった」と力なく認めた。08年10月末、清宮は法大職員のトップの座である総務部長と法人統括本部長から突然解任された。
 学生は全員が弾圧・処分をはねとばし、09年決戦の先頭に立っている。どちらが勝利しているのかは明白だ。

 第1章 内田君の保釈却下弾劾する 

 12月25日、東京地裁刑事第21部半田靖史裁判長は、7・24法大弾圧と闘う内田晶理君の保釈請求を却下した。翌日、東京高裁第2刑事部安廣文夫裁判長は弁護人の抗告を棄却した。内田君とともに7・24法大弾圧と闘う市川知寛君と鈴木研也君の保釈を12月2日に許可する一方での、この分断攻撃を断じて許すことができない。
 法大弾圧救援会と全学連及び法大文化連盟は、全員の年内奪還を目指し連日霞が関街宣を闘いぬいた。年末最終日の12月26日には、夜に東京高裁第2刑事部の前に座り込んで最後の最後まで闘いぬいた。しかし午後6時半、座り込んで闘う学生に20人もの廷吏が襲いかかって庁外退去を強行。午後7時過ぎに、東京高裁第2刑事部は、弁護人の抗告を棄却した。
 内田君は、6月サミット粉砕決戦と法大闘争の先頭で闘いぬき、7・24集会の爆発をかちとった。日帝国家権力は内田君の不屈の闘志におびえ、保釈請求を却下し続けているのだ。内田君を全力で取り戻そう。