反対同盟09年の決意 労農団結し空港廃港へ 市東さん農地を守れ
労農が団結し空港廃港へ
市東さんの農地を絶対に守れ
三里塚勝利で世界と連帯
三里塚芝山連合空港反対同盟から09年の決意が寄せられた。日帝と成田空港会社(NAA)の農地強奪攻撃に対し、市東孝雄さんは一歩もひるまず「この土地を耕し続ける」と宣言している。反対同盟のアピールにこたえ労農連帯の力で市東さんの農地を守りぬこう。(編集局)
第1章 闘う以外道標なし 事務局長 北原鉱治さん
三里塚は43年の闘いを貫き、国策としての成田空港建設をとことん破産に追い込んだ。NAAは自らを省みるどころか、市東孝雄さんの土地を奪うためになりふり構わずデタラメな民事訴訟に及んだ。しかも農民と農地を守るはずの農地法を逆用しふりかざして。われわれには闘うこと以外に生きる道標はない。
08年は労農連帯、国際連帯をより深めた年だった。米韓の労働者が動労千葉との連帯を求め11月集会に訪れ、そこに三里塚農民も加わったことは偉大な発展である。ここに世界の人民の未来の展望を開くカギがある。
田母神はかつての日本の戦争を「侵略戦争じゃない」などと言い放ったが、歴史の歪曲を許してはならない。私は日米開戦の翌年に海軍に入ったが、国のために死ぬという教育をされて、青春時代を「いつ死ぬか、明日死ぬか」ということばかり考えていた。日本のおかした侵略戦争の過ちについても、韓国の労働者と今回率直に語り交流できた。だが現在の若者も、未来を描くことができない状況に置かれている。就職の内定が次々取り消され、法政大学では構内に入っただけで多くの学生が逮捕された。青年は自らの力で社会を変えられることを確信し、今こそ行動すべき時だ。
09年、三里塚で再び国家がむきだしの暴力的姿を現そうとしている。空港を廃港に追い込む闘いをやりぬくことこそが、日本の未来をつくる。3・29三里塚全国集会に大結集し、農地強奪を絶対に阻止しよう。
第2章 希望に胸弾む09年 事務局次長 萩原進さん
43年の闘いの前進は、空港建設の反人民的な正体をむき出しにするところにまで追いつめた。
年間発着回数の20万回から30万回への増加、早朝深夜飛行制限の撤廃、そしてついに24時間空港化まで言い出した。このことは逆に、他空港との競合での成田の国際空港としての地盤沈下を浮き彫りにした。そういう中で「完全空港化」を叫びながらなりふり構わず暫定滑走路北延伸工事を進めている。だが、本来の目的である農家・住民の追い出しは1ミリも進んでいない。
その尋常でないあせりが、市東さんへの「民事訴訟」という攻撃となり集中的に襲いかかっている。90年も耕した畑を農民から奪うなど、言語道断だ。敵は不当不正義を百も承知で、一挙に押し通す暴挙に出てきた。だから現在の裁判闘争は、現地実力闘争に匹敵するほどの重大性がある。ここにこれまでにない多くの人が駆けつけ、支援陣形が拡大していることは本当に心強い。
自著『農地収奪を阻む』で三里塚の闘いの渦中で学んだことを書いた。この闘争は人間が生きるための叫びであることを訴えたかった。
国際連帯が担うべき課題はいよいよ重大だ。私も近い将来、民主労総の決起にこたえて韓国を訪問したい。全世界の労働者・農民が帝国主義の新自由主義攻撃と闘う共通の問題をつきつけられている。それを日本の闘いの勝利で突破し解決し、世界人民との連帯を深めるという壮大な三里塚闘争を作り上げよう。09年はそうした希望に胸を弾ませる年としてある。
第3章 裁判が真剣勝負だ 事務局員 鈴木謙太郎さん
NAAの「開港30周年」キャンペーンは、やればやるほど「いまだに完成しない」「誘導路は『へ』の字に曲がってる」「滑走路は短い」という、現在のぶざまな状況を紹介せざるをえなかった。闘争が生活の中にある自分らにとって、43年続いている闘いの力強さをあらためて気づかされたこの1年だった。
