2008年5月12日

無実の石川一雄さん不当逮捕45年弾劾 5・23狭山集会へ

週刊『前進』06頁(2342号4面1)(2008/05/12)

無実の石川一雄さん不当逮捕45年弾劾 5・23狭山集会へ
 不屈の石川さんとの血盟をかけ狭山第3次再審闘争勝利へ闘おう
 西郡住宅闘争と一体の闘いだ

 部落解放闘争における歴史的分岐が開始された。部落解放同盟全国連合会第17回大会は、部落差別のない「広島差別事件」をねつ造し「革共同糾弾」「革共同との断絶」を声高に叫んだ。これに対し西郡支部を先頭に杉並支部や品川支部が、断固参加を拒否した。部落解放闘争を重大な転向と変質に導こうとする旧与田派=同志会一部指導部の策動を怒りを込めて粉砕しなければならない。われわれは西郡住宅闘争を全力で闘うとともに、狭山闘争の階級的復権をかけて、無実の石川さん不当逮捕から45年を迎える5・23闘争を部落解放運動の新たな出発点として闘うことを、重大な決意を込めてここに宣言する。 小山たかし

 第1章 部落解放共闘再構築し階級的な<狭山陣形〉を

 1963年5月23日、狭山事件(埼玉県狭山市で女子高校生が誘拐され殺害された)のデッチあげ弾圧により無実の石川一雄さんが不当逮捕されてから45年——労働者と部落民はその途方もなく長い歳月を経た大きな節目の〈その日〉を、日本帝国主義国家権力への激しい怒りと糾弾の思いを新たにして迎えようとしている。石川さんは45年間のうち、不当な未決勾留や無期懲役刑確定後の服役期間をあわせた32年間もの長期の投獄生活を強いられたのである。94年12月21日に仮出獄をかちとり、14年が経過した。しかし、「自由」とは名ばかりの故郷での残酷な日々である。完全無罪ではなく、「見えない手錠」が今も両手にかけられており、両親の墓参はできず、「しない」覚悟を貫いている。
 逮捕当時24歳だった青年は69歳を迎えた。人生のすべてをかけて、部落差別による殺人犯デッチあげに対する怒りと口惜しさを燃やす石川一雄さんは、国家の権力犯罪・差別犯罪を「無実・差別・徹底糾弾」の立場から、「真実と正義は必ず勝つ」と不屈に闘い続けている。〈完全無罪〉の獲得は、戦争と民営化と改憲と大失業と差別・排外主義の激化との闘いの中で、絶対的に可能であり、革共同には勝利する階級的責務がある。
 そのゆえに、われわれの取り組みにおける狭山闘争の後景化を厳しく見据え、狭山闘争の階級的復権を真剣にかちとらなければならない。そのことによって、不屈の石川一雄さんとの血盟・信頼を取り戻すことは可能であり、狭山闘争を闘う資格を再確立することもできる。この点を率直に、自覚的に確認することが重要だろう。
 われわれは、〈狭山闘争の革共同〉の歴史的矜持(きょうじ)にかけ、狭山闘争を階級的に復権することを宣言しよう! その立場は、階級的労働運動路線と7・7思想の豊かな発展をかちとる任務として鮮明である。労働者階級の〈狭山陣形〉を、部落解放共闘会議の再構築によってこれまでを上回る内実をもって闘いとろう!

