“俺たちこそ全逓執行部” 東京中郵
11・2労働者集会 UNITE!
“俺たちこそ全逓執行部” 東京中郵
東京中郵(銀座局)の旧全逓と全郵政によるJP労組への支部統合大会(8月30日)で、動労千葉派の組合員が「闘わない組合執行部は敵だ。俺たちの執行部を作ろう」と呼びかけ、執行部選挙に名乗りを上げた。職場の反響に動揺したJP労組本部が乗り出し、名乗りを上げた4人に「選挙違反」をこじつけ、統合支部大会は怒号のなか、本部派執行部が無投票で決まった。しかし、郵政民営化後の労働条件の極端な悪化が当局と本部派組合執行部との合作である現実が暴かれ、「民営化絶対反対」の闘いは、ついに職場の労働者に地殻変動を生み出している。
第1章 “名乗りを上げて良かった” 「生産性運動」への怒りは職場の声に
「目の前の執行部(本部派)を名指しで『打倒』と言い切るまで3週間悩んだ。俺たちの本気さが初めて職場に伝わった。名乗りを上げて本当に良かった。本当の闘いはこれからだ」
当該の仲間の感想だ。労働組合が「生産性運動」を掲げ、裏切りの域を超えた御用執行部の転落に怒りが高まるなか、「JP労組中央打倒」と批判する段階を超えて支部権力に名乗りを上げた。目の前の執行部=糀谷(こうじや)体制打倒を職場で公然と呼びかけ、「現場の俺たちこそが闘う全逓を担おう」と檄(げき)を飛ばした。
小泉政権による郵政民営化から1年、職場の労働条件は極端に悪くなった。組合は闘おうともしない。職制の締め付けだけが強まる……。
「俺たちの手で闘う執行部を作ろう」の訴えが、職場の心をとらえ始めた。労働組合は現場で働く労働者のものだ、という労働組合運動の原点がよみがえった。
第1節 ●むき出しになった本部派の裏切り
本部派の動揺は、8月30日の統合支部大会が近づくにつれて深まっていった。7月26日に行われた組合の集配分会解散会議に支部長の糀谷が参加、なんと「統合執行部の選挙は行わない」と宣言した。「統合後の分会長は支部の執行委員が兼任する」とも通告された。分会運動をやらせない本部の意向だ。
これをきっかけに現場の労働者の怒りが噴き出した。支部の執行委員に1人の組合員が面と向かって「選挙やらないそうだな? 俺が支部長になるからな!」と挑戦状を突き付けたのである。組合運営から組合員を徹底的に排除する本部派への怒りは、職場全体に広がり始めた。
土壇場で支部執行部は姑息に動いた。統合大会のわずか11日前の8月19日朝、組合掲示板の隅にコッソリと小さな紙切れで「選挙告示」を行った。立候補締め切りはわずか4日後の23日だ。選挙規約などの通知を含め、職場の組合員への説明は皆無だった。この掲示を1人の組合員が21日になって発見。職場の仲間たちに知らせた。
「断固出よう!」と衆議は一致した。締め切り前日の22日、4人が立候補を決断した。
選挙は、東京地本がみずから指名したわずか50人の代議員による選挙だと分かった。現場の組合員は、執行部を選ぶ選挙の代議員が誰なのかも知らされなかった。
組合選挙は、組合員全員の一票投票が当たり前の原則だ。「これは労働組合の選挙とは言えない」と、組合員を排除した御用執行部への怒りはさらに広がった。
第2節 ●2万4000人削減は当局と御用組合の合作
統合大会当日、立候補した仲間たちを現場で待っていたのは支部ではなく地本の役員で、4人の仲間に「立候補の無効」を通告してきた。立候補の意志を知らせるビラを当日組合員に配ったことが「規約違反」とされた。支部長は「隠れるように後ろで下を向いていた」そうだ。4人の怒りは爆発した。立候補の意志を組合員に伝える機会すら奪った執行部に正当性はかけらもなかった。
「代議員の皆さん聞いて下さい。組合員を排除して何が労働組合か。労働組合は組合員のものだ。当局と一緒になって『生産性向上』を掲げる御用執行部を倒して、闘う執行部を俺たちの手でつくろう!」と、立候補の趣旨を堂々と語った。
訴えは「退去命令」を拒否して10分間も続いた。立候補した4人をやじる者は誰1人いない。手ごたえ十分だった。
