2008年4月14日

分割・民営化が107人を殺した 事故糾弾! 4・26尼崎闘争へ

週刊『前進』06頁(2339号2面1)(2008/04/14)

分割・民営化が107人を殺した
 事故糾弾! 4・26尼崎闘争へ
 平成採の青年労働者の決起を
 

 JR尼崎事故から3年を迎える4月26日、「JR尼崎事故糾弾!4・26尼崎労働者集会」が現場の国鉄労働者を先頭に闘いぬかれる。107人の乗員・乗客の命を一瞬にして奪った05年の尼崎事故は、国鉄分割・民営化の必然的な結果だった。尼崎事故の犠牲者は、国鉄分割・民営化によって殺されたのだ。日本において新自由主義の攻撃は国鉄分割・民営化を切っ先に始まった。08年、第2次国鉄決戦を軸にこれを根底から打ち砕く時が来た。全世界で新自由主義への反撃の火の手が上がっている。4・26尼崎闘争は、この闘いをさらに大きく切り開くものとなる。

 第1章 民営化と規制緩和こそ大惨事の真の原因だ!

 JR体制下で安全の崩壊はすさまじいまでに進行した。分割・民営化で「民間会社」となったJRは安全を無視し、私鉄との競争に躍起になって無謀きわまる過密ダイヤとスピードアップを強行した。
 もともと無理なダイヤを「定時運転」するために、JR西日本は労働者を徹底的に締め付けた。わずかな遅れを出したり、ささいなミスをした運転士には、「日勤教育」という名の制裁が加えられた。トイレにも行かせず反省文を書かせ、草むしりや窓ふきをさせる。果ては、ホームに立たせ、入って来る電車に向けて自分のミスを復唱させる。まさに精神的虐待と言うほかにない。
 事故電車の運転士は、遅れを出せば再び「日勤教育」が強いられるという恐怖の中で、超スピードで事故現場の急カーブに突っ込んだ。「魔のカーブ」と言われるこの急カーブは、阪急と競争して乗客を争奪するために、無理な設計のもとにつくり出されたものだった。事故現場のカーブには、列車が遠心力により転倒しないために造られるカント(外側のレールと内側のレールとの高低差)や、直線からカーブ(円曲線)への移行区間に設けられる緩和曲線の長さが短いなど、線路構造に欠陥があった。
 しかもこのカーブは、危険性が指摘されていたのに、自動列車停止装置=ATS-P型が設置されていなかった。自動列車停止装置が設置されていれば、電車のスピードは制限され「定時運行」はできない。だからJR西日本は、安全装置の整備を怠ってきたのだ。
 事故電車は、コスト削減を目的とした強度を欠く軽量化車両だった。分割・民営化後、JR各社は極限的な車両の軽量化を追求し、「ボルスタレス台車」を使用した車両を競って導入した。ボルスタレス台車とは、旧来型車両では作り付けられていた頑丈な枕梁(まくらばり・ボルスタ)を取り払った台車のことだ。これは、車両と台車の位置関係が不安定になりやすい。これも、事故の被害を拡大した。
 幾重にも重なったこうした事故原因は、すべて国土交通省による規制緩和によってもたらされたものだ。国土交通省は、JRを極限的な利益追求に走らせるために、安全に関する規制をことごとく取り払った。制限速度は撤廃され、電車・線路の検査周期・検査基準も廃止されて鉄道事業者の判断に任されている。
 こうした新自由主義政策の必然的帰結が、尼崎事故だったのである。
 この事故はまた、国鉄分割・民営化による労組破壊攻撃に労組幹部が屈服した結果、引き起こされたものだった。JR西日本の強権的な労務支配は、国鉄分割・民営化を率先推進したJR連合・西労組や、JR総連・西労による労働者支配を前提に成り立ってきた。
 そればかりではなく、革同支配下の国労西日本エリア本部もJR体制に最終的に屈服した。これが、労働者に分断と孤立化を強い、「成果」をめぐる競争に労働者を駆り立ててきたのだ。

