団結ひろば 投稿コーナー
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第1章 洞爺湖サミット粉砕札幌で闘いぬいたぞ 北海道・金融労働者 小松青海
7月5〜7日の3日間、サミット粉砕札幌現地闘争を全力で闘いぬきました。地区には、かつてない充実感と勝利感があふれています。
5日、NGO系の集会に登場しビラまきをしました。塩川一派とカクマルもいます。こんなやつらにサミット粉砕を語る資格などない。「全世界の労働者の団結でサミット粉砕、世界革命へ」と鮮明に訴えるビラがどんどん受け取られていきます。塩川一派は「新自由主義反対」「労働運動がこれまでの壁をやぶって発展する時代」などと書いてはいるが、動労千葉や韓国労働運動、アメリカ・イラク労働者の連帯ストについては全くふれていない。カクマルは偽善G8と「偽善」がキャッチコピーのようだ。彼らの主張には帝国主義打倒がない。帝国主義打倒のないサミット偽善論、カクマルこそ偽善だ。
6日、街宣のあと集会です。全国から260名の結集で、闘う意欲と楽しさにあふれた集会でした。北海道の仲間も集会の運営にかかわりましたが、非常にいい経験となりました。いつまでも中央におんぶに抱っこではいけないと、一人ひとりが必死でした。やりきって自信もつきました。デモ行進は、権力が時間の変更やコースの短縮と規制を加えてきましたが、最後まで「サミット粉砕、団結勝利」のコールで戦闘的にアピールしました。
7日、前日の闘いを報告するビラまきと街宣をしました。労働者の関心は非常に高く、いつもより注目度が違います。法政大生不当逮捕救援署名が多数集まり、『前進』もこれまでの水準を超えて売れ、討論が起こりました。やっぱり労働者は闘う方針を求めている。
TVではサミットについての街頭インタビューが放送されている。労働者は「こんなにお金をかけて何を話し合ったの」と口々に怒りをあらわにしている。勝たなければ死ぬしかない帝国主義に「ルール」などできるわけがないのだ。喜んでいるのは「特需」に沸いた地元ブルジョアジーだけだ。3日間を闘いぬき、ますます階級的労働運動路線に確信を持ちました。団結を固め、11月集会に向かいたい。
第2章 サミット粉砕を訴え工場街で『前進』売る 神奈川 河木実
サミット決戦の過程で工場街で『前進』を売ったところ、青年労働者が気持ちよく買ってくれました。『前進』は売れる、これが実感です。
退勤時の2時間、工場から出てくる労働者にサミット粉砕のビラをまきながら、受け取ってくれた人に「うちの新聞いかがですか」「労働者の団結で世の中を変えようという新聞です」と訴えました。
初回は2部売れました。自転車で帰る35歳の労働者と機械修理の30歳の青年でした。
1週間後の2回目は3部売れました。産廃職場の20歳と炉で働いている25歳の青年、もうひとりは27歳の天井クレーンの運転士。彼は「4年間働いた非常勤講師を辞めて社会勉強のために今の仕事についたが、そろそろ闘いを始めないと」と語り、マルクス主義に関心を示しました。
サミット決戦を闘いぬいた直後の3回目は5部売れました。初回に買ってくれた機械修理の青年とは顔見知りになり、今回も買ってくれました。「労働者の立場に立って書いているのが良いですね」とストレートな感想を述べてくれました。
26歳の化学工場で働く派遣労働者は「大学を出て今の職場で働いて3年目だけどまだまだ仕事に慣れなくて」と仕事への不安を語ってくれました。「あなたこそ社会の主人公です。団結すれば世の中だって変えられます」と訴えて買ってもらいました。30歳の『赤旗』読者には、日本共産党批判のページを広げて、ここをぜひ読んで下さいとオルグして買ってもらいました。
青年労働者は闘いと団結を求めています。まずは定期的に登場して労働者と顔見知りになることです。近いうちに定期購読の読者網もつくれそうです。
第3章 「障害者」と向き合い 革命よびかけ「解雇」 東京・東部 風実
6月29日、僕はサミット粉砕の集会デモに行った。先進国が途上国の資源を奪おうという強盗会議を日本でやらせてたまるか! その怒りを、僕たちはぶつけてやろう! 二度とサミットなんかできないくらい、奴らを恐怖させてやろう。そういう気持ちでデモ許可もない渋谷の街を暴動のごとく機動隊、警察とぶつかり合い、衝突し、歩いた。僕たちは勝利した! 国家権力より、団結の力が勝利した!
