2008年6月 9日

迎賓館・横田爆取デッチあげ 6・23差し戻し審第1回公判へ 一審無罪の地平守りぬき階級裁判勝利へ進撃する

週刊『前進』06頁(2346号6面3)(2008/06/09)

迎賓館・横田爆取デッチあげ 
6・23差し戻し審第1回公判へ 
一審無罪の地平守りぬき階級裁判勝利へ進撃する

 迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判差し戻し審の開始にあたり、被告団から寄せられた烈々たるアピールを紹介します。(編集局)
 法政大学で、サミット決戦の火柱が燃え上がった。38人の若き同志たちの闘いに、身が震える感動を覚えている。私たち被告団も断固として38人に続く決意だ。
 世界の労働者が津波のように決起している。まさに革命情勢だ。崩壊寸前の帝国主義の脆弱性と凶暴性に階級的団結で立ち向かおう。獄中の38人と固く団結した資本・権力との非妥協の闘いこそが、38人を奪還し、サミットを粉砕する道だ。
 この闘いの真っただ中、須賀武敏、十亀弘史、板垣宏の3人の差し戻し審第1回公判が6月23日、午前10時より東京地裁刑事第20部(林正彦裁判長)でいよいよ始まる。私たちは、国家権力と非妥協で激突してきた21年間の地平の上で、プロレタリア革命を闘いとる裁判闘争として満を持して突入する決意だ。
 被告団・弁護団は、東京地裁の「迅速裁判」攻撃を先制的に打ち破り、冒頭の意見陳述に3回廷(第2回7月1日、第3回7月3日)を確保した。控訴審判決(及び最高裁決定)は、16年をかけて到達した一審無罪判決を、1回も事実審理することなく、検察官の主張をことごとく追認し、犯罪的な認定手法により一審判決を破棄し、弊履のごとく投げ捨てた。そして地裁への差し戻し=有罪を前提とした審理のやり直しを決定した。断じて許せない。
 われわれは権力・検察によるこのデッチあげ弾圧裁判にかけた政治目的(革共同壊滅)の全体像を徹底的に暴き、控訴審判決の超反動性・犯罪性を緒戦において、完膚なきまでに粉砕しつくす闘いをやりぬく。すべての皆さん、サミット厳戒体制を打ち破り、迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判の傍聴闘争に全力で結集してください。

 第1章 党壊滅を阻んだ20年こえる闘い

 われわれは迎賓館・横田基地へのロケット弾戦闘に関与していない。許しがたいデッチあげ弾圧に対して、16年の未決勾留を打ち破って怒りの裁判闘争を貫き、東京地裁ではついに一審無罪判決(04年3月25日)をかちとった。
 迎賓館と横田基地へのロケット弾戦闘が闘われた1986年当時、首相・中曽根康弘は「日本を不沈空母にする」と軍事大国化と改憲の道を進むことを言明し、一方では国鉄分割・民営化を頂点に大量の労働者の首切り・合理化、労働組合つぶしと無権利化、競争原理を導入し労働者を分断支配するという、新自由主義攻撃に突き進んでいた。中曽根はその最大の政治的イベントとして、東京サミットと天皇在位60年記念式典を行おうとしていたのである。
 これに対して、労働者・人民の怒りが大爆発したのが、4・15米軍横田基地と5・4赤坂の迎賓館(サミットのレセプション会場)に対する両ロケット弾戦闘であった。世界の強盗同盟の頭目たち、レーガン、サッチャーらの頭上にロケット弾が飛び炸裂したのである。
 権力はこれに驚愕(きょうがく)し、5月7日直ちに警察庁長官・山田英雄が「中核派を根絶せよ」と全国の警察本部に通達を出した(「5・7宣言」)。“証拠なんか気にするな。なにがなんでも中核派を捕まえろ、警察の総力で中核派をぶっつぶせ”ということだったのである。
 この結果、別件岩手爆取弾圧事件で東京拘置所に勾留・裁判中であった私たち3人が翌87年10月にデッチあげ逮捕され、同時に福嶋昌男同志が、東大宇宙研に勤務したことがあるというただそれだけの理由で全国に指名手配されたのだ(福嶋さんは93年に不当逮捕され、3人とは別の裁判でまったく不当な一・二審有罪判決を受け、現在上告審闘争を闘いぬいている)。
 その意味で私たちの裁判は、動労千葉の階級的労働運動の闘いと一体の中曽根以来の日帝による新自由主義攻撃との対決であり、重罪デッチあげ弾圧を粉砕し続けているのだ。「20年以上前の事件の裁判」ではなく、今日的な階級攻防であり、労働者階級の自己解放・革命へと至る闘いそのものである。

 第2章 密集した反動を打ち破って勝つ

 国家権力の弾圧との闘いにおいて、妥協はない。ケースバイケースなどということは断じてありえない。闘って治安弾圧を打ち破り、敵の弾圧機構をずたずたに引き裂いて勝利しうる唯一の道は完黙・非転向である。敵権力の弾圧が無力であることを徹底して暴きだし、革命の意志と闘いを弾圧によって傷つけることも、抹殺することもできないことを獄中の革命家が身をもって示した時、弾圧は権力自身の桎梏(しっこく)へと転化する。これこそが獄中闘争・裁判闘争の真価であり、巨万の労働者階級から党が信頼を受け、巨万の労働者階級の団結を拡大する闘いである。
 一審無罪判決は権力にとって到底容認しがたい事態であった。権力はその取り戻しをかけて、事実などどうでもよいとばかりに、福嶋裁判で重刑有罪判決(06年3月3日)を下し、われわれ3人の裁判での「破棄・差し戻し」判決(同年5月29日)とその最高裁決定における追認(07年10月16日)を行ったのだ。
 洞爺湖サミットに向けた治安攻撃を粉砕しよう! サミット厳戒態勢と連動した迎賓館・横田爆取デッチあげという密集した反動を粉砕しよう!
 わが被告団は、差し戻し審においてこれを迎え撃ち、一審無罪判決の勝利の地平を握りしめて離さず闘う。そして、裁判闘争の勝利が労働者階級の闘いを鼓舞激励しその発展を促し、同時に職場からの労働者の闘いと決起が救援運動と強固に結びつき、敵権力の治安弾圧を最終的に打ち砕くような新しい形の裁判闘争を実現し勝利する。6・23公判闘争に結集し、ともに闘おう。
 (迎賓館・横田爆取デッチあげ裁判被告団)