 第1節 体制内労働運動が分断支配生む

 労働組合・労働者が階級的に団結していれば、安全を無視した資本の理不尽な命令・指示をはねのけることはできた。体制内労働運動こそ、そうした団結を自ら解体してきたのである。
 国労西日本エリア本部は、今や完全にJR西日本の代弁者と化している。彼らは「日勤教育について国労は否定しません」と言い放ち、事故原因を運転士一人に転嫁して恥じない。「事故と民営化は関係ない」とまで言って、JR体制への忠誠を誓っている。
 この現実を現場組合員の手で打ち破る闘いが、4・26尼崎現地闘争だ。

 第2章 第2次国鉄決戦の爆発でJR体制うち倒そう

 尼崎事故が示しているのは、国鉄分割・民営化が完全に破産したという現実だ。特に、00年以降、一挙に推し進められた外注化を軸とする大合理化は、安全破壊を極限的に促進した。
 それによる矛盾は、青年労働者に最も激しくのしかかっている。ひとたび事故が起これば、その犠牲となり、責任をとらされるのは青年だ。尼崎事故の運転士も、伯備線事故の責任を取らされ有罪判決を受けた労働者も、羽越線事故時の運転士・車掌も、平成採の青年労働者だった。
 「ライフサイクル深度化」もそうだ。JR東日本は、運転取り扱い資格を持つ駅員の養成を怠ってきたつけを、平成採の運転士を駅にたらい回しにすることでのりきろうとしている。また、営業部門に導入された契約社員は低賃金でこき使われ、しかも「正社員採用の試験を受けるためには現場長の推薦が必要だ」と脅されて分断と競争を強いられている。将来展望を持てずに青年労働者が1、2年で職場を去っても、代わりの労働者を低賃金で雇えばいいというのが、JRの一貫した政策だ。
 こんなやり方がJRをまともに鉄道運行できない状態にしてきたにもかかわらず、JRはそこにますますめり込む以外にない。だが、こんなことがいつまでも続けられるわけがない。JR総連の分裂は、青年労働者の怒りを抑え込んできた最後の留め金を外した。至る所で青年労働者の怒りはくすぶり、火を噴き始めている。
 国鉄分割・民営化から21年、その矛盾は青年労働者にのしかかっている。4大産別決戦の基軸に位置する第2次国鉄決戦の主役に青年労働者が躍り出た時、国鉄分割・民営化に労働者の側から真の決着をつけることができる。「ライフサイクル深度化」もそのように闘えば粉砕できる。
 JR職場からの青年の反乱は、もはや破産した新自由主義にしがみつくしかない最末期帝国主義を打ち倒し、プロレタリア世界革命を押し開く労働者階級の闘いを最先頭で牽引(けんいん)するものとなる。

 第1節 動労千葉と共に職場から闘おう

 尼崎事故から3年をへた今も、安全を破壊するJRの経営姿勢は何ひとつ変わらない。JR西日本は4月1日、「安全基本計画」なるものを打ち出した。JR西日本はそこで、「指差・喚呼の徹底」をあらためて強調し、現場労働者に事故責任を転嫁する姿勢をむき出しにしている。
 安全は闘いによって資本に強制する以外にない。「安全は労使共通の課題」などと言って「労使安全会議」に参画することが安全確保につながるなどというのはまったくの幻想だ。利潤追求に走る資本は、常に安全を犠牲にして合理化・効率化に突き進む。安全と資本の利益は相いれない。
 動労千葉は、反合・運転保安闘争路線のもとに、現場労働者への事故責任の転嫁を絶対に許さない闘いを貫いてきた。安全問題こそJR資本の弱点であることを見抜き、階級的団結を固めてJRと立ち向かってきた。尼崎事故直後の05年5月から危険個所では減速するという安全運転闘争に立ち、翌年の06春闘でも同様の闘いを貫いて、破断が続発する危険なレールを130㌔にわたって取り替えさせた。こうした闘いを貫いてきたからこそ、動労千葉は「国鉄分割・民営化攻撃との攻防に勝利した」という勝利宣言を発することができたのだ。

