2008年9月29日

法大弾圧裁判 5・28「暴行」デッチあげ 実況見分調書が動かぬ証拠

週刊『前進』06頁(2361号6面2)(2008/09/29)

法大弾圧裁判 5・28「暴行」デッチあげ
 “暴行”デッチあげ白日に
 実況見分調書が動かぬ証拠

 9月19日、新井拓君と中島宏明君の5・28暴行デッチあげ弾圧裁判の第2回公判が東京地裁刑事第18部(福崎伸一郎裁判長)で開かれた。
 第1回公判で堂々たる意見陳述をやりきった新井君と中島君は、晴れ晴れとした表情で登場した。傍聴席に、全学連大会で白熱的討論をかちとった法大文化連盟を先頭とする学生が陣取った。
 冒頭、新井君は、裁判所が友部博文君の併合を認めず先に判決を下そうとしていることに反対し「二つの裁判は、現在に至る法大当局のあり方を問うものであり一体だ。分断と団結破壊は認めない」と意見を表明した。中島君も「法廷で友部君と怒りを共有している。明日は法大の開講日であり、団結を一層拡大して闘う」と宣言した。傍聴席からは友部君も立ち上がって併合を要求した。なんと、福崎裁判長はうろたえながらも真っ先に友部君に退廷命令を発した。学生の闘いを嫌悪し、裁判の進行ばかりを気にする反動分子だ。
 この日は、検察側が請求した警視庁麹町署の公安警察官、服部貢と太田善昭への尋問が行われた。彼らは、実況見分調書や捜査報告書の作成者だという。
 しかし、4月11日の「暴行事件」があったとされる午前中、新井君や中島君の目の前に警視庁公安部の警察官が張り付き、外濠校舎入り口でのビラまきを不当に監視していた。連中にすれば、暴行事件などなかったことは百も承知だ。しかし、その日の午後にはデッチあげのための「捜査」が開始され、服部も太田も参加していたことを認めた。こんな連中が法廷で証人面して話すことなど許されない。
 この事実は、服部の作成した実況見分調書を通してより鮮明になった。服部は冒頭から、調書にある「中島が左手のこぶしで左のほおを殴った」という記載が「右手の間違いだった」と訂正する始末。人の立ち位置を示す記号についても、2カ所訂正した。
 さらに、実況見分には、暴行の「被害者」として東京警備保障警備員の星景と正木敦行が、「目撃者」として同警備員の富山豪也が立ち会ったという。だが、奇妙なことに、服部の作成した調書は1通しかない。本来なら、3人の立会人がいれば、別々の実況見分調書が作成されなければならない。互いに影響しあって記憶の矛盾点や欠落などが変化することを避けるためだ。また上下関係のある警備員や、「被害者」と「目撃者」を接触させれば、記憶の汚染は不可避だ。それなのに服部は、3人を同時に同じ場所に集め、その説明を一つの調書にまとめたという。
 この実況見分調書こそ、警察権力と法大当局と3人の警備員の間で口裏合わせが行われたことを示す動かぬ証拠だ。こうする以外に、ありもしない暴行事件をデッチあげることができないからこそ、こんなデタラメが行われたのだ。
 実際、実況見分調書には「暴行」の場面として、警備員3人と新井君と中島君を含む3人の学生の行動を、1枚の写真で説明した個所が四つもある。6人の位置と動き方を、3人の立会人がそれぞれ正確に何の矛盾もなく説明したとでもいうのか。
 弁護人にこの事実を指摘されると、服部は「自分のことで精いっぱいで他人の行動はわからない立会人もいた」ことを認めた。しまいには顔を紅潮させ汗をふき、何を聞かれているのかわからなくなってしまう動揺ぶりだ。
 最後に、中島君は服部に向かって「5月28日の令状逮捕の際に『お前は凶悪犯だ』と私を罵倒(ばとう)したな。そして『4月11日にガードマンがやったように眼鏡をとるぞ』と言って眼鏡を押収しただろう。暴行を働いたのは警備員の方であることを知ってデッチあげてるじゃないか」と突きつけた。新井君は「こんな調書で4カ月も人を牢屋(ろうや)に閉じ込められると思っているのか!」と腹の底から怒りの声を発した。
 5・28弾圧のデッチあげは明白だ。5・29法大闘争の爆発を抑え込む事前弾圧として、ありもしない暴行事件が捏造(ねつぞう)された。この権力犯罪を絶対に許さない。開始された後期法大決戦と固く団結し、裁判闘争に勝利しよう!
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 法大裁判に集まろう!
★5・29デモ弾圧裁判・第1グループ
 第1回公判 9月29日(月)午前10時〜12時
 第2回公判 10月6日(月)午前10時〜12時
★5・28「暴行」デッチあげ弾圧裁判
 第3回公判 10月8日(水)午後1時30分
★5・29デモ弾圧裁判・第2グループ
 第1回公判 10月16日(木)午後2時
★7・24弾圧裁判
 第2回公判 10月23日(木)午後1時30分
◎いずれも東京地裁429号法廷
 開廷1時間前に地裁傍聴券配布所に集合を!