2008年11月24日

星野奪還11・29集会に結集を 階級的団結で再審勝利へ 全国に「救う会」を

週刊『前進』06頁(2369号5面1)(2008/11/24)

星野奪還11・29集会に結集を
 階級的団結で再審勝利へ
 全国に「救う会」を結成しよう

 「星野文昭さんを自由に 第2次再審勝利へ 11・29全国集会」が、「星野さんをとり戻そう! 全国再審連絡会議」の主催で行われる。デッチあげ無期攻撃と対決し、34年間獄中で不屈に闘いぬく星野同志を奪還するために、総結集しよう。職場、学園、地域で闘うあらゆる仲間に参加を呼びかけよう。
 11月14日、「沖縄万人の力で星野さんを取り戻す会」と「京滋星野さんを救う会」の仲間と金山克巳同志が、星野同志との面会に行ったところ、なんと徳島刑務所は、沖縄と京都の2人の仲間の面会を拒否してきた。06年5月に友人面会をかちとって以降初めての事態である。3人は、怒りを爆発させて猛然と抗議した。刑務所当局は「新しい制度になった。受刑者から出された面会者リストの一人ひとりを精査して許可する。2人は保留」と言う。ふざけるな! 3人は「星野さんと面会したい人は世界中にいる。34年も獄中に閉じ込めて、1カ月に3回だけの面会も自由にさせないというのか」「もっと人間扱いしろ」と、必死に面会を求めた。しかし、この日は金山同志しか面会できなかった。
 10月には、星野同志が「工場」で使っているミシンのライトに落書きがあったことを口実に、星野同志に対して取り調べが強行された。落書きは星野同志が書いたものではなく、結局「懲罰」をデッチあげることはできなかったが、「見つけた時に申告しなかった」と言いなして「統括訓告」なる処分をしてきた。
 帝国主義の危機の中で、刑務所では暴力的支配、管理強化、許しがたい非人間的処遇が一層強化されている。星野同志は、そういう中で生きかつ闘いぬいているのだ。この闘いの勝利の根源について星野同志は次のように言っている。
 「無期の重圧・分断に屈せず跳ね返し、自他の自己解放の思いと力を信頼し、獄中・家族とすべての労働者人民の解放をかちとるものとして闘い、その内実と力を蓄積することによって勝利してきました。だから、それは常に、動労千葉、沖縄、三里塚をはじめとした闘いとつながり、一体の闘いでした」「11・2労働者集会によって、新自由主義を打ち破り、労働者自己解放=人間解放の勝利を開く動労千葉、3労組、日米韓の闘いを圧倒的に発展させるという新たな闘いが開始されています。その闘いの中で、青年・学生を先頭に、星野のように闘おう、星野を取り戻そうという声が広がっていることに、心からの一体感を感じています」
 星野同志との団結を強化し、なんとしても獄壁を打ち破り奪還しよう。
 第一に、階級的労働運動の猛然たる前進だ。世界金融大恐慌情勢に、労働者階級の怒りが根底から噴き出している。資本・権力・体制内勢力と非妥協に闘い、資本主義・帝国主義の崩壊を革命へ転化させよう。その力で、星野同志を奪還するのだ。
 第二に、再審闘争の大前進だ。星野同志に加えられた国家権力による極悪のデッチあげを暴き、第2次再審闘争へ力強く進もう。そして、星野同志の闘いと奪還を労働者階級に訴えよう。プロレタリア革命と革命党を求めて決起した労働者階級は、星野同志の闘いの中に革命を見て取り、絶対に星野奪還の声を上げる。
 法大弾圧を跳ね返して獄中で闘う学生19人の同志は、星野同志と完全に一体となった。獄壁を越え、世代をこえた革命家同士の固い団結だ。
 徳島の青年労働者は、星野同志と面会した日に「職場で逃げずに闘うぞ」と腹をくくった。3日後に解雇されたが、「やっと胸が張れるようになりました」と門前闘争に入った。さらに、青年自治体労働者は「星野さんとの面会から帰った私は今、星野奪還=革命の闘いをしています。星野さんとともに闘っていると胸を張って言いたいと思います」と言って職場闘争の先頭に立っている。
 革命情勢の到来の中で、星野奪還闘争が、階級的労働運動とひとつになり、奪還勝利に向かって荒々しく前進を開始した。
 塩川一派は、星野同志と星野奪還闘争への敵対・破壊のために介入を策動している。塩川一派は血債主義丸だしで、「取り戻せていない無力さ」ばかりを強調する。感傷にひたって自己満足しているだけならまだしも、それは結局、「絶望」「屈服」「分断」の道であり、星野同志の奪還を永遠のかなたにおいやるものでしかない。
 塩川一派を粉砕し、労働者階級の力で星野同志を奪還しよう。全国に「救う会」を結成し、広範な統一戦線を形成しよう。11・29全国集会を大成功させ、星野同志奪還の展望を力強く押し開こう。