1980年代以来、バブル破綻(はたん)から増え続ける日本の借金。そんなツケをまわされてたまるか! どんなに低賃金になろうと、消費税が上げられようと、日本の借金はなくならない! 破綻しきった資本主義社会に未来はない。こんな社会は続けさせない。労働者が働かなければ資本家は食っていけない。団結して、革命おこして労働者が権力とろう!
僕が「態度が悪い」と解雇通告されたのは、利用者の障害者と向き合ったからだった。生活のほとんどに介助をつかい、あらいざらいを見せる障害者。僕も「僕を隠しちゃいけない」と思った。介護時間が必要だと闘う障害者の人、地域で自立生活をしようと闘う障害者の人に、僕は向き合えばこそ革命をよびかけた。そうでなければ、人間と人間の関係ではないと思った。
社長からは「障害者と向き合おうとしていない。障害者の痛みをわかろうとしていない」と言われた。「障害者=痛み」としか見ることのできないゆがんだ発想を押しつけ、サービス残業を強制し、権力をふるうけど、現場の人員不足なんて全然考えていない。働いてやっているのは、労働者たちじゃないか。
いったんは解雇は撤回させたけれど、まだまだ僕の闘いは続く。
第4章 「侵略史講座」会場で林歳徳さんを偲ぶ会 東京 高橋陽子
4月27日に急逝された林歳徳さんを偲(しの)ぶ会を7月12日に行いました。林さんとともに「日本のアジア侵略史を考える市民講座」を担ってきた実行委員が中心になって準備したもので、14年間にわたってその講座を開いてきた文京区民センターが会場でした。
約30人の参加者から林さんの生涯の一断面がさまざまに語られました。
1989年、朝日新聞の「昭和人間史」というシリーズで林さんの半生を連載された元朝日新聞記者の方は、戦後50年の歴史の前に侵略の50年があることを林さんは指摘し、自らを「第4種日本人」と呼んで日本の近代史を知る上で大切な視点を提起し続けてきたことを、さまざまなエピソードを交えながら語られました。
また在日台湾人2世の女性は、林さんと出会って初めて自分の歴史を取り戻すことができたこと、林さんからは、日本と台湾の架け橋になっていけばいいよ、と励まされてきたこと、人間は生きている一生が闘いだ、ということを教えてくれた素晴らしい人生の先生であり、今も胸に生きつづけていることなどが語られました。
さらに婦人民主クラブ全国協からは、今年の3・9国際婦人デー集会に参加されていた林さんと固い握手を交わしたことが紹介されました。
林さんは、11月労働者集会をはじめすべての闘いに杖(つえ)をつきながら参加され、いつも参加者に分厚いチラシの束を手渡していました。
林さんは、死の直前まで、つねに闘いの中に存在し続けていました。私は「天皇制日本帝国ある限り、アジアに平和は来ない」との林さんの訴えにこたえ、「星火団」として闘いぬくことこそ、林さんの遺志にこたえる道だと確信しました。
第5章 『蟹工船』を読んで—キーワードは“団結” 青森 深沢走
①資本家階級の労働者支配の論理は今と同じ「分断」。国際的分断=「露助」に比べて「日本人」は勤勉で偉い。工場内での分断=競争。アメとムチ。
②闘いの場は自分の職場。嵐でロシアに助けられ、船に戻らない選択もありえたが、過酷な労働を強制される船に戻って闘いを組織。
③労働者が団結する基盤は資本家が用意してくれる。出身階層がさまざまな労働者が、働くことで意識を共有。
④労働者を導く党が必要。「吃(ども)り」は帝国海軍を味方と誤認して1回目ストは敗北。党があれば、初めから”敵だ”と暴露できた。
⑤闘いをつくる論理。「今こそ内へ内へとこもっているが、火薬よりも強い不平不満がつまっている。それを頼りにしている」今はまだ立ち上がる時ではないと言うのに対し、「殺される時も仕方ねえか」「今殺されているんでねえか。小刻みによ」。資本家の目的は労働者を搾取してもうけること。労働者を殺せば損するのは資本家。「駆逐艦がきたら一人残らず引き渡されよう」「先の成算なんてどうでもいい。死ぬか生きるかだ」
国鉄分割・民営化時の動労千葉の決断と同じだ。隣の職場の労働者がストに対して「やれやれ」と言うのに対し、「やれやれじゃねえ。やろうやろうだ」。みんな一斉の「サボ」に対する監督の反応を見て、「やれる」と労働者が自信を取り戻す。闘いの経験が労働者を変える。キーワードは”団結”。
最後。勝って投獄されても、闘いの火種は広がり、労働者がいる限り闘いはやまない。