2008年6月16日

現闘本部裁判 建物検証を行え 同盟・弁護団が猛抗議 仲戸川裁判長を追いつめる

週刊『前進』06頁(2347号6面3)(2008/06/16)

現闘本部裁判 建物検証を行え
 同盟・弁護団が猛抗議
 仲戸川裁判長を追いつめる

 第1章 強権的な指揮に廷内が騒然

 6月12日、千葉地裁で天神峰現闘本部裁判が開かれた。昨年7月19日に反対同盟側が仲戸川隆人裁判長に対する忌避を申し立ててから約1年。忌避は最高裁によって不当にも却下され、再び仲戸川裁判長のもとで開かれることになった。
 NAAは「暫定滑走路の誘導路をまっすぐにするのにじゃまだから本部建物を撤去しろ」「木造建物は鉄骨造り建物に吸収され、解体・滅失した」と申し立てている。
 ふざけるんじゃない!「へ」の字に曲がった誘導路を勝手に造ったのはお前たちじゃないか! 何が「解体・滅失」だ。本部の建物は不当にも成田治安法で封鎖されているが、木造建物は厳として存在している。
 反対同盟が「裁判所は木造建物の存在を実地に検証せよ」と繰り返し要求してきたにもかかわらず仲戸川裁判長は言を左右にし、それをやらないまま証拠調べに突入しスピード判決を出そうという腹なのだ。こんな不公平で理不尽な裁判官は忌避されるのは当然だ!
 そして今回、仲戸川は前にもまして、悪らつな姿勢をむき出しにした。
 冒頭、右陪席裁判官の交代による更新手続きとして被告側の意見表明が行われた。最初に北原鉱治事務局長が立ち上がり陳述書を読み上げた。仲戸川の訴訟指揮を鋭く批判した上、「登記された木造建物が現存していること、これが鉄骨造り建物と構造上一体のものであることを検証し証拠として残すことが必要です」と問題の焦点を明らかにした。そして三里塚裁判ではつねに、裁判所が国策という名の暴挙に加担していることを弾劾し、「徹底的に闘う」と決意を明らかにした。
 続いて葉山岳夫弁護士を始め代理人弁護士が次々と立って陳述を行った。ところが仲戸川は「最初に全員で40分に収めろと時間制限した」と言いだして抑圧し、それに抗議する弁護士に「発言禁止」を命令した。この独善的強権的な訴訟指揮に怒り、弁護団が猛抗議し、傍聴者も怒りの声を次々と発した。廷内は怒号で騒然となった。

 第2章 萩原進さんが妨害破り発言

 ここで萩原進事務局次長が被告席から手を挙げて発言を求めた。裁判長はこれをも認めない。萩原さん、北原さん、鈴木謙太郎さん、そして弁護士全員が裁判官席に詰め寄るとあわてて職員が制止にかかった。傍聴者も一斉に抗議。法廷の怒りは頂点に達した。「当事者の発言をなぜ認めない!」「なぜ忌避されたか思い出せ!」
 仲戸川は顔面蒼白で、萩原さんの発言を渋々認めざるをえなかった。
 「私にとって現闘本部は“青春の場”であり、毎日のように通った。石橋政次とは親子同然の関係で自分たち夫婦の仲人だった。石橋が土地の一角を提供し反対運動のために建てさせた。建物は多くの人がそれぞれの技術と材料を持ち寄って建てられた。すぐ隣には争点になっている市東さんの耕作地がある。これらすべてには三里塚闘争という一体の関係がある。40年以上の歴史が刻まれた普遍性がある。裁判所は現地に足を運んでそのことを自分の目で見て感じるべきだ!」
 思いのたけを込めた発言に傍聴席から大きな拍手が起こった。
 裁判長は追いつめられながら、「次回の訴訟指揮については、準備書面を検討した上で決める」などと言い逃れを続けた。市東孝雄さんは特別傍聴席から「それじゃあ一歩も進んでないじゃないか!」と一喝。最後まで検証について明言を避けて、仲戸川は逃げるように閉廷を宣した。

 第3章 6・24裁判に全力で傍聴を

 怒りに包まれた法廷の熱気そのままに、場所を弁護士会館に移して、記者会見が開かれた。弁護団がそれぞれ裁判所を追いつめた手応えを語った。この中で元千葉地裁判事の上野至が恥知らずにも原告NAAの代理人として出廷していることが暴露された。
 続いて現闘本部裁判を支援する会の例会に移り、代表の戸村義弘さんが「これこそ空港闘争裁判!」と勝利感に満ちて裁判の感想を語った。事務局の鈴木謙太郎さんは会計報告を行い、会員のさらなる拡大を強く訴えた。また群馬実行委の青柳晃玄さん、動労千葉の滝口誠さん、関実の松原康彦さんらが連帯の発言を行った。
 現闘本部裁判の次回期日は9月25日。そして6月24日には市東さんが千葉県を訴えた違憲訴訟裁判が開かれる(午前11時開廷/千葉地裁)。白熱する三里塚裁判闘争、現地闘争に駆けつけよう。