 第2章 石川さんの怒りと闘魂をわがものとして闘う時

 2006年5月23日、石川一雄さんと狭山弁護団は第3次再審請求書を東京高裁に提出した。これは、確定判決(第2審の東京高裁の寺尾正二裁判長による無期懲役有罪判決)が筆跡、足跡、スコップ、目撃証言、万年筆などの証拠を取り上げて有罪認定したデッチあげと矛盾を暴露し、「強制された自白」の証拠としての徹底した凶暴性と誤りを明らかにした内容である。再審請求の根拠は、第1次、第2次再審請求審提出の新証拠に合わせた今次再審請求審提出の新証拠と確定審までの旧証拠を、「白鳥・財田川決定の立場から総合評価」するなら(すべきである)再審開始の決定以外にはありえない、という主張である(第1次再審請求審は1985年5月27日の特別抗告棄却、第2次再審請求審は2005年3月16日の特別抗告棄却で終結)。
 例えば「筆跡」は、脅迫状をめぐる問題として、部落差別を動員した狭山事件のデッチあげと石川一雄さんの無実を証明すること、すなわち国家の権力犯罪、差別犯罪を暴露する重要証拠である。新証拠の一つは筆跡鑑定であり、「書字条件や心理の違い」や「類似点」だけの強調によって「同一筆跡」とした最高裁・特別抗告棄却決定を覆し、「異筆」であることを証明した内容である。今一つは、当時の石川一雄さんには、「脅迫状は書けなかった」という苦渋の事実があり、「機会均等」の義務教育からも排除され、読み書きの力を奪われていた痛苦な過去に光を当て、識字の取り組みの立場から無実を明らかにした新証拠である。
 『石川一雄 獄中日記—生いたち』を読み直すと、多くの苦難をとおし、読み書きを奪われた部落青年が成長をとげて闘いに決起していく道のりそのものが、無実を活写した記録として、読む者の胸を激しく突かずにはおかないであろう。例えば、次の個所はそのひとつである。
 「(不当逮捕から控訴審で『私はやっていません』と証言する前までは、弁護士が信用できなかった)私のまちがった考えがわかったとき、独房のなかで泣き伏したことを、私は忘れることができません。あとからあとからつのってくるくやしさにあふれる涙でした。これほどまでみごとに、警察権力のワナに陥ってしまった自分の無知さかげんをうらみました。そうしてこの事件のカラクリがわかってくるにつれ、私もひとつひとつ利口になっていくかのように思いました。それは昭和43年ごろになってからでした。その前の昭和42年ごろから、私は文字の読み書きを拘置所のなかで、独力ではじめたのです。控訴審になってから、外部の人に無実を訴えるためには、もはや自分自身の手に頼るしかないと思い、猛勉強をしたのです」 
 その石川一雄さんは、本年の新年メッセージで、「私は意気軒昂(けんこう)であり、様々な感情を整理し、心の準備を整えて今年こそ勝利の道標をつけるべく、強靱(きょうじん)な闘魂を前面に出して狭山勝利・部落の完全解放のため火の玉となって邁進(まいしん)していきます」と、闘魂を燃やして今年こそ勝利するときっぱり明言した。この決意にわれわれは真っ正面からこたえ、再審開始をかちとるために隊伍を整えて決起しなければならない。

 第1節 支配・分断に階級の怒りを

 本年3月30日、狭山弁護団は、「犯行現場が虚偽架空である」ことや「逆さづりはなかった」とする有罪認定を覆す5点の「新証拠と補充書」を提出し、さらに5月末には「新証拠・補充書」を提出する予定だという。
 再審請求1年目の07年5月23日、東京高裁第4刑事部の裁判長が交代し、門野博裁判長が担当することになった。門野博は、元名古屋高裁の裁判官で名張事件の再審開始を取り消し、棄却した名うての裁判官である。狭山事件では、確定判決以来33年、再審請求30年間を経て一度も鑑定尋問や現場検証などの事実調べが行われていない。
 狭山闘争の本質は何か。日本帝国主義が、「賃労働と資本」の関係を基底にしたブルジョア独裁を維持するために冤罪事件をねつ造し、無実の石川一雄さんを部落民のゆえに「人質」にとり、「階級的団結分断の手段」とし、拷問や虐待、死まで強制していることである。「支配階級の安寧秩序のイケニエ」にとられ、労働者階級の無実のきょうだいが呻吟(しんぎん)している、ここに、労働者の抑えようのない怒りの発露の根元があり、烈しい戦慄(せんりつ)があり、堪えがたい痛みが疼(うず)いているのである。

