2008年3月31日

尼崎事故から3年 4・26尼崎現地全国闘争へ

週刊『前進』06頁(2337号2面1)(2008/03/31)
尼崎事故から3年 4・26尼崎現地全国闘争へ
 "闘いなくして安全なし"
 反合・運転保安闘争の爆発で107人を殺したJR体制打倒を

 08年は、分割・民営化以来最大のJR情勢の大激変の年になった。JR体制を根底から覆すべき時がついにやって来たのだ。この中で4月25日、尼崎事故から3年目を迎える。われわれはあらためて、国鉄分割・民営化=新自由主義攻撃の必然的な帰結である尼崎事故弾劾の闘いを、全労働者の正面課題としてとらえ直していかなければならない。1047名解雇撤回闘争と、尼崎事故弾劾=反合・運転保安確立の闘いこそ、第2次国鉄決戦の実践的な基軸だ。


 第1章 尼崎事故は分割・民営化の帰結だ


 05年4月25日にJR福知山線で起きた尼崎事故は、107人の命を一瞬にして奪い去った。1987年の国鉄分割・民営化以降、最悪の事故であり、62年の三河島事故(死者160人)、翌63年の鶴見事故(死者161人)と並ぶ、日本の鉄道史上最大の惨事だ。
 尼崎事故を絶対にあいまいにすることはできない。「尼崎事故とは何だったのか」の階級的原点を、今一度はっきりさせよう。
 ①第一に、国鉄分割・民営化という犯罪的政策、そしてJR西日本資本が107人を殺した!
 ②第二に、政府-国土交通省による民営化、規制緩和政策が107人を殺した!
 ③第三に、JR資本の手先に成り果てた労働組合が107人を殺した!
 尼崎事故が突きだしているものは、新自由主義攻撃と労働者階級は絶対に相いれないということ、つまり<資本と労働者階級の非和解性〉だ。
 尼崎事故によって突き出された問題は、現在に至るも本当に何ひとつ変わっていない。極限的なスピードアップと超過密ダイヤ、恒常的欠員、安全無視と事故隠し、日勤教育を始めとする強権的支配。何よりも許しがたいのは、JR西日本資本が事故責任について完全に開き直っていることだ。昨年2月の尼崎事故公聴会で「日勤教育は有用」などと一貫して居直りに終始したJR西日本資本は、一切の責任を現場労働者に押しつけ、より強権的な労務支配をもって押し切ろうとしている。遺族は「JR西日本は労使一体で腐敗の限りを尽くしている」と弾劾している。尼崎事故問題は、今も激しく燃えている火点なのだ。
 しかも尼崎事故以降の3年間で、JR各社は要員問題、安全問題を始め、鉄道会社としての体をなさないまでに矛盾と破綻(はたん)をさらけ出している。全国のどこで、いつ尼崎事故をも超える大惨事が起こってもおかしくない。闘わなければ国鉄労働者は資本に殺されるのだ。
 「闘いなくして安全なし」の反合・運転保安闘争こそJR資本との闘いの基軸であり、現場の怒りを解き放ち、階級的団結をうち固める闘いだ。そして、1047名解雇撤回闘争は、このJR本体の闘いと一体となってJR資本と非和解的に闘い抜く中で必ず勝利の展望を開くことができる。
 動労千葉、そして5・27臨大闘争弾圧被告を先頭とする現場労働者は、尼崎事故直後から「一切の責任はJRにあり!」と声をあげて決起してきた。動労千葉は、運転士の視点から「スピードアップこそ一切の原因だ」と安全運転闘争に決起、130㌔メートルにわたるレール交換をJR資本に強制してきた。保線労働者は、民営化・規制緩和が生み出した半径304㍍の「魔の急カーブ」を告発し、「レールを引きはがして安全な線路に造り直せ」と要求し、事故現場までのデモを呼びかけている。この闘いを引き継ぎ、闘う労働組合が前面に出て、3年目の尼崎事故弾劾闘争を全国闘争として闘おう。

