2008年5月12日

「7月テーゼ」と教育労働運動 一切の希望は教育労働者だ 団結拡大し日教組奪い返す

週刊『前進』06頁(2342号3面2)(2008/05/12)

「7月テーゼ」と教育労働運動
 一切の希望は教育労働者だ 団結拡大し日教組奪い返す

 今春「日の丸・君が代」不起立闘争を闘いぬき、現場組合員の力で闘う日教組をつくり出そうと最先頭で奮闘する教育労働者から、「07年7月テーゼのもと、階級的教育労働運動を実践しよう」というアピールが寄せられました。(編集局)

 第1章 根津さん解雇阻止した絶対反対貫く闘い

 今春卒・入学式「日の丸・君が代」闘争は、根津公子さんに対する解雇攻撃をものの見事に打ち破った。何よりも、根津さん自身の「たとえクビになっても不起立を貫く」という絶対反対の闘いがかちとった画期的勝利である。解雇の恫喝に屈せず、当局とも、また闘いを体制内に押し込めようとするあらゆる勢力とも「折り合いをつけない」根津さんと、ともに闘う教育労働者の不退転の闘いが、教育労働者の不抜の階級的団結を拡大し、敵を追い詰め、石原・都教委の「10・23通達体制」を本質的に打倒したということである。
 2〜3月、根津さんを先頭にした連日連夜の都教委への追及行動と、全国各地の不起立闘争が、教育労働者の階級的団結を日々強化・拡大しながら闘い抜かれた。とりわけ団結の拡大を求めてやまない青年教育労働者の新たな自己解放的決起が次々生まれていることは決定的である。この勢力こそ、「日の丸・君が代」闘争から逃亡し、根津さんの闘いの敵対物となり果てた連合日教組中央に取って代わり、現場組合員の闘いと団結で闘う日教組を奪い返していく主体そのものである。
 さらに、動労千葉など3労組が呼びかけた11月労働者集会を契機に、アメリカ・韓国を始め世界の教育労働者の戦争協力拒否闘争の団結を拡大して闘われたことは、国際階級闘争の発展にとっても決定的であった。この勝利は、革共同政治局の07年7月テーゼのもとでの階級的労働運動路線が、教育労働運動においても音を立てた実践の過程に入った成果である。
 この地平の上に、サミット粉砕から8・6ヒロシマを経て、青年労働者の決起と組織化を軸に、11月労働者集会に教育労働者1000人決起を実現するために、7月テーゼのもとでの階級的教育労働運動の実践をさらに深化・発展させよう。

 第2章 血債主義・糾弾主義との決別を宣言する!

 08年「日の丸・君が代」決戦は、階級的労働運動路線と7月テーゼを拒否した塩川一派と全国部落青年戦闘同志会の一部指導部との激しい闘争の渦中でかちとられた。
 わけても同志会一部指導部は、1月12〜13日、部落解放同盟全国連拡大中央委員会の場で「解同本部派、自民党、解放派にも呼びかけて革共同を糾弾する」と叫び、全国連結成の原点を投げ捨て、プロレタリア革命をとおして部落解放をかちとる革命的部落解放運動と革共同へのなりふり構わない敵対者の道へ進み出した。かつて同志会は『荊冠』16号(荊冠編集委員会、1989年1月発行)で、社青同解放派の「内糾」路線を「公然たるレーニン主義の否定であり、共産主義者への部落民の主体的飛躍への公然たる否定、メンシェビズムへの公然たる移行」と徹底的に批判した。その社青同解放派にまで「革共同糾弾闘争」への共闘を呼びかけるとは、共産主義者への部落民の主体的飛躍の否定に自らが転落したことを表明したのと同然である。
 このことは、「広島差別事件糾弾」を利用主義的に掲げる塩川一派との合流の扉を開くことでもある。反マルクス主義・小ブル自由主義、プロレタリア独裁の拒否という本質で、彼らは同根なのである。
 また「差別糾弾」の旗のもとには敵階級とも手を結ぶというのは、血債主義・糾弾主義が階級性の解体にまで至り、部落解放闘争とプロレタリア革命を分断・敵対させてしまうことを自己暴露している。7月テーゼが階級的労働運動路線の本格的前進のために必須不可欠の課題として提起した克服すべきゆがみが、そのまま彼らの現実の姿となって現れ出てきているのである。
 2月24日に塩川一派をも動員して行った「広島差別事件真相報告集会」を経て、同志会一部指導部は4月の全国連17回大会の場で集団脱党=「革共同との決別」を宣言した。われわれはいわゆる「広島差別事件」が、部落差別ではないことをあらためて断言しよう。路線問題をめぐる共産主義者同志間の討論を「差別事件」にデッチあげ、全国連を党内闘争に巻き込み、「差別糾弾闘争」の形をとりながら自らの脱党の水路を開くというやり方は、部落大衆と部落解放運動に対する許し難い利用主義である。
 このような事態は、血債主義・糾弾主義に党中央も含めて屈服してきた結果として、単一の党建設に対する日和見主義が招いたものだと言える。そして、われわれ党員自身が血債主義・糾弾主義のゆがみと無縁ではなかったし、これに呪縛されてきた歴史を持ってきた。
 だが、階級的労働運動の実践の中で7月テーゼに向き合い、「広島差別事件」をめぐって思想・路線・実践で格闘してきたことは、7・7思想の革命的再確立を一切のあいまいさなしに貫徹する実に生産的な過程だった。今春「日の丸・君が代」闘争の勝利と西郡住宅闘争を頂点とするこの半年余りの闘争は、そのことを日増しに実証してきている。
 今こそ思想・路線・実践の全領域において、「血債主義・糾弾主義との決別」を宣言しよう。

