2008年3月31日

不起立闘争 “都教委は解雇処分するな”根津さん先頭に連日決起

週刊『前進』06頁(2337号1面2)(2008/03/31)
不起立闘争 "都教委は解雇処分するな"
 根津さん先頭に連日決起

 「君が代」強制に反対し不起立を貫く教育労働者・根津公子さんは、「処分」が審議・決定される3月28日の都教委の定例会に向けて、連日の激闘をやりぬいた。
 昨年の卒業式で「停職6カ月」。たとえ今回加重処分で「免職」にされようとも、「君が代強制」という皇民化教育=戦争への道を阻むために、処分攻撃の理不尽さ、不当さを、すべての力をふりしぼりあらゆる手を尽くして訴える。その根津さんの覚悟が、闘いの一切を規定した。
 24日、南大沢学園養護学校卒業式の「君が代」で不起立を貫いた根津さんは、都庁記者クラブで記者会見を開き(記事3面)ただちに都教委を追及する連日行動に立ち上がった。この決起に教育労働者を始め、多くの労働者が年休を取り、勤務を終えた夕方から支援行動に駆けつけた。日を追うごとに、支援者の数は増大した。
 都教委はエレベーターホールに職員・警備員を前面に立てた「人の壁」をつくり、根津さんと支援者を中へ入れさせない態勢。教育長や人事課長への面会を求め、請願や要請書への誠意ある対応・回答を求めても木で鼻をくくったような官僚答弁を繰り返すばかり。人びとの怒りも日に日に増大した。
 26日は根津さんの古巣の町田教組が、都教委に対する「処分をやめろ」との要請行動を委員長を先頭に行った。

 第1章 教育労働者が全国から決起

 都教委の定例会を翌日に控えた27日、やむにやまれぬ思いで労働者・学生・市民100人が都庁に結集し、夕刻から追及行動に詰めかけた。東京を始め、大阪、奈良、三重、神奈川の教育労働者が先頭に立った。関西の教育労働者は「東京都はひどすぎる。必死の思いで要請に来ても中に入れず、『回答しないことが回答』などと平気で言う。他府県の教育委員会の対応はまだましだ!」と怒りの声を上げた。
 根津さんは自らが着けたゼッケンを示し、職員らに対し「これを声を出して読んでごらんなさい」と迫った。「都教委は『君が代』不起立で私をクビにするな。根津公子」と明記してあるが、この単純明快なメッセージから職員は目をそらし口をつぐんだままだ。
 「こんなひどいやり方で首を切るのか。あなたはそれを自分の仕事と誇りをもって言えるの?」
 畳みかけるように根津さんの口から、肺腑(はいふ)をえぐる鋭い問いかけが発せられる。
 またこの日根津さんが傍らのいすに腰かけようとしたところ、職員がいすを引いて根津さんを床に転倒させる事態が起きた。人を人として扱わない都教委の対応に、その場の全員の怒りが爆発した。別の階からエレベーターで逃亡しようとする職員を引きとめて、一人ひとりに追及と説得が行われ、行動は夜の10時半まで続いた。

 第2章 「定例会」内外で怒りの叫び

 28日、いよいよ都教委定例会当日。早朝から都庁を包囲する情宣が根津さんを先頭に行われ、ビラが出勤途中の労働者に次々手渡された。
 午前9時半、20人が定例会の傍聴に入った。「報告事項」では、まず都立高校での「教科『奉仕』の実施状況」が報告されたが、「東京マラソンの運営補助」に大量の高校生の動員を強制している実態などが明らかになった。続いて「卒業式の実施状況」に入ったが、ここでは「日の丸・君が代」強制ぶりだけを得々と語り、「職務命令に違反し起立しない教員がいた。懲戒処分を行う」と臆面(おくめん)もなく言い放った。そして「懲戒処分」の議案は非公開だとして、傍聴者に退出を命じた。
 ふざけるんじゃない!不起立は当然の抵抗であり、40秒のストライキだ! 傍聴者はゼッケン、ボードを掲げ、「根津さんを解雇するな!」「処分を許さないぞ!」の叫びを上げた。教育委員らは狼狽(ろうばい)し、職員・警備員を使って排除にかかるが、テコでも動かない。エレベーターホールでも労働者・支援者がシュプレヒコールを響かせ、会場内外が「根津解雇許さない」の叫びに満たされた。
 「処分やめろ!」「定例会中止しろ!」「石原こそクビだ!」。100人もの支援者の心が怒りでひとつになって、都庁を終日揺るがし続けた。