2008年10月20日

11・2へ闘いは進む 東京西部労働者集会 南部大集会

週刊『前進』06頁(2364号6面2)(2008/10/20)

11・2へ闘いは進む

 第1章 東京西部労働者集会 職場・街頭で参加を確約 青年労働者と団結

 10月12日に、東京西部ユニオン、西部労組交流センターの呼びかけで、「資本主義は終わりだ、労働者団結せよ!」の東京西部労働者集会を50人の結集で成功させ、大いに高揚しました。
 基調提起と討論によって、職場で動労千葉派として登場し、資本や体制内労組指導部と絶対非和解の闘いを実践して仲間を組織し、11・2日比谷へ1万人を必ず実現しよう、韓国やアメリカの闘う仲間との国際的な団結を強化しようと、固い一致がかちとられました。
 基調提起を行った仲間は、社前でビラを配布したことを理由に半年にわたり毎月減給3万円の処分を受けましたが、西部ユニオンの団体交渉で処分を撤回させ、この勝利を11月集会のオルグに結びつけることに挑戦しています。
 労組交流センターのタクシー労働者は、体制内執行部と対決するため役員選挙に立候補し、組合大会では資本と闘わない執行部に批判が続出したことを個人ビラで報告する闘いを開始しました。そして「私はお酒がまるでダメで付き合いはほとんどしてこなかったが、まじめだけではいけないと、労働者が集まる居酒屋にも顔を出すようにして、11月集会に2人の確約を取りました」と報告し、会場がわきました。
 自治体労働者は、民営化と人事評価制度に反対して絶対反対派として登場する闘いを開始した報告。国鉄闘争を闘う仲間は、解雇撤回を下ろした4者・4団体の敗北路線を暴露・弾劾し、「10月26日の団結祭り実行委から4者・4団体を批判する勢力が排除されているが、事実を知らせれば国鉄闘争支援者を必ずオルグできる」と檄(げき)を発しました。
 集会後、JR高円寺駅で街頭宣伝。「資本主義は終わりました。労働者は団結して革命をやろう」と確信に満ちた呼びかけに、続々と賛同署名が寄せられ、チケットも売れました。
 高円寺は若者の街でもあり、青年労働者といたるところで討論が行われ、その場で集会参加の確約も実現できました。青年労働者は闘いと団結を求めています。街頭は出会いと団結の場です。職場と地域で残り3週間全力で闘います!
(M)

 第2章 4者4団体を正す 10・1〜2 南部労働者が総決起

 10月1日、4者・4団体の「南部大集会」に、私たちは30人の怒りの決起で、4者・4団体批判のビラ、11・2総決起を訴えるビラをまき、その後集会に堂々と乗り込みました。
 国労の高橋伸二委員長、加藤晋介弁護士らのペテン的に政治解決を推進しようとする、国鉄1047名闘争の幕引き宣言に対して、私たちは猛然と抗議をたたきつけました。「解雇撤回を下ろすな」「動労千葉排除は認めないぞ」と、必死で訴えました。2人の発言は6回ほども中断せざるをえませんでした。
 この私たちの当然の批判に対して、これまで共に闘ってきた闘争団が先頭となって、抗議する国労組合員を取り囲み、「この集会に反対なら出て行け」などと迫ってきました。幾度も激突しながら一歩も引かず、最後まで「原則を曲げず闘いぬこう」と訴えました。
 そもそも「出て行け」とは何事か。核空母ジョージ・ワシントンじゃあるまいし。「それが20年以上ともに闘ってきた労働者に言うことか!」と言いたい。妨害勢力? ふざけるんじゃない。闘いを投げ捨て、労働者の誇りを敵階級に売り渡す過ちは絶対に正さねばならないのだ。
 「政治解決」だって! ふざけるな! 何の展望も未来も約束されはしないのだ。労働者に絶望と敗北を組織しようとしている加藤弁護士のあの尊大さ、傲慢(ごうまん)さをぶっ飛ばさなかったら労働者自己解放はない。10・1の闘いをもって、真に闘うのは誰なのか、徹底的に分岐をつくり出しました。何より地区党の団結は一層固まったのです。
 翌10月2日の南部労働者集会は、70人が結集し、前日の興奮をそのまま持ち越して大高揚しました。冒頭、動労千葉の中村仁さんが解雇撤回まで闘いぬく決意を表明しました。国労秋田闘争団の小玉忠憲さんの「20年闘ってきたって、今ダメなやつはダメなんだ」という発言にみんな共感し、腐りきった体制内労働運動の日和見主義指導部をぶっ飛ばして、階級的労働運動路線を貫く確信を深めました。
 4者・4団体路線を粉砕し、10・24集会を許さず、11・2労働者集会1万人結集へ。南部の労働者はその先頭で闘いぬきます。(ま)