2008年4月21日

団結ひろば 投稿コーナー

週刊『前進』06頁(2340号6面1)(2008/04/21)

団結ひろば 投稿コーナー

 第1章 4月人事評価制度の実施を阻止したぞ! 関東・自治体労働者 比悠 剛

 市当局が独自で行ってきた人事考課制度は、職場労働者の面談や自己申告の拒否によって実質的に粉砕された。しかし、2年前の市長指示として新たな人事評価制度を今年4月に実施しようとした。それを職場労働者の激しい怒りで阻止した。
 今まで自治労や自治労連から人事評価制度は阻止できないと言われてきた。彼らは闘う方針も提案できず、私たちの追及に「拒否するなら拒否すれば」と居直っていた。だから、阻止した事実を2週間以上も発表できなかったのだ。
 私たちは、職場労働者の絶対反対の闘いと団結が実施を阻止したと総括した。そして私たち動労千葉派こそが闘いの先陣を切り開いてきた。
 新しい教育長が選任されたとき、彼が動労千葉物販の担い手である仲間に「お前たちはいつ革命を起こすんだ」と言ってきた。私たちの回答は「もう始まっていますよ」であった。
 私たちは市当局や日共系労組役員から30年近くも「過激派」「暴力集団」とキャンペーンされてきたし、様々な処分も受けてきた。
 しかしそれが何だ。職場労働者が私たちを守り続け、叱咤(しった)激励してきたことを、私たちは実感している。私たちが数年前に拒否闘争に決起したとき、何の恐れもなかった。
 最大の課題は、ストライキを闘える職場労働者の団結だ。それを担える新しい指導者を組織していくことだ。『ソリダリティ』4号を読んで、すでに私たちの経験を継承し、発展させている青年労働者の姿に感銘を受けた。革命運動の中心的担い手である青年労働者たちが職場で本格的に登場するため、今後も組織拡大に全力で取り組む。

 第2章 バッジ処分勝利命令 “闘えば勝てる”実証 国労新橋支部組合員 勝田太郎

 3月27日、都労委で国労バッジ処分と服務規律違反処分の撤回を求めた事件の命令書が出た。主文は「処分はなかったものとして取り扱い……賃金減額分を支払う」と書いてあった。
 「よし! バッジで勝ったぞ」「5年半よく闘い抜いた」「1047名にJRの組合員も頑張っていることを示した」と喜びの声が飛び交った。職場に帰ると、組合員は本当に喜んでくれた。
 この労働委員会闘争は、国労5・27臨大闘争弾圧で仲間が起訴されている中、02年10月に国労東京の組合員8人で起こし、その後、今もバッジを着けて処分されている仲間が加わり、9人で闘ってきた。全員が陳述書を書き、証言し、憎らしい会社弁護士からの反対尋問を跳ね返して闘った。印象深いのは、東京支社の人事課長を証人に呼び出し、組合員が直接尋問したことだ。「労働委員会命令を履行せよ」と迫ると、人事課長は「労働委員会命令も東京地裁判決も読んでいません」と答えた。こういう答え方しかできないことにJRの弱点を見たと思った。
 命令と同じ日、国労本部はJR貨物と全面和解した。完全屈服、労使一体だ! 冗談じゃない。俺たちは単独で闘って勝った。本部をひっくり返す。この気概を職場で発揮し、仲間をつくる。現場組合員も、闘争団員も、平成採の青年も、JRへの怒りは同じだ。5・27臨大闘争弾圧被告とともにさらに闘う決意です。

