沖縄県民大会 “我慢はもう限界だ”
週刊『前進』06頁(2337号4面2)(2008/03/31)
沖縄県民大会 "我慢はもう限界だ"
米軍基地撤去訴え6千人
3月23日、北谷町の北谷町球場前広場で開催された「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」は、土砂降りの雨の中、6000人の労働者人民が結集した。同日開催された宮古・石垣の集会があわせて600人。95年10・21の10万人決起とそれへの大反動をのりこえ、昨年9・29県民大会の12万人決起を引き継ぎ発展させる基地撤去までやむことのない沖縄の労働者階級人民の新たな闘いである。
第1章 相次ぐ米軍犯罪に怒り沸騰
雨足が激しくなる中、県民大会が始まった。主催者あいさつに立った大会実行委員長で沖縄県子ども会育成連絡協議会会長の玉寄哲永さんは、「那覇でチラシをまいていたら、少女に安心して暮らせる社会を返してくれと言われた。この沖縄の怒りを日米両政府にぶつけよう。県知事は手ぶらでアメリカに行くのか、県民の声を反映させて行くのか。超党派の県民大会から逃げ出した自民党は足を引っ張っている。許し難い!」。さらに「少女の名前に近い名前を書いた誹謗(ひぼう)チラシを新聞の折り込みにいれるとは許し難い! 少女にはまったく悪意はない、少女をあのような形で辱めるのは犯罪だ!」と断罪。今回の県民大会を「復帰前からの人権の回復を求める闘いを量から質に転換する社会運動の大きな一歩だ」と訴え、「新しいタイプの運動だ。皆さん一緒にまいりましょう」と力強く呼びかけた。
開催地代表として野国昌春北谷町長が発言に立った。野国町長は「ある目的をもって少女に声をかけるならば、その行為自体が犯罪だ。少女になんの落ち度もない。このことを県民全体が認識しないと事件は何度も起こる」と訴えた。続いて東門美津子沖縄市長、翁長雄志那覇市長があいさつした。
小渡ハル子沖縄県婦人連合会会長は、在日米軍基地の75%が集中している沖縄は戦後63年間、県民の人権が侵害されていると訴え、「基地は諸悪の根元だ。基地の存在自体が悪の温床」と断罪した。そして「もう限界です! 私たちの怒りは頂点に達しています。日米両政府と米軍に対して党派を超えてすべての県民が一丸となって声を上げ、強く抗議すべきです」と訴えた。
三宅俊司弁護士は日米地位協定の不平等性を批判し、中山きく青春を語る会代表は、元女子学徒の一人として沖縄戦から命の大切さと平和のありがたさを学んだと語った。「今度こそ我慢の限界として基地から派生する沖縄の人権侵害の問題点を全国民、いや外国にまで訴えよう。行動しなければ現状を黙認することになる」と訴えた。
労働団体を代表して大浜敏夫沖教組委員長が復帰直後に女子中学生が書いた詩を紹介し、今日に至るも何も変わっていない基地の現実を指摘。「沖縄県民は日本政府のいう日本の安全のためにという理由で基地や軍隊と60年以上も共存させられている。基地の撤去を」と訴えた。
金城喜美代那覇市立松島中学校PTA会長は、今回の少女暴行事件に対する署名活動の報告を行い「母の力は大地の力である。母が社会を変える。母が時代を変える。そして母が世界を平和へと変えていくのだ」と結んだ。松田正二北谷町砂辺区長は、北谷町の53%が軍用地だが、砂辺地区に外国人向け住宅が増えて基地は拡張していると指摘し、今回の事件を自分の子や孫のことと思って声を大にして怒ってくださいと訴えた。
第2章 "団結して日米政府と闘おう"
米軍犯罪の被害者の声としてジェーンさん(仮名)が発言に立った。2002年に米海軍横須賀基地の米兵に暴行されて以降の6年間の闘いを語った。彼女は誰でも性犯罪の被害者になることはある、私は悪くないと言い切った。そして「心の傷は永遠に残っている。助けてくれると思った日本の警察からゴミ扱いされ加害者扱いされ、2次被害を受けた」と断罪した。さらに沖縄の由美子ちゃん事件を語り、6歳の彼女は生きている権利があったのに米兵がその権利を奪ったと弾劾し、「沖縄、平和な沖縄、何も悪くない沖縄、何も悪くない私。平和のための行動を進めていきましょう。やっと今日私は一人ではないという気持ちになりました」と語った。
大城節子沖縄県婦人連合会副会長が大会決議案を読み上げ、満場の拍手で採択。山田君子沖縄県老人クラブ連合会副会長が「これ以上基地あるがゆえの事件・事故を許さない決意を日米両政府に示すことができた。基地は招かれざる客だ」と閉会のあいさつ。集会参加者が傘を閉じ、玉寄さんが「こぶしを振り上げ日米両政府を突いていこう」「沖縄県民の人権回復と人権を保障させる社会、さらには地位協定の抜本的な改正を目指して」と力強く団結ガンバローを三唱した。