2009年1月12日

国労5・27弾圧裁判 田中・動労千葉委員長が証言

週刊『前進』06頁(2374号2面3)(2009/01/12)

国労5・27弾圧裁判
 “国鉄闘争は社会変える力”
 田中・動労千葉委員長が証言

 12月19日、国労5・27臨大闘争弾圧裁判の第101回公判が東京地裁刑事第10部(植村稔裁判長)で開かれ、動労千葉の田中康宏委員長が証言に立った。
 動労千葉と被告団の呼びかけにより開催された12・14国鉄闘争勝利集会に続き、5・27臨大闘争弾圧裁判で田中委員長が証言に立ったことは、世界金融大恐慌情勢の中で国鉄闘争勝利の展望を鮮明に指し示した。
 旧弁護団解任と松崎被告との弁論分離以降、被告団は、02年5月27日の国労臨時大会における被告たちの闘いが、国労を動労千葉のような階級的労働組合につくりかえることをめざすものだったことを強力に押し出してきた。田中委員長の証言は、5・27臨大闘争弾圧裁判が階級的原則を貫く闘いへと飛躍したことによって実現されたのだ。
 公判の冒頭、東元(あずま・はじめ)被告が意見を述べ、12・14国鉄闘争勝利集会が圧倒的な成功を収めたと述べるとともに、毎回の公判で公安刑事が傍聴者に対して情報収集活動や威嚇行為を繰り返していることを弾劾、また裁判長に対し、松崎弁護団に特別傍聴の措置を二度と取るなと要求した。
 証言に立った田中委員長は、首切りの嵐が吹き荒れる今の時代について「資本主義体制は完全に限界に来た」と喝破し、「労働組合が時代の最前線に登場しなければならない」と声を強めた。
 「動労千葉はどういう労働組合をめざしてきたのか」と問われた田中委員長は「現場の労働者が主人公となる組合をめざしてきた」と明言した。
 国鉄分割・民営化は、日本における新自由主義の攻撃であり、「戦後最大の労働運動つぶし」として仕掛けられた。動労千葉はこれに2波のストライキで立ち向かった。ストを決断した時の思いを聞かれ、田中委員長は「この攻撃に労働組合は何もできないのか。労働組合の力はこんなものだと歴史に残したくなかった。労働者にとって団結は最も大切なものだ。団結を固めれば次の展望は必ず切り開けると考えた」と語った。闘っても闘わなくても攻撃は避けられない状況下、現場組合員は闘いを求めていた。その力に依拠して動労千葉は2波のストを打ち抜き、団結を固めてJR体制になだれ込んだ。
 90年の清算事業団による1047名の解雇を前に、国労本部は「いったん採用、即日退職」という政治和解で闘争終結を策していた。他方、動労千葉は89年12月から90年3月まで、数波のストを構えて解雇を迎え撃った。その中で国労もストに入らざるを得なくなり、政治和解は吹き飛んだ。動労千葉の90年3月ストが1047名闘争を生み、今日まで闘われる基盤をつくったのだ。
 田中委員長は、国労幹部のあり方を「現場組合員の団結の力をまったく信頼していない」と批判した。4党合意や5・27臨大は、それが必然的に引き起こしたものだった。証言はさらに4者4団体路線への批判に及んだ。「4者4団体の一番の問題は解雇撤回を捨てたことにある」と田中委員長は断言した。
 また本件弾圧について「国労本部は組合員を警察に売り渡すところまで行った。これを許していたら1047名闘争の勝利はない。だから動労千葉は被告たちを支援してきた」と語った。さらに被告団による旧弁護団解任についての見解を問われ、「動労千葉は1047名闘争の変質を許さず闘う被告を支援する」と返答した。
 田中委員長は最後に、「この20年、世界の労働運動の最大の課題は民営化・規制緩和に立ち向かうことだった。その中で、1047名闘争がいまだに火花を散らしていることは大変なことだ。首を切られた非正規労働者があふれかえる今日の状況の出発点は国鉄分割・民営化にある。1047名が闘いを呼びかければ社会のあり方は変わる」と言いきった。
 次回公判は羽廣憲被告への被告人質問が行われる。大詰めを迎えた公判の傍聴に結集しよう。