 第3章 権力と資本に屈服した4者・4団体路線打破を

 国鉄分割・民営化の破産が明らかになればなるほど、支配階級は「国鉄改革は正しかった」と居直り続けるほかにない。
 3月13日に出された鉄道運輸機構訴訟の東京地裁反動判決は、このことをはっきりと示した。判決は、90年4月の国鉄清算事業団による解雇を有効とし、JR採用を拒まれたことによって奪われた賃金相当額の賠償請求は、時効を口実にそのすべてを切り捨てた。
 05年9月15日の鉄建公団訴訟判決や今年1月23日の全動労訴訟判決とは異なる全面棄却判決を下すことで、国家権力は1047名闘争を「ゼロ回答」でたたき伏せるという反動的意志をむき出しにしたのだ。
 そこにあるのは、1047名の団結をことごとく破壊し、それをもってJRの現場労働者の闘いの一切を封じ込めるという敵階級の意志だ。これに対して、被解雇者と現場の労働者が団結を固めて立ち向かえば、敵の攻撃は必ず破産する。
 にもかかわらず、相も変わらぬ「政治解決」「裁判所和解」を追い求めて自ら団結を解体しているのが、動労千葉を排除し、解雇撤回を投げ捨てた4者・4団体にほかならない。
 それは、1047名を塗炭の苦しみに投げ込むばかりか、破産を深めるJRに力を与え、青年労働者をJRのえじきに差し出す裏切りだ。事実、国労本部は3月27日、JR貨物と和解し、7件の紛争案件を取り下げた。しかも国労本部は、その際、JR貨物が打ち出した「ニューストリーム2011」合理化への全面協力を誓っている。
 JR東日本も、こうした屈服を突いて「グループ経営ビジョン2020-挑む-」と題した新経営戦略を打ち出し、「競争に勝てる優位性確保」「コストダウンの徹底」を叫んでいる。4者・4団体路線は、こうした攻撃を後押しするものだ。

 第1章 5・27弾圧被告が先頭に立つ闘い

 4・26尼崎現地闘争は、国労本部の国家権力・JR資本への屈服を突き破り、国労を階級的労働組合として立て直す闘いでもある。尼崎闘争の先頭に立っているのは、国労5・27臨大闘争弾圧の被告たちだ。彼らは、裁判闘争を階級的原則に立脚した闘いとするための新たな挑戦に踏み出す一方、尼崎事故弾劾を軸とする職場闘争の最先頭に立っている。
 この尼崎闘争に、動労千葉が合流する。ここから、新自由主義を打ち破る第2次国鉄決戦の突破口が開かれる。帝国主義は、今や世界恐慌とドル暴落の危機の中でのたうち回っている。労働者の階級的団結と、職場から資本と非和解的に対決する階級的労働運動の実践こそが、この帝国主義を打ち倒す。尼崎事故弾劾の闘いは分割・民営化粉砕の最も激しい攻防点に位置する。青年を先頭に尼崎現地に全国から結集しよう。
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 尼崎事故
 2005年4月25日午前9時18分頃、JR福知山線の塚口駅~尼崎駅間で上り快速電車が脱線・転覆し、死者107人、負傷者562人を出すJR史上最悪の事故となった。戦後の鉄道史においても八高線事故(死者184人、1947年)、三河島事故(同160人、62年)、鶴見事故(同161人、63年)などと並ぶ惨事である。
 事故は半径304㍍の右カーブで発生した。脱線した電車は線路脇の9階建てマンションに激突し、先頭車両は1階駐車場部分に潜り込み、2両目は「く」の字型に折れ曲がった状態で原形をとどめないまでに大破した。
 事故現場は96年12月、福知山線と東西線(京橋駅~尼崎駅、97年3月8日開業)を連結させるために、半径600㍍の緩いカーブから半径304㍍の急カーブに造り変えられていた。(右図参照)
 事故直後から、動労千葉や国労5・27臨大闘争弾圧被告を先頭とする現場労働者は「事故の全責任はJR資本にある!」「極限的なスピードアップと超過密ダイヤこそ原因だ」「魔の急カーブのレールを引きはがし、安全な線路に造り直せ」と声を上げ、反合理化・安全闘争に決起してきた。
 しかしJR西日本資本は、責任を運転士や車掌に押しつけ、「日勤教育は必要」「事故は予見できなかった」などと会社の責任を否定し、完全に居直り続けている。