 第3章 階級的団結の再確立が狭山闘争勝利へのカギ

 労働者(階級)はなぜ、狭山闘争=部落解放闘争を闘うことができ、また、闘わなければならないのであろうか。それは、労働者自己解放にとって必須の課題であるからだ。つまり賃金奴隷としての労働者の特殊的解放をとおして全人民(300万部落民をふくむ)の普遍的解放を実現する上で、不可欠の課題だからである。階級的労働運動路線の立場をもってする狭山闘争の思想的、理論的根拠は「7月テーゼ」にあるのだ。実はこの綱領的提起は、〈本多思想〉を今日的に継承した内容であることが重要なのである。故本多延嘉書記長は、「狭山闘争の歴史的な勝利のために」(1974年4月執筆)の論文で、次のように提起している。
 「プロレタリアートとその革命的前衛としての共産主義者は、部落民のほとんどが労働者人民だから部落解放のためにたたかうのではない。部落民への部落差別を許すことがプロレタリアートの賃金奴隷としての地位を許すことにほかならないから、プロレタリアートとその革命的前衛としての共産主義者は、部落解放のたたかいをたたかうのである。すべての労働者人民は、部落解放のためにたたかうことをとおして、みずからを抑圧している鉄の鎖をたたききるためにたたかっているのである」(著作選第3巻264㌻) 
 故本多書記長は、労働者人民が狭山闘争=部落解放の闘いを闘うにあたって、さらに次の二つのことを加えて提起していた。一つは、部落解放の闘いは、労働者と部落民にとって、「相互に励ましあう弁証法的な関係をもかたちづくっている」こと、二つは、労働者に引きつけて、「(部落差別攻撃への)みずからの屈服と腐敗をみつめ、それから脱却していくための重大な援助と試練をなしている」というのである。
 われわれは、この〈本多思想〉を踏まえ、「7月テーゼ」が提起する、06年3・14=党の革命が獲得した、今日的に差し迫る課題のひとつである、革共同の部落解放闘争のありかたを根底から転換しつつあるのだ。(逆に言えば、「7月テーゼ」の思想と理論のなかに〈本多思想〉が内在化されているのである)

 第1節 「7月テーゼ」で前進しよう

 狭山闘争の後景化という問題に関連して、自己批判の立場を前提にした上で述べるならば、革共同が部落解放闘争=狭山闘争を、全国部落青年戦闘同志会に戦線主義的にゆだねたことから発生した諸問題を厳しく見つめ、全力で格闘し克服しなければならないということである。
 一つは、7・7思想のとらえ方における血債主義的なゆがみから、部落解放闘争=狭山闘争を労働者階級自身の闘いとして真に位置づけきれなかったこと、二つには、同志会最高指導部だった与田が革共同中央の一角を占め、血債主義・糾弾主義を貫くことによって、党的団結の破壊のみならず、労働者階級の間に不信をあおり分断を持ち込んでいたことである。
 狭山闘争=部落解放闘争を勝利させるには、労働者階級の圧倒的決起が不可欠であり、労働者階級が闘う部落民とのマルクス主義による階級的団結を再確立することがカギを握っているのである。勝利の血路を切り開くことは絶対に可能であり、「7月テーゼ」の立場から、突き進むことが焦眉(しょうび)の課題である。
 われわれ労働者階級の狭山闘争=部落解放闘争の歴史は、部落解放共闘会議が担ってきたが、その中軸に座っていたのは、ほかならぬ動労千葉だった。革共同は、部落解放東日本共闘会議の再確立をはじめ、広島はもちろん、とくに関西の地において部落解放共闘会議を再建して、狭山闘争=部落解放闘争の本格的な階級的復権を必ずやなしとげるであろう。
 労働者階級は「社会の主人公」として、全人民の解放、つまり部落民の解放のために闘うことができる歴史的存在である。闘う部落民との新たな階級的団結を形成し、狭山闘争の本格的な再建と階級的復権をかけ、不屈に闘う石川一雄さんとの血盟にこたえて、5・23闘争に猛然と決起しよう!
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 集会要項
帝国主義による差別と分断は許さない!
狭山第3次再審勝利! 西郡住宅闘争勝利!
戦争と民営化攻撃阻止!
5・23狭山集会
 とき/5月23日(金)開場午後5時45分 開会6時30分
 ところ/文京区民センター(3♢A)
 東京都文京区本郷4♢15♢14
 都営地下鉄三田線春日駅/東京メトロ丸の内線後楽園駅
主催/部落解放東日本共闘会議
★5・23狭山要請行動 同日午後3時 東京高等裁判所