2008年7月28日

爆取差し戻し審 “証人尋問をやめろ”3被告が次々に異議

週刊『前進』06頁(2353号6面2)(2008/07/28)

爆取差し戻し審 “証人尋問をやめろ”
 3被告が次々に異議

 7月23日、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判の差し戻し審第5回公判が東京地裁刑事第20部(林正彦裁判長)で行われた。6月23日の第1回公判からちょうど1カ月の間に5回の公判が行われるというすさまじい強行日程だ。
 しかし、須賀武敏・十亀弘史・板垣宏の3同志と弁護団は、控訴審判決(及び最高裁決定)を盾に拙速裁判で「有罪」を押し付けようとして関連性のない証人尋問を強行しようとする裁判所と徹底的に対決してきた。「一審無罪判決は生きている。それを覆すことは断じて許さない」と、あくまでも攻勢をとってこの1カ月間の激闘を闘いぬいた。
 公判の冒頭、十亀同志が「前回の岡田証人尋問により、当裁判所が採用を決定した4名の証人調べの無意味さが一層明らかになった、本日の吉田証人らの尋問をするな」と怒りの意見陳述を行った。須賀同志、板垣同志も次々に裁判所の強権的訴訟指揮を弾劾し、証人尋問を直ちにやめろと要求した。
 3人の意見陳述にもかかわらず、橿原借家関係証人、元警視庁公安・吉田喜平の尋問に入ろうとした林裁判長に対し、十亀同志が直ちに「異議あり」でさえぎった。「橿原借家とわれわれとは一切関係がない。同借家から押収されたというメモ類は1986年3月の大阪府警本庁舎爆破事件関係のものであり、別件の『証拠物』にすぎない。検察官は別件である岩手鍋爆弾事件の『証拠物』を横流ししてわれわれをデッチあげているが、今また別件『証拠』を利用しようとしている。断じて認められない」と怒りを込めて弾劾した。
 須賀同志、板垣同志も林裁判長を弾劾・追及し続けた。吉田を証人席に座らせたまま、1時間にわたって、異議の申し立てと却下決定の応酬が繰り広げられた。第1回公判では「須賀さん、体の具合はどうですか」などと余裕を見せていた林裁判長は今や髪を振り乱し、傍聴席に向かって「発言するな」などと怒鳴り始め、その反動的正体をあらわにした。

 第1章 「証言」に信用性はまったくない

 4年前に定年退職した吉田は、人間の記憶のメカニズムを無視して20年前の出来事を昨日見てきたようにさもさもらしく「証言」して見せた。こんな証言に信用性はまったくない。
 青木幸雄(元警視庁公安、3年前に定年退職)は警察が関之沢林道を93年5月に捜索し、ロケット弾の発射装置に関連する破片が見つかったことを「証言」する証人である。これはきわめて不自然な捜索・発見であり、福嶋裁判でも証拠捏造(ねつぞう)だと弾劾している。検察はそれを意識し、青木は87年9月に関之沢林道の捜査をやったが、その際は周辺の不審者動向を調べたのみで、林道終端部まで行ったのは自分ともうひとりの2人で、捜索はやっていない、とウソの証言をさせた。
 古池澄夫証人は元警視庁公安で林道終端部で発見されたとする破片の寸法を測って報告書を書いたとする警察官であり、まったく無意味な証人である。3同志は最後まで証人尋問は許さないと闘いぬいた。
 次回第6回公判は東京地裁429号法廷で9月10日午後1時15分に開廷する。傍聴に駆けつけ、被告団とともに闘おう。