爆取差し戻し審 3同志が裁判所を追及 “違法収集証拠を排除せよ”
爆取差し戻し審 3同志が裁判所を追及
“違法収集証拠を排除せよ”
10月20日、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判差し戻し審第8回公判が東京地裁刑事第20部(林正彦裁判長)で行われた。
冒頭、板垣宏同志は「公判日程や公判内容など重要事項を、被告の参加できない裁判所・弁護団・検察の3者折衝の場で決めるのは、裁判の当事者主義と公開裁判の原則に反し認められない。法廷の場で決めよ」と裁判所を鋭く弾劾した。
須賀武敏同志は「岡田鎮也(元大阪府警警察官)の反対尋問をとおして、橿原借家関係証拠が本件とも私たちともまったく関係がない違法収集証拠であることが明らかになった。押収されたとするメモは、実際に橿原借家に存在していたかどうかも不明だ。この捜索は86年の大阪府警本部砲撃事件捜査を口実にしたもので、朝日新聞(89年2月9日付)では『府警本部に発射された迫撃弾と同型の設計図押収』と報道されているが、居住者は逮捕も起訴もされていない。メモは特定の事件の証拠となるようなものではない。そのようなメモについての証人調べは無意味であり、許せない。証拠排除せよ」と強く要求した。
十亀弘史同志は『気骨の判決』(新潮新書)という本を紹介し、「1942年、東条政権が翼賛体制を完成させるために大がかりな選挙妨害を行ったことに対し、全国で『選挙無効』の訴訟が起こされた。ほとんどの司法当局が事実調べを行うことなく『原告敗訴』判決を出す中で、ただひとり吉田久大審院判事は、あらゆる妨害に屈せず、事実審理を尽くし、『選挙無効』判決を出す。たしかに気骨の判事だといえる。しかし、この判事は、ただ法律に従っただけのこと。私たちの裁判はきわめて単純。一審判決のように法と論理に従えば無罪とされるほかにない。裁判所は刑訴法に従い、事件は証拠で判断せよ」と鋭く迫った。
この後、岡田に対する3回目の反対尋問が行われた。その結果、証人としての信用性がまったくないことが明らかになった。福嶋裁判での証言と本公判での食い違いを十亀同志に具体的に追及されると岡田は傲岸(ごうがん)にも「裁判所の聞き間違いか、言い間違い。今の証言が正しい」と居直り、逆にデタラメさを強烈に印象づけた。
続いて吉田喜平(元警視庁公安)が登場。内山茂樹弁護人が反対尋問を行った。吉田は、橿原借家から押収されたというメモの再押収を行った警察官。吉田は本件事件捜査の実働部隊指揮者の立場にあったにもかかわらず、警察内部での情報交換などについての尋問であいまいな態度をとり続けた。ただ自分が1986〜87年当時、井川周辺に実験場があるのではないかと思ったとか、橿原借家メモの中の地図について青木幸雄が「井川じゃないのかな」と話していた、などと供述した。また、この地図と井川を結びつけるにあたって、メモ記載の気温や地形が実際とは違うのではないかと警察内部で問題になったと供述した。井川関連説はデッチあげなのだ。
次回も引き続き吉田に対する反対尋問を3同志が行う。11月12日の第9回公判に集まろう。