2008年5月19日

林歳徳さんを追悼する 抗日天命を貫いた在日70年 世界革命の実現でこたえる 革共同入管闘争委員会

週刊『前進』06頁(2343号6面3)(2008/05/19)

林歳徳さんを追悼する
 抗日天命を貫いた在日70年 世界革命の実現でこたえる
 革共同入管闘争委員会

 4月27日朝、在日台湾人元日本兵の林歳徳さんが急逝しました。前日まで元気にしていた林さんは、90歳の誕生日(5月23日)を目前にして眠ったまま、再び目を覚ますことなく人生の扉を閉じたのです。
 日帝・植民地下の台湾で1918年に生まれた林さんは、1938年に軍属として徴兵されて南京大虐殺の現場を目撃、日本軍を反戦脱走し、39年7月、21歳の時に日本の地を踏みました。
 以来、在日70年の生活は終始、日本帝国主義との苛烈(かれつ)な闘いの連続でした。まさに抗日を天命とした生き方を貫いたと言えます。
 非妥協の生き方を貫いた林さんは、1946年に新橋事件や渋谷事件などに遭遇した時も生命の危機を自らの力で打開して生き抜きました。さらに「麻薬取締法」違反をデッチあげられ、前橋刑務所で11カ月間、不当に勾留された林さんは、その後の退去強制令書を自らの闘いで粉砕。以来、入管体制を告発する断固たる闘いを貫くことによって入管弾圧をはね返した日々でした。
 1972年、53歳となった林さんは、「水商売をやめて労働者になろう。日本人の労働者と同じ釜の飯を食って、同じ布団に寝て、同じ仕事をやる。そうすれば本当に日本のことが分かるだろう」と決心しました。経営していた店も手放し、まずは日本郵便逓送の臨時社員として働くようになりました。
 その後、東急管財に入社し、明治大学守衛の職に就きました。ここで警察の捜索に協力しないことを理由に解雇となりましたが、ただちに「人権を守る会」が結成され、解雇撤回をもぎりとりました。
 しかし、これは林さんが「敗北の勝利」と呼ぶように在宅勤務という現場を奪われた解雇撤回でした。林さんはこの「勝利」を生かし、「日本のアジア侵略史を考える市民講座」を主催し、日本帝国主義の侵略と戦争の歴史を私たちに提起し続けてきました。
 その結晶が『私の抗日天命・ある台湾人の記録』(林歳徳著/社会評論社)です。
 林さんは革共同に心からの信頼を寄せ、毎週『前進』を熱心に読んでいました。破防法弾圧や対カクマル戦の過程など、最も厳しい状況下でも林さんの革共同への信頼はいっときも揺らぐことはありませんでした。
 また林さんは、長期獄中で闘う同志の存在に熱い愛情を注ぎ、裁判の傍聴、面会を含むさまざまな支援を行い、星野文昭同志には深い同志愛を示していました。
 国際連帯闘争の発展に期待を寄せた林さんは、青年・学生の闘いの前進を心から喜んでいました。塩川一派に対しては、「革命をやる気のない人は必要ない。自己解放闘争なんだ」と容赦なく批判しました。
 「天皇制日本帝国ある限りアジアに平和はない」——林さんのこの訴えをわがものとし、国境を越え、民族を越え、あらゆる差別と分断を越えて団結し、闘いぬこうではありませんか。林さんとともに日本革命−世界革命を必ずや実現することを誓って、追悼の言葉とします。