現在の闘いの焦点は、市東さんの農地を守る闘いだ。裁判闘争、「市東さんの会」の陣形作り、現地攻防、労働者との連帯などやるべきことを一つひとつしっかりとやりぬく。そして敵が力ずくで農地を奪いに来るなら、こっちも一歩も引かない闘いをやる。その腹は固まっている。
わが家も成田用水と闘い、芝山町菱田では一軒で「絶対反対」を貫いている。環境の変化は急激に進み、うちの畑の周りが倉庫、駐車場、あるいは闘争をやめて移転した人の民家に取り囲まれてしまった。だが私は1軒でも自信と誇りをもって農業と空港反対闘争に取り組んでいる。
三里塚からは労働者に向けて労農連帯を声をからして訴えている。労働者の側からも、ともに手を携えて闘おうという呼びかけで応じてくれることを切に望んでいる。
09年も市東さんの農地を守る裁判闘争は一回一回が真剣勝負だ。ぜひ駆けつけてください。同盟が団結し、これを支える労農学がいれば怖いものはない。
第4章 闘う農民の隊列を 事務局員 伊藤信晴さん
10月31日、今年も韓国から民主労総の労働者が大挙三里塚に来た。「43年も闘っているのはすごい」といたく感激してくれた。
そして08年は敵の攻撃も激しかった。NAAが市東さんへの新たな訴訟を起こし、実際の工事もこれ見よがしに進められている。「09年10月末工事完成」を叫び、08年の11月に天神峰・東峰の生活道路が破壊されてトンネル化され、新誘導路工事をやっている。
だが市東さんはひるむことを知らず、10・5全国集会では「畑に手をかけたら実力阻止の闘いをやる」と宣言し、10月29日の畑での記者会見では「流血を辞さぬ闘いをやる」と言い切った。私も、この決意にこたえる腹構えが迫られた。
若い労働者や学生が「革命」を叫んで立ち上がる時代だ。三里塚では革命という言葉はあまり使わないが、闘いの内容は同じことだ。「北延伸阻止」や「暫定滑走路閉鎖」を掲げ、一歩も引かない。あげくに「成田空港完全廃港!」だ。こんなすごい農民闘争は他に探したってどこにもない。帝国主義と真っ向から対決し、三里塚は日本革命運動の先頭に立っていると胸を張って言える。
09年は北延伸攻撃との大決戦の年になる。そのために労働者の同盟軍としての闘う農民の隊列を現実につくる。実際に北総農民の組織化を開始する闘いに一歩踏み出す。
第5章 麻生打倒の先頭に 婦人行動隊 宮本麻子さん
自衛隊の田母神発言などに見られることは、今まで常識と思っていたことが常識と安住してはいられなくなる、激動の時代に入ったということです。
労働者も農民も「生きさせろ!」と闘わないと生存すら保障されない時代になりました。私の福祉職場でも「公務員は最大のサービス業だ」が口癖の市長の政策の下で、人員削減が進行しています。本当に許せません。
09年は、市東さんの裁判に関しても予断は許さないと気を引き締めています。ますますNAA、そしてその先兵となっている千葉地裁の拙速審理・早期結審の攻撃が強まると思います。
市東さんを中心に反対同盟はがっちりと団結して、農地死守の陣形を守ります。さらに市東さん裁判を支援する運動の拡大を実現していかなくてはなりません。
今年も韓国民主労総との交流会に参加しましたが、どこの国でも規制緩和・民営化で、労働者・農民が生きられない現実に置かれていることを実感しました。
支持率が20%に陥った麻生内閣を打倒して、三里塚こそが先頭に立って前進したいと思います。
第0章 “この土地を耕し続ける”
第6章 農民層に怒り充満 事務局員 市東孝雄さん
08年は皆さんの支援が本当に大きな力になりました。そして私にとっても、闘いの中で自分の生き方を再認識する重要な1年でした。
NAA前社長の黒野匡彦は「北延伸しただけじゃ短い。南に延伸して3000㍍、3500㍍にしたい」と公然と言っていました。そして08年は「開港30周年」のキャンペーンを大々的に繰り広げ鋭い攻撃に出てくるだろうと身構えました。