 第3章 「隣の労働者」の革命性を無条件に信頼

 党としての血債主義・糾弾主義への屈服は、われわれが職場、労働組合において、ともすれば部落民や在日アジア人民、アジア人民に対する血債を倫理的に迫って、「糾弾主義」的に決起を訴えるという傾向として現れていなかっただろうか。例えば「日の丸・君が代」闘争についても血債主義的倫理観を主たるよりどころとして、「差別者にならないために闘うべき」といったゆがみはなかっただろうか。
 不起立闘争に立ち上がった青年労働者は、「たとえ国歌が『君が代』ではない歌であったとしても、強制されればやはり不起立をするだろう」と訴え、帝国主義が階級的団結を破壊して侵略戦争に動員するために「国歌」を強制するという本質を鋭く見抜いている。
 もちろん労働者階級は、日本帝国主義が天皇制のもとに差別主義・排外主義を扇動して行ったアジア侵略戦争や植民地支配、民族抑圧、部落差別への被差別・被抑圧人民の怒りと闘いに学び、共感し、わがこととしてこれと闘う力を自らの内に持っている。しかし、労働者階級のこの力が真に解き放たれるのは、差別主義・排外主義による分断を打破して労働者階級、国際プロレタリアートの団結を求めて立ち上がった時だ。
 「現実の労働者は差別と排外主義にまみれており、糾弾して正さないと革命の主体として目覚めることはできない」という糾弾主義は、労働者党と党員への不信、そして労働者(職場の労働者)への不信となり、絶望を組織し、「労働者は革命に決起しない」論にまで行き着く。血債主義・糾弾主義は階級の団結を破壊し、労働者階級の自己解放闘争を否定する、マルクス主義とはまったく無縁の思想である。それは、かつてわれわれが党内や職場で取り組んだ労働者内部における「差別糾弾闘争」が、労働者に拒絶されたり、自己解放闘争を抑圧する結果にしかならなかったケースが少なからずあったことが示している。そして当然のことながら、そのような糾弾は部落解放闘争そのものを一歩も前進させてこなかったのである。
 逆に今春の「日の丸・君が代」闘争は、「教育労働者は体制内労働運動をのりこえ、『日の丸・君が代』絶対反対の闘いに必ず決起する」という確信に燃えた自己解放的決起として爆発したがゆえに根津さんの解雇を打ち砕いたし、「処分上等!」と言い切れる闘いを実現したのだ。
 賃労働と資本のくびきにつながれているがゆえの労働者階級の革命性を無条件に信頼することができるのかどうか——ここでマルクス主義者としての真価が問われる。そこに体制内労働運動を打倒し、「自分の隣の労働者」に積極的に不起立闘争を呼びかけ、革命を提起して階級的団結を拡大し、組合権力を握り、動労千葉労働運動のような分会、単組をつくる共産主義者になることができるのかの分岐がある。
 プロレタリアートと被差別・被抑圧人民は、階級支配のテコとして差別・分断支配を持ち込む資本・帝国主義を打倒する闘いを開始したならば、分断を打破して一つの階級として団結し、差別・抑圧の壁を自らぶち破っていける——そのことを、われわれは実践において証明してきた。何よりも、動労千葉労働運動を水路に11月労働者集会が実現した日韓米労働者の国際連帯がそうだ。また、アフリカン・アメリカンやラティーノの生徒・保護者とともに闘って、被抑圧民族プロレタリアートが募兵官によって戦場へ駆り立てられることを体を張って阻み、アメリカ帝国主義の侵略戦争反対を貫くUTLA(ロサンゼルス統一教組)の闘いがそうだ。
 差別・抑圧は、帝国主義がプロレタリア革命を阻止するために、労働者階級への分断支配を貫くテコとして再編・強化したものだ。だから帝国主義社会を転覆し、賃労働と資本の関係を廃絶し、プロレタリアートが支配階級になった時、その存在基盤は消滅するのだ。
 そして、プロレタリア革命とプロレタリア独裁を実現する闘いは、あらゆる階層、国籍、民族の違いを越えて、労働者階級の団結の豊かな内実をつくり出しながら団結の究極的拡大を実現する。このプロレタリア革命のめくるめく飛躍性、とてつもない転換性をつかめた時、プロレタリア革命の中にこそ差別・抑圧の廃絶があることに確信が持てるのだ。「労働者階級は、賃金奴隷制の転覆を求めて資本との闘いに階級として立ち上がっていった瞬間に、自分自身の中にある汚物をも自ら払いのけつつ闘っていくことが必ずできる階級」であるという7月テーゼの提起は、このことを言っているのである。
 11月集会の国際連帯的発展からストレートに学び、体が震えるような感動を覚えるのが、労働者的感性である。これを否定し、罵倒(ばとう)する塩川一派は階級移行を拒否した小ブル日和見主義者だ。同志会一部指導部もまた、血債主義・糾弾主義のゆがみを自ら粉砕して、プロレタリア独裁を無条件に承認することができないがゆえに、塩川一派と同じ道をたどっているのだ。