 第3章 民間地に武装自衛隊 「離島有事」侵略訓練 長崎労組交流センター K

 4月7日、長崎県大村市の山中で、小銃を持った戦闘服の自衛隊の部隊が走っていた(写真)。民間人が居住し、近くに小学校や中学校もあるところで武装訓練とは、とんでもないことだ。
 この部隊は佐世保市の陸上自衛隊相浦駐屯地の西部方面隊普通連隊(西普連)と思われる。「離島有事」即応部隊。九州各地の精鋭が集められている。彼らは「ゲリラが島に潜伏」との想定で、橋を爆破し、敵の補給路を断ち、野営を襲撃する訓練などを大村山中で行っている。06年から毎年アメリカに隊員を派遣、米海兵隊の上陸訓練のノウハウも学んでいる。指導教員は、イラク戦争など「実戦経験豊富」な海兵隊員だ。
 現在この部隊は、建物を襲撃してゲリラと建物を制圧する「市街地戦闘訓練」を行っている。「離島有事」の名目だが、「なぐりこみ部隊」の米海兵隊が指導する侵略訓練そのものだ。
 自衛隊・特殊部隊の実態は、多くの人に知らされていない。これらの現実を暴露し、労働者・労働組合の力で憲法改悪をとめ、再び侵略戦争へ突っ走る日本帝国主義を打倒しなければならない。《長崎労組交流センター(準)
 http://blogs.yahoo.co.jp/struggleunioncenter を参照して下さい》 

 第4章 民営化で事故が続出 団結で安全確立を! 兵庫・尼崎 全逓労働者 A

 私は郵政民営化直前に「減給2カ月」の重処分を受けました。理由は、仕事中の交通事故と小包1個を「亡くした」というもの。業者とのトラブルも加えられています。すべて仕事中のことで、一方的に労働者に責任を押しつけるのは認められないと、人事院に不服申立を行いました。
 民営化以来、仕事は増え、人は減らされ、事故が増えています。死亡事故も続出している。当局は、事故を起こした労働者に局内放送で謝罪させ、さらしものにする。そんなことで事故がなくなるわけがありません。
 私は決起しました。職場の仲間が証人になり、情報と資料を集めてくれた。休みを取って傍聴に来てくれた。組合役員も巻き込み、職場全体に問題を提起しました。
 審理で明らかになったことは、交通事故についての局のデタラメな報告書、過失割合の誤認定、処分量定の不公平。小包亡失の個数すら把握していない当局。結局、原因は分からず、私が責任を問われるいわれはない。他と比べて極端な重処分です。職場で「ものを言う」私への明らかな狙い撃ち処分です。
 私は職場に公平審闘争を持ち込みます。「事故と弁当は自分持ち」で皆が泣き寝入りするのは組合が闘わないから。それをひっくり返し「闘ったら勝てる」と職場の労働者に示したい。事故は誰でも起こすし、民営化後はもっと増える。私自身だけの問題ではない。皆の闘いにしなければとの思いで闘います。
 闘わなければ、あのJR尼崎事故はすべての職場で起こります。仲間との団結を取り戻すために声をあげよう! 団結で安全を確立しよう!

 第5章 市東農地裁判を傍聴 “契約解除”は違法だ 三里塚野戦病院 大熊寿年

 市東孝雄さんの農地強奪を阻止する行政訴訟を傍聴した。堂本知事が強行した「賃貸借契約の解除許可決定」取り消しを求め、県を相手に起こした裁判だ。千葉地裁を取り囲むように100人近くの傍聴者が並んだ。
 原告弁護団から7点の主張が展開された。知事決定の違法性はあまりに明らかだと思った。
 空港会社は、畑の位置すら間違えていた。市東さんが一度も耕作したことのない「41番地の9」まで解約申請を出していた。それでも法廷で居直りの主張を行った。「41番地の9が賃借地でないなら、訴えの利益がなく原告適格を欠く」と。あまりの転倒ぶりに怒りを通り越し、あきれてしまった。
 こんなデタラメを裁判長が追認するかのような発言を行った。なんということか。弁護団の鋭い追及に追い詰められ、裁判長は「見解を示したものではない」と弁明せざるをえなかった。
 そもそも農地法で畑を強奪するとは許されないことだ。「1億8千万円より、1本100円の大根と仲間のきずなが大事だ」という市東さんの深い思い。国と県のデタラメな農地強奪を許さないために、市東さんの怒りを深く共有し闘っていこうと決意を新にした。