 第2章 新自由主義攻撃との激突の火点

 日本での新自由主義攻撃の原型は国鉄分割・民営化攻撃にある。一切を市場原理にゆだねる新自由主義がいったい何を引き起こすのか――尼崎事故はこのことを鋭く告発している。
 本州3社(東日本、東海、西日本)の中でも経営基盤の弱かったJR西日本は、最も露骨に競争原理一本槍(やり)で突っ走った。「急げ」「稼げ」「隠せ」という猛烈な利潤追求の経営が行われ、社員は極限的に減らされた。JR西日本の社員数は、民営化時(5万1530人)から、07年4月1日現在(2万9620人)までに実に4割以上も減らされている。
 しかもJR西日本は、競合する私鉄である阪神・阪急・近鉄・南海などから乗客を奪うために線路容量いっぱいの列車を走らせてきた。一人あたりの業務量は倍々ゲームのように増加し、「乾いたタオルから水を絞り出す」(元社長・井手正敬の言)ようなギリギリの強労働が強制された。尼崎事故が起きたJR福知山線の列車本数は事故当時、民営化時の実に4倍にものぼっていた。
 安全の根幹をなす保守部門などが徹底した低コストで外注化され、線路や車両の検査周期の大幅な延伸が強行された。労災、業災死は隠蔽(いんぺい)され続けてきた。
 JR西日本は1分、1秒でも列車を遅らせた運転士を「国鉄改革に敵対する裏切り者」呼ばわりして処分した。乗客にまぎれて運転士を背面から監視し、遅れを出した運転士には「日勤教育」で連日反省文を書かせ、他の労働者の面前で「私はミスを犯しました」と頭を下げさせてさらし者にした。
 民営化・規制緩和とは全労働者にローラーをかけて制圧するような団結破壊、階級性解体の攻撃なのだ。「国鉄改革」「意識改革」のかけ声のもとでJR各社が黒字を競いあい、同じJR会社の中でも支社どうし、職場どうし、そして同じ職場の中ですら労働者どうしが蹴落とし合うような競争があおられてきた。
 このJR資本のやり方に拍車をかけたのが、政府・国土交通省による規制緩和だ。02年には鉄道部門に関する国土交通省令が抜本的に改悪された。「市場原理に委ねられるべきものは市場原理に委ね、国の関与を縮小する」「社会的規制については......必要最小限のものとする」「事前規制を合理化し事後チェックを充実する。鉄道事業者の自主性、主体的判断を尊重できるものとする」(運輸技術審議会答申)という考え方のもとで、細かな規制がどんどん取り払われた。「事故が起きたら、その時に考えればよい」と言わんばかりのやり方で、尼崎事故を引き起こした共犯者が政府・国交省なのだ。
 "死と隣り合わせ"の強労働、人を人とも思わぬJR西日本の強権的労務支配は、資本と一体となって国鉄労働者を強労働に駆り立ててきたJR連合(JR西労組)、JR総連(JR西労)の存在によって初めて成り立ってきた。現場には怒りの声が渦巻き、闘いの方針を要求し続けたにもかかわらず、国労本部もまったく無為無策で破産をさらけ出し、今や完全に政府とJR資本の手先に成り果てている。

 第3章 平成採を先頭に職場から反乱を

 究極の合理化攻撃でもある新自由主義との闘いにおいて、反合・運転保安闘争はより大きな戦略的意義を持ってきている。資本の本質は利潤の追求だ。直接に利潤を生まない安全対策費は削られ、労働は極限まで強化される。だから運転保安の確立、現場労働者への事故責任の転嫁を許さないということは、労使による「安全会議」などでは絶対に実現しない。労働組合の闘いによって当局に強制する以外にいかなる手段もない。
 国鉄戦線に存在してきた協会派、日本共産党、カクマルなども一時期、口先では「合理化反対」と言っていた。だが実践的な反合闘争をなにひとつ組織できず、事故や安全の問題すら当局との取引材料にして団結を破壊してきた。階級的労働運動でなければ反合闘争は闘えないのだ。
 動労千葉の田中康宏委員長は、「反合・運転保安闘争が、動労千葉の原点中の原点」(機関誌『動労千葉』27号)と述べている。鉄道で働く労働者にとって、事故、安全の問題から誰も逃れることはできない。事故を起こしたくて起こす者は誰もいない。しかしどんなに注意しても事故は起きる。そして、ひとたび事故を起こせば運転士は袋だたきにされ、最悪の場合はその場で逮捕されたり、命すら失いかねない。動労千葉は、この現場労働者の怒り、悔しさ、思いにとことん立ちきり、72年船橋事故闘争を闘い抜く中で仲間を守り、反合・運転保安闘争路線を打ち立て、階級的団結をうち固めてきた。
 尼崎事故弾劾の闘いをやり抜くこと――ここに国鉄分割・民営化攻撃との決着、新自由主義との闘い、階級的労働運動路線の全問題が含まれている。合理化絶対反対、運転保安確立の闘いは、破綻を極めるJR体制の"伸びきったアキレス腱(けん)"を突く闘いなのだ。
 この闘いは、新自由主義攻撃を実践的にうち破り、革命に向けた階級的団結をうち固める闘いだ。最末期帝国主義が繰り出してきた新自由主義は、その20年の展開をとおして未曽有の破綻(はたん)をさらけ出している。こんな社会は、もう終わっているのだ。JR体制の矛盾の爆発は、その最も鋭い現れにほかならない。
 われわれは新自由主義―小泉「構造改革」攻撃に対する革命的回答として「労働者階級の階級的団結」「労働運動の力で革命を」の闘いを開始した。この闘いは3・16闘争の大高揚をもって爆発的発展過程に入った。
 その最先頭に立つべきは、平成採を始めとする国鉄労働者だ。JR資本は、民営化体制の矛盾を青年労働者に集中してきた。尼崎事故で殺された高見隆二郎運転士は当時23歳だった。伯備線事故(06年1月)の責任を一人で取らされ有罪判決を受けた労働者(26歳)、羽越線事故時の運転士(当時29歳)・車掌(同23歳)のいずれも平成採の青年だ。職場規律攻撃や日勤教育でがんじがらめに縛り付け、死と隣り合わせの強労働を強いておいて、いざ事故が起こったら全責任を現場に押しつけているのだ。今こそ腹の底からの怒りをJR資本にたたきつけよう。職場から反乱をまき起こし、国鉄分割・民営化攻撃に労働者の側から真の決着を着けてやろうではないか。
 国鉄闘争こそ、日本の労働運動を階級的につくりかえていく結集軸だ。国鉄分割・民営化という戦後最大の労働運動解体攻撃に対してその決着を許さず、20年以上にわたって延々と反対闘争が継続するという事態を敵に強制してきたことは決定的なのだ。今や教労、郵政、自治体を始め、日本中で国鉄分割・民営化と同じ攻撃が全面化している。腐った労組幹部どもを打倒し、闘う労働運動を時代の最前線に登場させよう。その最大の水路こそ第2次国鉄決戦である。
 尼崎事故3カ年弾劾の4・26現地闘争に、階級的労働運動の一層の発展をかけて全国から総結集しよう。