マルクス主義解体の転向スパイ集団 アナクロ小ブル主義とズブズブの市民主義 塩川一派粉砕し11・2へ
マルクス主義解体の転向スパイ集団
アナクロ化した小ブル革命主義とズブズブの市民主義の雑炊物
塩川一派粉砕し11・2総結集へ
第1章 動労千葉労働運動への敵対
革共同から脱落・逃亡した塩川一派の腐敗は、党の中枢的・非公然的な「組織情報」を、塩川的なデマゴギーに基づいて権力に公然と売り渡して恥じないという決定的な新段階に入った。かつて類例のない転向スパイ集団への転落である。不当逮捕攻撃に対して完黙・非転向を貫く立場を否定・解体したことが、ついにここまで行き着いたのだ。
このことは、塩川らと今も行動を共にしている人や塩川一派に追随している人たちにも、その政治的立場を真っ向から厳しく問うものである。この最悪の転向スパイ分子に転落した塩川らを今後も支持し、どこまでも彼らについて行くのかと!?
それと同時に、塩川らの思想的路線的な本質こそは、プロレタリア自己解放の思想・理論としてのマルクス主義の否定・解体であり、プロレタリア革命への敵対である。その現実的な最大の表現が、階級的労働運動路線と7月テーゼに対する反対であり、そして実践的には動労千葉労働運動と11月労働者集会への憎悪と敵対だ。この意味では塩川一派は、プロレタリア革命に対する背教者であり、現代のカウツキー主義そのものだ。
さらにマルクス主義と階級的労働運動路線への敵対は、今やアナクロニズムそのものと言える塩川一派の小ブル革命主義を全面開花させている。しかもそれが現実の運動ではズブズブの市民主義、体制内労働運動への埋没として現れる。解雇撤回を投げ捨てた4者・4団体路線への支持が、今日的なその象徴だ。塩川一派とは小ブル革命主義と市民運動主義の奇妙な雑炊物である。
われわれは、このような塩川一派が革共同への敵意と破壊の意図をむき出しにして、動労千葉労働運動と11月労働者集会に敵対することを、これ以上、絶対に許さない。
プロレタリア世界革命に向けて積極的主体的に開始された〈党の革命〉を貫徹し、革命的な労働者階級の党として革共同自身が生まれ変わるためにも、また当面する11・2労働者集会の1万人結集を実現するためにも、塩川一派との闘いは極めて重要であり、価値創造的な意義を持っている。
時あたかも、29年大恐慌をもはるかに超える世界金融大恐慌が爆発している。最末期帝国主義の新自由主義とグローバリズムは見るも無残に破産し、資本主義・帝国主義はガラガラと崩れ落ちている。全世界で革命情勢が成熟している。今こそ労働者階級の団結と決起で資本主義を転覆し、労働者階級が社会の主人公となる時代が到来した。
11・2労働者集会こそ世界金融大恐慌を迎え撃ち、戦争・改憲と労働者への階級戦争を狙う麻生政権を打倒し、プロレタリア世界革命を切り開く決定的な闘いだ。塩川一派や4者・4団体などの敵対を打ち砕き、11・2日比谷野音への1万人結集をかちとるためにあらゆる闘いをやり抜こう。
第2章 91年「5月テーゼ」をも否定
塩川一派は、6〜7月サミット決戦において、仮にも「政治党派」を名乗る集団としては見るも哀れな姿をさらした。北海道現地まで足を運んだものの、「統一戦線」と称して、ただ他人が企画した体制内的な行動の尻尾に、数人でくっついて歩いただけだった。
逆に彼らは、動労千葉の呼びかけのもとに実現された6・29渋谷での青年労働者を先頭とする階級的戦闘的な実力デモの爆発と、北海道現地での闘いの高揚に圧倒され、完全に打ちのめされた。それゆえに塩川一派は、サミットに集まった帝国主義首脳らと同様、世界金融大恐慌の爆発と未曽有の革命的激動期の到来におびえ、労働者の団結と実力デモへの敵意を募らせたのだ。
そしてこれを契機に、革共同と動労千葉を先頭とした階級的労働運動への塩川一派の新たな敵対が始まり、転向スパイ集団へと決定的に転落した。7月末の関西での彼らの「政治集会」 とそれに併せて発行された『展望2号』、および『雲と火の柱—地下生活者の手記』こそ、その反革命的な転換点だ。
とりわけ『展望2号』の「飛田一二三」署名の塩川的デマで塗り固められた雑文こそは、「総括」や「路線論争」に名を借りて権力に革共同の組織暴露を行う、天人ともに許さざる最悪のスパイ行為だ。
そこには革命運動や階級闘争を闘う者としての最低限の倫理も原則もない。ただただ革共同破壊の転向スパイ分子に転落した、塩川のどす黒い反革命的な姿があるだけだ。
塩川的デマゴギーで革共同の歴史をねつ造し、革共同憎しの一点からついにここまで行き着いた塩川と塩川一派の策動を、怒りをこめて絶対に粉砕しよう。
第1節 “対カクマルの軍事総蜂起を”
