2008年6月 9日

今春の不起立闘争−私の総括 根津さん解雇攻撃に怒り均衡ぶち破る闘いを決断

週刊『前進』06頁(2346号5面1)(2008/06/09)

自己の「体制内」との決別かけて 
今春の不起立闘争−私の総括 
根津さん解雇攻撃に怒り均衡ぶち破る闘いを決断 
東京・教育労働者 米山 良江

 東京の教育労働者・米山良江さんの今春「日の丸・君が代」不起立闘争の総括を紹介します。米山さんは、根津公子さんへの解雇を阻止するために、体を張って闘いました。(編集局)

 第1章 動労千葉の団結に学んで

 03年に「10・23通達」が出されて5年目を迎え、東京の「日の丸・君が代」強制反対の闘いは新たな段階に入っていました。画期的といわれる「9・21判決」は、闘いの内部に裁判闘争への幻想を生み出し、不起立闘争の後退を結果しました。さらに、「内心の自由、思想・良心の自由を守れ」で闘うのか、「戦争協力拒否」を押し出して闘うのかの路線的分岐も、ますますはっきりしてきていました。
 私は「10・23通達」以来、計8回の卒・入学式でずっと不起立を続けてきました。06年度の卒業式で、事前に職員会議で不起立宣言していた私は、式の直前校長に呼び出され、「君が代が終わった後に式場に入るよう」説得されました。私はその提案をきっぱり拒否しました。しかし職務命令は出されず、その結果、不起立しても黙認に終わっていました。その年、根津公子さんは、累積加重処分で停職6カ月の重処分を受けました。
 同じ思いで同じ行動をしていて、一方はずっと黙認、他方は免職に追い込まれようとしている−−この差別的対応こそ、分断攻撃そのものです。
 確かに職場闘争の結果ということはあるかもしれない。しかし理不尽な分断に甘んじ、この力の均衡を許していたら、敵の見せしめ処分に手を貸すことになるのです。主観的には闘っているつもりの自分が、当局の分断攻撃を許す当事者に転落してしまうわけです。ここでの悶々(もんもん)とした状態を突破する指針を、動労千葉労働運動から教わりました。

 第2章 日常的な職場闘争が原点だ

 若い同僚から「前の職場でも座っている先生がいたが、座る理由を話さないのでどうして座るのか分からなかった」と言われて、若い世代は職員会議で論議することを知らないまま、きているんだとあらためて気付かされました。
 学校職場では、やはり職員会議が重要な闘いの場です。ここでの闘いこそが力関係を決めるのです。だから今、これを破壊する攻撃が強まっているわけです。そこで異議を唱えることは、一見大変そうでも、もの申す人が一人から二人、そして三人にしていくことが職場闘争の始まりです。
 歴史認識の共有、教育改革攻撃への疑問、管理強化に対する反発や怒りは、ここでの真剣な問題提起が決定的です。怒りを組織し、団結を作り出す場として、日常的に闘うことだと思います。時間が足りない分は、資料を作ってどんどん配ることです。書類の山の中に埋もれて読んでいないようでも、しっかり読んでくれています。

 第3章 突出した決起で「均衡破壊」

 「職務命令を引き出すようなことをしたら、浮いてしまうか?」。そんなことはありません。たとえ処分されても、おかしいことはおかしいと行動に踏み出すことで、仲間の決起を引き出し、職場の団結が固まるのです。多忙化、管理強化の中で、音の出るような闘いをやらなかったら、職場は動きません。支配を打ち破ることになりません。
 これまでの人間関係を壊すことに躊躇(ちゅうちょ)していないだろうか。また組合執行部を担っている場合、それを理由に難しいと思いこんでいないだろうか。しかしこういう考えこそ自分が作っている壁そのものです。本物の闘いに踏み出す時の最大の桎梏(しっこく)です。やらない言い訳になるのだとしたら、役職にいることはなんの意味もありません。今の情勢下では、体制内勢力の一翼を支えることにしかなりません。
 では、どうするのか。階級情勢が求める闘いを、所属する組合運動の枠を超えても断固貫徹することです。その闘いは一人の闘いから始まります。自分がその一人として踏み出すことが決定的です。
 批判的意見を言うだけなら許容されても、行動に踏み出したとたん、関係は一気に変わります。「絶対反対」「処分するならしてみろ」と堂々とぶっ立ったら勝ちです。突出した決起こそ、階級的団結を作り出していく出発点です。本気の闘いの中で周りの一人ひとりが選択を迫られ、決起が生み出されるのです。
 当局の処分、組合の統制処分が出たら、それこそチャンスです。問題が誰の目にもはっきりします。"不当な攻撃になんか従えるか。私たちは誇り高き労働者だ"と立ち上がったら、不当な命令を出した側が追い詰められるのです。日常的に屈従を強制されている労働者は、だからこそ「これだけは譲れない」ものを奪われようとする時、人間としての根底からの怒りがわき上がります。腹の底からの怒りが原点、闘いのエネルギーです。

