クラ討弾圧裁判 内田君と熱い交歓 荻野富士夫さんが証言
クラ討弾圧裁判 内田君と熱い交歓
荻野富士夫さんが証言
8月27日、07年10・17法大クラス討論弾圧裁判第10回公判が東京地裁(半田靖史裁判長)で開かれた。被告の内田晶理(てるまさ)君は「法政大弾圧ぶっ飛ばそう!7・24全国集会」当日、法大構内への「建造物侵入」デッチあげで逮捕・起訴され、留置場からの出廷。二度にわたる起訴にまったく屈しない元気な笑顔で、傍聴に集まった学生と熱く交歓した。
今回は弁護側証人として小樽商科大学教授の荻野富士夫さんの尋問が行われた。荻野さんは戦前の治安維持法体制研究の第一人者で、小林多喜二『蟹工船』感想文を組織して『私たちはいかに「蟹工船」を読んだか』をまとめた方でもある。
荻野さんは冒頭、「20世紀に入って戦争が国家総がかりの総力戦になったため、総力戦体制をつくるための治安体制が確立された」と述べた。
そして「治安維持法を主翼とし、特高警察や思想検事、軍隊の憲兵などを担い手とした治安体制において、学生運動弾圧は大きな比重を占めていた」と指摘。治安維持法の初適用が1926年の京都学連事件だったこと、29年には文部省に学生弾圧のための「学生部」がつくられ、内務省から特高課長をリクルートして学生弾圧にあたらせたこと、治安維持法で検挙された学生に「転向すれば復学を認める」と脅して転向を迫ったことなどを明らかにした。
さらに45年の敗戦後も警察や司法は治安維持法を廃止するつもりはなく、「軍隊がなくなれば、自分たちがますます治安体制を維持しなければならない」と考えていたことなど、戦前の治安弾圧体制が戦後も引き継がれたことを断罪した。
最後に弁護士が「今はどの時代と類似性があるか?」と問うと、「1931年の『満州事変』前夜に治安体制を確立した、その一歩前まで来ている」と断じた。
戦前と戦後の連続性、そして今がまさに戦争前夜であることを暴いた荻野さんの証言に、傍聴席からは大きな拍手。法大弾圧との闘いに戦争を阻む大きな力があることをますます確信した。
第123●章節 次回、7・24弾圧初公判に結集を
10・17法大クラス討論弾圧裁判は今後、7・24集会当日に不当逮捕された内田晶理君、鈴木研也君、市川知寛君の3人の裁判として進む。9月25日の第1回公判に集まろう!