5・23東京 東日本共闘が狭山集会 階級的団結で再審勝利へ “供託闘争を貫く”西郡支部がアピール
5・23東京 東日本共闘が狭山集会
階級的団結で再審勝利へ
“供託闘争を貫く”西郡支部がアピール
労組を中軸に闘いの熱気
5月23日夜、部落解放東日本共闘会議主催の「5・23狭山集会」が東京・文京区民センターで行われ、労働者、部落大衆、学生ら184人が集まった。
婦人民主クラブ全国協の川添望さんの開会あいさつで集会は始まった。主催者として東日本解放共闘事務局長の井上長治さんが「東日本解放共闘は昨年末、労働者階級自らの課題として闘おうと決め、新たな部落解放運動の再確立を宣言した。その開始が今日の東京高裁への要請行動と狭山集会だ」とあいさつした。
東日本解放共闘議長を務める動労千葉の田中康宏委員長が「階級的団結で新たな狭山陣形をつくりだそう」と題して基調報告を行った。
田中委員長は「狭山事件発生から45年、無実の石川一雄さんは権力の差別裁判を徹底糾弾して闘っている。5・23メッセージで『権力打倒に燃え、完全勝利を手中に収めるべく全力で闘い抜く』と述べている。この石川さんと団結して新しい狭山闘争へ」と提起した。
そして狭山闘争の歴史を総括。74年9月、日比谷公園を11万人が埋めた大高揚を頂点に狭山闘争が後退した理由の一つは「資本と非妥協に闘うことを抜きに狭山闘争を闘い続けることはできない」にもかかわらず、全体として運動が体制内にとどまったこと。二つは、解放同盟本部派と労働組合運動を中心とする闘いが「74年10・31の無期懲役の寺尾差別・有罪判決に屈服し、国家権力を突き破って進めなかった」ことを指摘、「この大きな壁を突き破る狭山闘争を今日ここからつくろう」と訴えた。
さらに、部落解放闘争を闘う立場を提起した。労働者階級は、この社会に部落差別の現実があることを許すことができない。部落解放は労働者自身の課題だ。自らを抑圧する鎖を断ち切るために私たちは狭山闘争、部落解放闘争を闘う」と原点を確認。労働者階級は自らを解放するために差別・分断と闘い、階級的団結を固めプロレタリア革命をかちとる存在だ。
また部落問題の本質を明らかにした。「部落差別は単なる封建遺制ではない。資本主義・帝国主義による労働者階級への差別・分断支配の攻撃だ。だから労働者は自らの課題として差別と闘い、ひとつに団結することが重要だ」と訴えた。
さらに血債主義、糾弾主義を批判。「労働者階級は糾弾されなければ立ち上がれないという血債主義、糾弾主義をのりこえる道は、自ら闘いを開始して団結を回復し、労働者の共同性を回復することだ。階級的団結を軸に差別・分断をのりこえ、帝国主義、資本と闘う——これがこの数年来の動労千葉と米韓労働組合との国際連帯闘争から学んだことだ」。帝国主義、資本、権力と現場から闘うなかから民族や人種を超えた本当の国際的=階級的団結が生まれるという真実が語られた。
いわゆる「広島差別事件」とは何かも明らかにされた。「ものが取れない時代に何を基本に闘うのかという議論だった。部落解放闘争のみならずすべての闘いにおいて、要求実現のための団結ではなく、階級的団結、つまり団結を目的にする、その力を信じる闘い以外にない。困難な闘いだが本当の団結を実現したとき解放的な力が泉のようにわいてくる」
最後に田中委員長は「部落差別のあるこの社会は許せない。石川さんの訴えに真正面からこたえ、自分の持ち場で闘い、狭山闘争につなげよう」と締めくくり、参加者の圧倒的な拍手で支持・確認された。
次に大阪・八尾市の部落解放同盟全国連西郡支部の2人が登壇し、「昨年の11月労働者集会で、労働者は社会を、世界を変える力を持っていることをつかんだ。その労働者とともに闘うことが住宅闘争勝利の道だと確信した」と報告、「応能応益家賃制度、住宅民営化攻撃に対し、供託闘争を貫き、住宅追い出しと実力で闘う」と決意を明らかにした。そして、6月15日の支部大会への参加を訴えた。
全学連の学生が石川一雄さんの5・23メッセージ(別掲)を読み上げ、それを受けて全国連杉並支部の田中れい子さんが狭山要請行動の報告を行うと同時に、石川一雄さんが5・23メッセージで権力打倒を訴えていることの意味を明らかにした。それは「石川さんが体制内派と対決していることの表れであり、仮出獄をつうじた権力の狭山闘争解体策動を打ち破る決意の表れ」と指摘、「この石川さんの決意、労働者階級への団結の呼びかけにこたえ、解放共闘の力で狭山第3次再審闘争の勝利を切り開こう」と熱烈に訴えた。
動労水戸、東京西部ユニオン、全学連の内田晶理君、法大Ⅱ部解放研、全国連杉並支部、同品川支部が行決意表明。行動提起として①狭山闘争②西郡住宅基金③6・29サミット粉砕労働者集会が呼びかけられた。
第1節 西郡住宅闘争と狭山の両輪
5・23狭山集会と要請行動は、西郡住宅闘争とともに、新たな狭山闘争—部落解放運動の開始として歴史に刻まれる画期的な闘いとなった。労働者階級と部落大衆が階級的団結を武器にして、また団結自体を目的として、国家権力の部落差別犯罪と闘うという狭山闘争—部落解放闘争の原則に立ち、実践を開始した。権力打倒の執念を燃やして45年間不屈に闘う石川さんと連帯し、狭山闘争勝利の道を確実に切り開いた。
一方、与田残党=同志会一部指導部は、解同全国連を私物化して引き回し、全国連第17回大会で「広島差別事件」をデッチあげ、「革共同糾弾闘争」なるものを組織方針とした。帝国主義国家権力に屈服し、新自由主義攻撃と対決しない狭山闘争—部落解放運動など成り立たない。これに秋波を送る塩川一派も同じ穴のむじなだ。
狭山闘争、西郡住宅闘争を両輪に新たな部落解放運動を構築し、日帝打倒=プロレタリア革命へ進撃しよう。