「女性解放と労働者階級解放は別だ」と叫ぶ塩川一派打倒を 11月集会に総決起しよう 革共同中央女性解放組織委員会
「女性解放と労働者階級解放は別だ」と叫ぶ塩川一派打倒を
闘う女性は今秋11月集会に総決起しよう
革共同中央女性解放組織委員会
世界革命情勢が訪れている。労働者階級が権力をとり、現在の腐りきった社会を根底から変革する時が来た。ところがこの重大な時に、女性解放運動の中から、プロレタリア革命を否定して労働者階級とは別の道を歩もうとする人びとが現れた。これは単なる「誤り」ではない。帝国主義への完全な屈服と転向の道である。このような動きを断固粉砕し、女性解放闘争の進むべき道を明確にしよう。
第1章 女性運動に分断を持ち込む塩川一派
世界金融大恐慌の爆発、ドル暴落、原油や食糧の暴騰——新自由主義が、生きられない現実を世界中でつくりだしている。20世紀を生き延びてきた資本主義・帝国主義がついに終わりの時を迎えている。これに対してプロレタリア世界革命こそが唯一の解決の道であることが、何よりも全世界の労働者階級人民の闘いをもって日々明らかになっている。世界中で労働者のストライキ! ストライキ! ストライキ! 食糧暴動、漁民のスト、農民の決起が始まっている。
階級闘争の新しい局面、革命を本当にやりぬく時代、労働者階級の階級的団結こそがすべてを決める時代が来たのだ。サミット戒厳体制を打ち破った6・29渋谷の闘いは、団結した労働者には世界を変えられる力があることを示した。労働者階級が団結すれば、資本家階級の支配を打ち倒し、労働者が権力を握って新しい社会をつくることができる。なんとしても革命をやろう! この一点ですべての闘う人民が労働者階級のもとに団結して総決起する時だ。
ところがこのわくわくするような情勢に逆に意気消沈して、「革命などとんでもない」と考えている人たちがいる。民主党など既成の野党、連合の労働貴族、革命を裏切るのをこととしてきたスターリン主義などがそうした態度をとるのは何の疑問もない。問題は、昨日まで一緒に闘ってきたはずの人たちの中から、いざという時になって革命を否定し、革命への闘いに公然と敵対する人々が現れたことだ。それが革共同から脱落・逃亡した塩川一派だ。
塩川一派は現在、婦人民主クラブ全国協議会を始めとした女性解放運動の中に混乱と分裂を持ち込むことを狙って、実に卑劣な策動をしている。昨年11月労働者集会の戦闘的デモに対し、「あんな怖いデモはやれない」という反対の声を組織して回った。今年の6・29渋谷には参加を拒否し、「革命情勢なんかない」「大衆運動に革命の話を持ち込むのはセクトによる支配だ」などと、革命の否定を公然と主張して回っている。
これは、現に始まっている資本・権力との非和解の激突の真っただ中で、労働者階級の団結を破壊し、闘いを分断する許しがたい行為だ。徹底的に粉砕し、のりこえて、労働者階級の闘いと一体となった女性解放闘争の新たな革命的大前進をかちとろう。
第2章 革命の道か敵階級に寝返るかの分裂
まずはっきりさせたいことは、今始まっているこの分裂と対立の本質である。この対立は一時的で修復可能なものなのか? 「運動のやり方が違うだけで、話し合えば分かりあえる」性格のものか? こうした考えはまったく間違っている。
なぜこんな分裂と対立が生まれたのか。世界革命情勢が急速に成熟しているからだ。この情勢を前に、プロレタリア革命を本気でやりぬくことを決意するのか、それを拒否して現体制にあくまでしがみつくのか。ここに対立の根幹がある。そしてこの対立には、妥協の余地はどこにもない。
確かに、昨日まで同じ旗のもとで闘ってきた人たちが今日は互いに敵として向かい合うという激しい事態が、多くの人に衝撃を与えていることは想像に難くない。だがこれは、階級闘争の歴史の中で幾度も起きてきたことだ。かつて第1次世界大戦時、当時の国際労働者階級の指導部がその直前まで「戦争反対」を掲げながら、一夜にして態度を豹変(ひょうへん)させ、自国帝国主義の行う戦争を擁護する側に回った歴史は有名である。塩川一派の行動は、それとまったく同じなのだ。
今日の時代そのものが、全世界で続々と沸き起こっている労働者階級人民の闘いが、革命の道を選ぶか否かをすべての人びとに待ったなしに突きつけている。中間の道はない。この土壇場で、敵階級の陣営に寝返ることを選択したのが塩川一派だ。これが対立の出発点だ。
塩川一派はこのことをごまかすために、「セクトの介入」がなければこんな対立は生まれないかのような話を流している。ふざけるな! ということである。