塩川らは「革共同党史の深化」と称して、歴史のねつ造と党的敵対を全面化している。彼らは、革共同の91年五月テーゼを否定して、次のように言う。(以下の引用はすべて『展望2号』掲載の「飛田論文」と、その政治的部分をテーゼ的に整理した「7・27政治集会へ結集せよ」から)
「革共同中央は……新自由主義とソ連スターリン主義崩壊後の現代世界に対する革命的時代認識を91年の5月テーゼ以降も形成確立することができず、時代と情勢に戦闘的革命的に対応しえなかった」「5月テーゼによる路線転換が根本的に問題性をはらんでいた」
「(80年代に)革共同中央は、国鉄分割・民営化の階級的攻撃を、開始された新自由主義との最先端の階級的攻防としてとらえることができなかった」「根本的には、サッチャー・レーガン・中曽根の世界史的な大反動との階級決戦という認識を確立できなかった」「(したがって)80年代日本階級闘争は敗北した」「(だが)その総括がない」。
ではこれに対して、塩川らはそもそも革共同はあの段階で(80年代後半)どうするべきだったと言っているのか。
「『国鉄分割・民営化絶対阻止、日本帝国主義打倒』をかかげて、黒田・松崎=動労カクマル打倒をめざす全党・全軍・全人民のすべてをかけた総蜂起を組織すること……」「国鉄分割・民営化決戦は、70年代の二重対峙・対カクマル戦を全人民的な反ファッショ解放戦争として発展させていく、革共同の先制的内戦戦略の真価を発揮するチャンスであった。全産別、戦線、地域から巨万の決起を実現するため、そしてこの決戦の只中で反革命カクマルを完全打倒するために、全党・全軍が総蜂起するときだった」
なんのことはない。「巨万の決起」などと言っているが、要するにJR総連カクマルに対し、革命軍を先頭とした軍事的総蜂起戦をやればよかったと言っているだけなのだ。
しかも彼らのこんな言辞は、なんら責任ある真剣なものではない。そもそもマルクス主義的、プロレタリア革命的な観点がかけらもなく、80年代の世界史的な階級的現実もない。何よりも労働者階級の現実と闘い、動労千葉のスト決起のもつ歴史的意義がまったくない。いや労働運動を無視・抹殺している。
これはただ口から出まかせの、アナクロ的でインチキな小ブル革命主義の極致だ。
真に情勢に対応しぬくための、党と動労千葉を先頭とする労働者階級の血の出るような80年代の真剣な闘いと実践、その総括の中から、5月テーゼは生まれてきた。それを豊かに主体的に総括せずに、今になって「対カクマルの軍事的蜂起をやるべきだった」などと、空論的言辞を対置し意気がっているのは、彼らが反マルクス主義であり、労働者階級と労働運動の実践的立場を完全に投げ捨て、アナクロ化した小ブル革命主義にひたりきり、階級闘争から召還していることの証明だ。
彼らの言辞が、空疎で観念的なものでしかない一番の証拠は、彼らの動労千葉に対する次のような言及に示されている。
「国鉄分割・民営化と総評解散・連合結成についての深刻な総括をすりぬけて、動労千葉が生き残った……ことをもって、『国鉄分割・民営化攻撃に勝利した。よって80年代に勝利した』などとする安田派の総括は、根本的に間違っている」
80年代の新自由主義攻撃、国鉄分割・民営化との闘いの世界史的意義などと言いながら、その実、動労千葉の決定的な存在と闘いをまったく否定・抹殺し、階級的労働運動路線を動労千葉による革共同の簒奪(さんだつ)だなどと悪罵するのが塩川一派なのだ。
しかし動労千葉の2波のスト決起を先端とする国鉄分割・民営化との闘いこそ、JR総連カクマルとの死闘として、二重対峙・対カクマル戦の決定的な環として闘われたのだ。動労千葉は労働組合として、国労・総評指導部の総屈服をのりこえ、唯一、分割・民営化と原則的階級的に闘いぬくことで、対カクマル戦をもものすごいレベルでやり抜いた。だからこそ革共同は5月テーゼを打ち出せ、階級的労働運動路線も確立できたのだ。
ここを主体的に総括できない塩川一派は、階級的労働運動路線とマルクス主義=プロレタリア革命の立場に反対して革共同から逃亡し、転向スパイ集団に転落したのだ。
第3章 労働者階級への不信と絶望
06年3・14の〈党の革命〉とは何だったのか。その本質はどこにあるのか。ついに全世界で成熟してきた革命情勢に対して、労働者階級の歴史的な決起、階級的労働運動の全面的発展をもって革命的に立ち向かおう、それを可能とする党を作り出そうということだったのではないのか。しかし、この闘いから逃亡した揚げ句に、革共同破壊の反党集団、転向脱落集団に成り果てたのが塩川一派だ。
彼らには、〈労働者階級の革命的本質、革命的能力、その偉大な自己解放闘争の力への確信〉が致命的に欠落している。塩川一派は労働者階級への不信と絶望を基礎とした、本質的に無力な反革命的集団である。