 第4章 「折り合い」をつけそうになる自分と闘う

 「闘いの司令塔が必要だ!」。夏過程で考え抜いた末に、公然と不起立を呼びかけることを決断しました。
 9月に入って不起立の呼びかけを開始しました。都庁前でもアピールしました。10月に入って9・29ワーカーズアクションでの発言の報道が載った新聞が、都教委、区教委へと回され、学校に連絡が入った時は、管理職はもう大慌てでした。2時間近く校長室に缶詰めにされ、泣き言を聞かされました。
 その騒ぎも1週間ぐらいで落ち着き、何事もなかったかのように時間が過ぎていきました。後日、「『表現の自由』があるからアピールについてあれこれ言えない」と、区教委と校長が話していたことが分かりました。問題を起こしたくない、つまり闘いを押さえ込むことに、当局は必死だったのだと思います。
 12月25日、2回目の都庁前アクションの時、再度連名のビラを出しました。昼ごろ校長室に呼ばれ、私が出勤しているかどうか都教委から確認があったと伝えられました。私はそれを振り切って、「これから休暇で都庁へ行きますよ」と言って早々に学校を飛び出しました。多忙化の中で、年休を取ることはそれ自身が闘いです。しかし、それが仲間へのオルグのきっかけです。堂々と闘いの意義を伝えて、「巻き込む」ことだと思います。
 3月に入って職務命令を出すつもりなのか校長に聞いたところ、その時点でも「そのつもりはない」と言われました。
 根津さんをとことん孤立させ、分断し、見せしめ「解雇」処分にする一方で、他の不起立者は見逃す、ここまでデタラメで理不尽なことをしても不起立闘争を根絶したいのです。「たとえ解雇されても不起立を貫く」と宣言して闘う根津さんの闘いがどれほど都教委を追い詰めているか、都教委の焦りと魂胆が手に取るように分かりました。

 第5章 「処分するならしてみろ」−これだ!

 もとより処分は不当なことです。絶対に許せません。しかし、処分を出さざるを得ないところに追い込まなければ、「黙認と解雇」という分断攻撃を許すことになります。この均衡をぶち破るためにどうしたらいいのか----。
 考えに考え、そして考え抜いてひらめいたのが都教委への要請書提出です。「毎年不起立をしている私は処分されず、なぜ根津さんが免職なのか。説明してほしい」。敵の弱点を引きずり出した!の思いでした。長年の不起立の事実の公表、記者会見、新聞報道。初めてづくしで、この過程はもう必死でした。
 根津さんを先頭に、処分を決める都教委定例会の前日まで、組合執行部の制動を打ち破って連日の都教委追及行動をやり抜き、本当の団結を作り出していきました。体制内勢力にとっては「常識外れ」の闘いで、ついに力の均衡を打ち破りました。

 第6章 「闘う私たちこそ日教組」

 私たちが合言葉にしてきた「ランク・アンド・ファイル」。この闘いこそ決定的です。体制内執行部がやらないなら、自分が執行部になり代わり、自分で方針を考えて仲間を組織して闘いを作ることです。闘う組合員こそが「日教組」です。執行部を弾劾するだけでは、何も変わりません。この執行部と中途半端に妥協し、折り合いをつけることも、体制内的屈服のあり方です。
 たとえば、2月上旬の日教組全国教研で、根津さんのレポートを日教組本部が排除したときのことです。中央委員会決議まで挙げたのにすでに屈服していたわが東京教組執行部は、本部への追及がまったくアリバイ的で腰砕け。組合員の怒りが雲散霧消させられそうになりました。
 しかしここであきらめたら体制内執行部に、してやられたりです。有志とともに本部主催の緊急会議に押しかけ、解雇させない会と一緒に本部弾劾行動に立ちました。その結果、本部の大裏切りを全国の仲間が知るところとなり、怒りが噴出。平和教育分科会では、レポート外しをされた町田教組委員長の発言をかちとったのです。
 根津さんを解雇させないために今年に入って東京教組が取り組んだことは、ブロック毎の月1回の駅頭署名活動と卒業式直前の屋内集会のみでした。機関会議で「都庁前行動をやるべきだ」と突き上げても、「組合と都教委間のルール」を持ち出し、まったくの逃げ腰に終始しました。忙しい中、多くの組合員が駅頭宣伝に参加し、「不起立解雇なんて許せない」と誰もが怒っているにもかかわらずです。当局との関係を壊さない----これが体制内執行部の「闘い」の基準です。組合員の怒りを引き出し、それを団結した力にして当局との力関係を変えるという闘い方は、今やまったく喪失しています。
 結局、東京教組が最後の局面で何も方針を出さない中で、町田教組の呼びかけで有志が集まって都教委交渉と都庁前集会を実現しました。「一人の首切りも許さない」闘いは、現場の必死の闘いで守り抜かれました。

 第7章 青年との団結が決定的力に

 職場闘争というと、これまで一人ひとり手工業的にやってこなかっただろうか。お互いの職場での闘いに口を挟まず、ばらばらだったのではないか。動労千葉に学ぶと言いながら、組合運動の原点である職場闘争方針を真剣に論議してこなかったのではないか。その結果、「本物の団結」が実は作れてこなかったのではないだろうか。
 根津闘争を闘う中で、東京の教労委員会は変わり始めました。青年同志たちの参加が決定的でした。若い同志たちと一体となって、ビラやパンフ作り、オルグ活動、各種集会など、ともに論議し作り出し実践する中で、同志的信頼と団結を形成してきました。まだまだ始まったばかりですが、ここでの白熱的議論と実践から革命的エネルギーが生み出されることを実感しました。
 体制内労働運動がまったく求心力を失い、職場には怒りがあふれています。今こそ、これまでの構えを一変して新たな大攻勢に踏み出す時です。その闘い方の指針は、動労千葉であり、青年労働者同志たちの闘いです。どん欲に学び、懸命に職場闘争方針を練り上げ、団結して実践に踏み出しましょう。そして青年労働者の心をつかむ闘いをサミット決戦に向け、なんとしても作り出そう。