問われているのは私たち一人ひとりの階級的立場だ。革命を拒否して自分たちだけは帝国主義国家が許す範囲内での体制内の小運動として生き残ろうなどという、腐り切った考えを粉砕し、今こそ私たち自身が革命の主体としてぶっ立つ飛躍をなしとげよう。
第3章 プロレタリア革命こそ女性解放の道
そもそも、女性の解放とは何か。女性の真の解放は、プロレタリア革命による階級社会の廃絶=共産主義社会の建設の中にしかない。なぜなら女性への差別・抑圧の根源は、私有財産と階級社会の発生そのものの中にあるからだ。
労働力の商品化=賃金奴隷制の上に成り立つ資本主義社会は、この女性差別・抑圧を一層耐え難いものにした。女性労働者はこの社会で「子産み道具」であり続けることを依然として強制されながら、資本がより安くいくらでも使い捨てにできる賃金奴隷として徹底した搾取の対象にされている。資本主義のもとでの家電製品やコンビニ弁当の出現による「家事労働の軽減」は、資本の支配のもとでは逆に多くの女性をますます過酷な労働と競争に駆り立てるものでしかない。さらに、資本の労働者支配の一環として強められる性の商品化と女性への性暴力は、女性の人間的誇りを徹底して奪うものとなっている。
重要なことは、資本主義が同時に自らの墓掘り人として、近代の労働者階級=プロレタリアートを大量に生み出したことである。労働者階級は、自分たちを人間ではなくモノとして扱うこの社会を全面的に転覆する革命なしには解放されない。そして労働者階級は、団結して闘うことによって資本主義社会を転覆するだけでなく、この闘いをとおして階級社会のもとで奪われてきた人間的共同性を奪還し、階級社会そのものを廃止できる階級なのである。
〈労働者階級の階級的解放が、同時に全人間の普遍的解放である〉というマルクス主義の核心は、新自由主義のもとで資本主義・帝国主義の社会がその最末期の腐敗した姿をさらけだしている今日、ますます真実となっている。だが実は、塩川一派はこのことを真っ向から否定しているのだ。
「労働者階級の解放と女性の解放は別だ」「プロレタリア革命だけでは女性は解放されない」——これが塩川一派の主張だ。これは、女性解放闘争をプロレタリア革命から完全に切り離し、分断するものだ。現体制のもとでの永遠の「差別撤廃運動」のようなものに変質させるものであり、真の女性解放への道を閉ざすものである。
こうした主張の背後には、彼らの労働者階級に対する根本的な不信と蔑視がある。「現実の労働者は帝国主義のもとで差別にまみれていて、社会を変革する力など失っている」というのだ。しかし労働者階級は、資本との非和解の闘いをいったん開始するならば、そこに形成される階級的団結をとおして、旧社会のあらゆる汚物を振り捨てて革命をやりぬき、新社会を建設しぬく力を自ら獲得していくことのできる階級なのだ。多くの労働者がそうした闘いにまだ立ち上がれないでいるとしたら、それは資本・権力と体制内労働運動の抑圧のもとで団結が奪われた状態に置かれているからにほかならない。
塩川一派を始めとする血債主義・糾弾主義の運動は、「差別との闘い」を口実にしながら実際には、労働者階級の団結を破壊し、労働者階級と被差別人民の闘いを分断するために、それらの運動を利用しようとするものだ。絶対に許せない。粉砕、打倒あるのみだ。
第4章 階級的団結拡大に一切をかけ闘おう
プロレタリア世界革命を現実に闘いとっていく道は、今日、動労千葉を先頭とする階級的労働運動の発展と、11月労働者集会の日韓米3カ国の国際連帯の発展の中にある。この間の青年労働者の職場での闘いの前進や、法政大学での学生の闘い、サミット粉砕決戦の爆発は、日本階級闘争の中に「動労千葉派」「11月集会派」を無数につくりだす闘いとしてかちとられた。
今秋11月集会を、自らの職場を革命の拠点に変えることを決意した1万人の闘う労働者と、この労働者階級とともに闘うすべての人民の総結集の場として闘いとることが決定的に重要だ。ここでの階級的団結の形成の中に、日本労働運動の階級的再生の道があり、ソビエトの形成とプロレタリア権力樹立を現実に闘いとっていく道がある。
女性解放運動は、この闘いの中で、プロレタリア独裁を準備していく一翼を担って重要な役割を果たさなければならない。「天の半分」を占める女性を、プロレタリア革命の担い手として圧倒的に獲得することだ。そのために職場で、地域で、階級的な労働組合・労働運動と一体となって闘おう。農民・漁民、都市の勤労諸階層などすべての人民の中に分け入って、労働者階級とともに闘う女性たちの巨万の決起をつくりだそう。