だが実際には全然迫力がなかった。各新聞とも「30年の歴史」との趣旨で連載を組んだが、歴史をひも解けばひも解くほど、政府・公団が農民に対していかにひどいことをやってきたか、住民をどれだけ踏みにじってきたかが明るみに出た。
08年は3月、10月の三里塚全国集会が成功しました。多くの仲間たちが集まってくれて勇気づけられました。
今労働者が大変な苦境にあるように、農民も「生きられない」状況です。成田市も農業人口が数㌫にまで減少している。農民層の中に怒りは充満しています。
私の祖父が開墾し、父が受け継ぎ、今私が耕している土地をNAAは「明け渡せ」と迫ってきています。その新しい裁判が2月3日から始まります。裁判が増えて月に1回以上になる。生活環境も悪化させられるけど「一歩も引かない」という私の決意は変わりません。ともに闘いましょう。
第7章 ごね得発言許さぬ 天神峰現闘本部裁判を支援する会代表世話人 戸村義弘さん
萩原進さんが書かれた本がすばらしい。なぜ脱落派が発生したか、どういう苦闘の末に今の三里塚と反対同盟があるか、あらためて示唆を受ける本になっている。
この三里塚闘争について「ごね得」などと言い放った大臣がいたが、43年間の歴史をもつ闘いをみじんも理解できぬ者として厳しく断罪しなくてはならない。
5月には反対同盟委員長だった兄、戸村一作の生誕100年のイベントをやりたい。一作を宗教者、芸術家そして闘争者の三つの角度から再認識してみたい。権力と非和解、非妥協で闘う戸村精神というものが今も反対同盟の中に受け継がれているのがうれしい。
今、田母神のような者まで出てきて戦前の再来の動きがあらわになっている。こういう時こそ、三里塚闘争の真価を発揮する時。43年間も抵抗しぬいているという事実を「革命」と呼んでいいんじゃないだろうか。09年、市東さんの裁判、そして現地調査を拒んで忌避された裁判長の現闘本部裁判をしっかりと闘わねばならない。みなさんのご支援をお願いします。
第8章 96歳、闘志は健在 本部役員 三浦五郎さん
私は1月6日で満96歳になります。集会もご無沙汰していますが、闘う意志は健在です。
09年、市東孝雄君への農地法を使った農地取り上げ攻撃はさらに激しさを増します。農業・農民切り捨ての動きは強まりこそすれ、弱まる気配もありません。労働者だけでなく、農民の生活もぎりぎりの所に追い込まれています。芝山町宝馬という私の部落も70軒ある農家の中で、専業はうちを含めて2軒ほどです。労働者と農民の連帯した力でこの状況を打ち破りましょう。
この間の、自衛隊の田母神前空幕長のふるまいは許すことができません。あの戦争が侵略戦争でないとしたら、どの戦争が侵略戦争なのか。戦前から農民闘争を闘ってきた者として、暗黒政治への逆行を許せません。
断固闘いましょう。2009年の勝利めざし、ともにがんばりましょう。
第9章 命かけ代執行阻む 森田恒一さん
私は一昨年、大阪の岸和田市から千葉県佐倉市に移ってきました。
大阪では、三里塚決戦勝利関西実行委員会の世話人をやり、三里塚闘争にずっとかかわってきました。
佐倉市に引っ越してきて、さっそく反対同盟に加入させていただき、今の私の生活のエネルギーの大部分は三里塚闘争に費やしています。
ただ持病のため行動は著しく制約されているので、今のところ、反対同盟の春秋の集会、裁判には必ず出席していますが、そのほかは参加できない状態です。
私の見たところでは、市東さんの裁判も理屈の上では、明らかに国の方が間違っている。しかし判決になると、裁判所は変な理屈をこねて国に勝たせているのが現状だと思う。おそらく遠くない時期に機動隊を動員して裁判所の判決を盾にした強制執行をやるのではないかと私は覚悟している。私は今91歳です。その時には大げさだが、命をかけて代執行をさせない、市東さんの農地を守るつもりでいます。
三里塚闘争を私の生涯の仕事と思って生きていきます。