 第4章 プロレタリア自己解放貫き全人間解放へ

 教育労働者とは、自分の労働力を当局(文科省、教育委員会)に商品として売り、その労働が、資本と日帝・国家権力の利益を再生産する次世代の労働力商品(労働者階級)を生産する限りにおいてしか生きることが許されない、まぎれもない賃労働者である。それゆえ教育労働者も、労働者であるという一点において階級意識に目覚め、自己を変革し、革命に向かって進むことができる力を内側に持っているし、人のためや償いとしてでなく、自らの解放のために闘うことで全人間の解放を実現できる労働者階級の一員なのだ。
 今、帝国主義の最末期的危機の深まりの中で、教育労働者の団結破壊・日教組解体、職場支配権剥奪(はくだつ)を狙う攻撃は、教育労働者をかつてなく過酷で命さえ削り取る現実に追いやっている。我慢はもう限界に来ている。ここまで教育労働者を追いやったのは、体制内労働運動そのものである日教組本部だ。しかし、沖高教組・沖教組の教育労働者は沖縄12万人決起を組織し、北教組の仲間たちは処分を吹き飛ばす団結で24年ぶりのストライキに決起した。根津さんと全国の不起立派教育労働者は、「君が代」絶対反対の不起立闘争でこれらの闘いに合流した。
 「日の丸・君が代」不起立闘争の革命性は、教育労働者が、その雇い主である日帝国家権力・文科省・教委に対して、真っ向から反乱者の宣言をするところにある。それ自体が革命的決起であり、日教組本部とそれに連なる体制内労働運動指導部とその思想を粉砕して階級的団結を取り戻す闘いである。今春「日の丸・君が代」闘争は、体制内労働運動の制動を吹き飛ばし、職場の団結を取り戻し、同時に改悪教育基本法体制に風穴を開け、一切の攻撃に対する総反乱の狼煙(のろし)を上げたのだ。
 今やわれわれの内なる血債主義・糾弾主義との対決と決別は実践をとおして決定的に前進し、これとは対照的にマルクス主義ともプロレタリア革命とも無縁なところに転がり落ちていく者たちとの闘争の大勢は決した。
 革共同教育労働者委員会のもと、プロレタリアートの革命性に信頼を置ききり、階級的労働運動を全力で実践しよう。そこで生まれる階級的団結のもとに分会・教組権力を握り、第二、第三の動労千葉を無数につくり出す巨大な展望を切り開こう。その闘いの中からこそ、08年11月労働者集会1000人結集の現実性が開示される。
 「私たちってすごいかも!」と訴えたCAMS(校内の軍国主義に反対する連合)のアーリーン・イノウエさんの階級性を実践をとおしてわがものとし、「一切の希望は教育労働者!」と言い切れる共産主義者への飛躍を実現しよう!
 〔佐伯 剛〕