翌日から職場でビラをまいた。職場に明らかな変化が始まった。「あなたたちが本気で闘うなら、泣き寝入りするのはやめる」——現場の一般労働者が、闘わない組合執行部を頼らずに、労働環境をめぐる当局との闘いを独自に始めた。職制の監視下で行動をためらっていた職場の同僚が「メシでも食おう」と話しかけてきた。威圧する職制の目の前で、8割以上の労働者が動労千葉派のビラを受け取り、熱心に読む光景が日常となった。現場の新しい団結が確実に生まれている。
当局の手先となった組合「暫定」執行部は、「すれ違っても顔も合わせられない」という。
民営化後、労働条件の悪化で離職を余儀なくされる労働者が相次いでいるのに、執行部は闘おうともしない。唯一やったことは、職場で苦闘する組合員に対して「あいつら(動労千葉派)とは付き合うな」と分断を組織することだった。JP労組中央の綱領は「生産性を上げるために当局につくせ」である。彼らは「2万4000人削減」を進める郵政当局と公然と手を組み、現場労働者を当局に差し出しているのだ。労働条件の悪化は当局と御用執行部の合作なのだ。本部派の組合支配の空洞化が進んでいるのは当然の結果だ。
今回名乗りを上げた4人は「俺たちこそが執行部」の気概で新たな職場闘争を開始した。一見強固に見えた体制内組合の壁が徐々に、しかし確実に崩れ始めた。
第2章 「民営化絶対反対」貫き団結 隣の労働者を信頼して闘えば勝てる
中郵の闘いの前進を切り開いたものは、全逓戦線における「郵政民営化絶対反対」路線の確立と、全国の郵政職場におけるその実践だった。
05年の小泉政権による郵政民営化は、80年代の国鉄分割・民営化で開始された新自由主義攻撃が動労千葉の闘いによって破綻し、追いつめられた支配階級が、あらためて労働運動全体を破壊するために、全逓労働運動を狙い撃ちにする攻撃だった。これを突破口に自治労、日教組などの公務員労働運動を解体し、全社会的な戦争翼賛体制づくりを目指した。
全逓労働者の仲間は「郵政民営化絶対反対」で闘う意志を固めた。「動労千葉のように首をかけて闘おう!」が合言葉となり、「物ダメ・ストライキで闘う」基本方針が決まった。小泉郵政選挙直後の05年10月21日、東京渋谷・宮下公園で戦闘宣言が発せられた。そして同年の11月労働者集会で全逓の青年労働者が全国の職場で闘いを開始する決意を表明した。東京中郵の仲間が闘いの先陣を切った。07年10・1民営化移行を前に、青年労働者が単身で1週間の超勤拒否を貫き、当局・資本と非和解的な闘いに突入した。
一見「孤立」した闘いは、民営化で一変した職場環境で苦闘する現場組合員の魂を揺さぶった。年末繁忙期の混乱する職場で青年労働者が再び超勤拒否宣言した時、組合を越えて超勤を拒む労働者が30人近くも現れた。「定時に帰るのは気持ちいいね」と、隣の労働者が声をかけてきた。
08年に入り、東京中郵の銀座移転は闘いの結節点となった。全逓労働運動の中心である東京中郵を建物ごと破壊する廃局攻撃で、核心は職場の団結破壊だった。
4月21日夕刻の銀座移転反対集会の直前、当局は課長数人で今回立候補した青年労働者を取り囲み、彼にだけ「超勤業務命令」を出した。あからさまな集会妨害と団結破壊だ。仲間の怒りが爆発した。「俺にも業務命令を出してみろ!」と課長を追及、局内を追いかけ回した。仲間たちは団結の力で「業務命令」を粉砕、超勤拒否を貫いた。
4・21集会・デモは成功、銀座移転は現場の団結強化に転化した。さらにサミット粉砕の渋谷デモ(6・29)の戦闘的な息吹が職場に伝わった。
今回、職場の仲間たちは、自分の隣の労働者を信頼し、「民営化絶対反対」「JP労組中央打倒」「民営郵政打倒」を正面から訴えた。
御用支部長・糀谷の言葉がある。「一般の労働者はどんなに職場が大変でも当局に従う」。典型的な御用運動の思想、労働者蔑視(べっし)だ。絶対反対で闘う労働者が職場に1人でもいれば仲間は必ず立ち上がる。現実に隣で怒り悩み苦闘している労働者は、必ず自己を解き放って立ち上がる。その信念は8・30中郵の闘いに結実した。
いま全国の郵政職場でゆうメイトの活動家を狙い撃ちにする雇い止め攻撃が吹き荒れている。職場と産別を越えた民営化絶対反対の闘いの力が求められている。
現場の仲間は語った。「団結を広げる本当の闘いはこれから。中郵の闘いはすべての労働者とつながっている。動労千葉派と世界の労働者が集まる11月労働者集会に、あらゆる職場から大勢の参加を実現しよう」