彼らは革共同の歴史と闘いの中から何とか自分らの武器となるものを探しだそうとしているが、革共同は塩川らが勝手に思い込んでいるような党ではない。革共同は、創成以来、三全総以来、また70年安保・沖縄決戦から先制的内戦戦略のフェーズⅠ・フェーズⅡをとおして、基本的に労働者階級自己解放の原理を核心に据えて闘ってきた党だ。まさに塩川らに欠けているのは、〈プロレタリア革命とは労働者階級自身の自己解放闘争の荒々しい爆発だ〉という思想である。
(1)塩川一派は、動労千葉労働運動の世界革命をめざす階級的労働運動としての階級的=革命的本質を、まったくつかむことができない。動労千葉労働運動こそは、ついにかちとられた、マルクス主義を貫く階級的労働運動の具体的創造形態なのだ。それこそ〈賃労働と資本の非和解性〉を踏まえ、経済闘争を断固として闘うと同時に、マルクスの言う賃金鉄鎖の打破(=プロレタリア革命)に向かって階級的団結を打ち固めて闘いぬく労働運動としてあるのだ。つまりそれは職場・生産点の激闘から労働者階級自身が革命への道を切り開く闘いである。
さらに、階級的労働運動として、職場・生産点に根づいた革命的共産主義運動の現実的形態としても自己を実現していく運動である。その組織的結実こそが、労働組合における階級的団結の強化と拡大であり、労働者細胞の形成・強化なのである。だからこそ、職場・生産点に根付きつつ、まさに労働者階級によって担われる政治闘争が、そこから同時に形成され発展していくのである。
塩川一派は、このような動労千葉労働運動の階級的普遍性をとらえることができず、「闘う労働組合の一つにすぎない」などと言ってその革命性を否定しているのだ。
(2)また塩川一派は、党を労働者の党・労働者自己解放の党として作ることを否定する。つまり労働者的実体に圧倒的基盤をおいて党は前進していくのだという、マルクス主義の根幹が欠如している。そのため今や何と5月テーゼをも全面否定するにいたった。
5月テーゼを打ち出した90年代冒頭は、フェーズⅠ・フェーズⅡの勝利を踏まえ、労働戦線での革共同の党勢の現実を直視し、まさに労働者階級の職場・ 生産点での階級的組織化に全力をあげるべき時だった。それをさらに対カクマル総蜂起戦をやるべきだったなどと言うのは、革命を労働者階級の行為として考えない小ブル革命主義そのものだ。
(3)現実には彼らは、アナクロ化した小ブル革命主義と一体で、また動労千葉やマル青労同の闘い、その革命的スローガンに反発して、体制内労働運動の内部で体制内指導部の影に隠れてチョロチョロするエセ労働運動路線を打ち出している。だが今日、体制内ダラ幹支配との真っ向からの激突と分岐をつくり出すことなしに、労働組合の闘う再生や階級的団結の形成などありえない。
(4)塩川一派のあり方、政治的もくろみは、6・29サミット決戦の爆発を頂点とする08年の革共同の闘いによって完全に粉砕された。その迫力に打ちのめされた彼らは『革共同通信』などでも、これらの闘いに何も言及できない。それでいて「怒れる青年労働者が革命を求めることやストレートに革命をスローガンとして打ち出すことを、我々は支持する」などと言っている。しかし自分たちは「ストレートに革命を打ち出す」つもりなどまったくない。まったくマンガだ。
(5)さらに、〈7月テーゼ〉に基づく諸戦線での新たな闘争は、塩川一派との党派闘争としても著しく前進している。
労働者階級の解放はまさに特殊階級的解放でありながら、同時にそれは普遍的解放にほかならない。だからこそプロレタリア革命による階級の廃絶をとおして、資本主義・帝国主義の一切の社会的差別・抑圧を廃絶していくことができるのだ。だからこそ労働者階級は、その自己解放の普遍性の内部に、諸差別からの解放を主体的に位置づけ、切り開いていくことができる。また被差別・被抑圧人民は労働者階級の決起と結合し一体化することによって、自己の解放の展望を開くのだ。
ここに階級的労働運動路線における諸戦線の解放闘争の勝利の道がある。しかし塩川一派は、ここでも反マルクス主義を振り回して、路線的破産をさらけ出している。
第1節 革命的情勢の到来への恐怖
最後に。塩川一派には現在の情勢に立ち向かう革命的情勢論も、世界金融大恐慌論も存在しない。革共同に対し「恐慌待望論」などと言って批判しているつもりになっているが、笑止千万だ。まさに彼らには、今現に音を立てて進行している世界金融大恐慌と、そこから生み出されている革命情勢への恐怖、革命の現実性への恐怖と敵対しかないのだ。
結局、塩川一派は、現代の背教者カウツキーとしてプロレタリア革命に背を向け、革命に敵対する集団だ。恥ずべき転向スパイ集団に転落した塩川一派を怒りを込めて粉砕し、完全打倒しよう! 塩川一派や4者・4団体の敵対を打ち砕き、11・2労働者集会の1万人大結集をかちとり、プロレタリア世界革命勝利への血路を切り開こう!