スト突入の前日の10日に組合は会社側にストライキを通告。11日早朝から大衡村工場門前でスト決行を知らせる機関紙『とりで』を配布し、スト突入の体勢に入った。午前10時に専従、退職者、支援が待機している工場門前に、就労している組合員が職場から引き上げ合流した。 大衡村工場門前、そこは資本・権力と闘い、風雨、風雪との闘いをかち抜いてきた現場であり、「一人の首切りも許さない」本山闘争勝利をなんとしても勝ちとることを誓い合ったところだ。また別棟就労に反対して命をかけた佐藤満男さん、闘いの道半ばにして急逝された千田輝行さん、今年3月急逝された菅原徹さんの思いとともに組合員が新たな決意で門をくぐったところでもある。
その門前に結集し、再びストライキ攻防が開始された。組合旗を先頭に長谷武志副委員長がマイクを手に取り、「われわれは34年の闘いの勝利に続き、万感の思いをこめて、09春闘において37年ぶりにストライキに突入した。JAM傘下の仲間、未組織の労働者はともに闘おう!労働者はひとつだ。団結しよう」と怒りみなぎるアジテーションが30分にわたって工場内になり響いた。 全金本山労組の怒りの炎の前に会社側は管理職をなんと26名も動員して、警備体制をとった。組合員の怒りはさらに倍化した。守衛所前の管理職に組合員たちはつぎつぎとつめより、徹底追及を開始した。「シニアの労働条件での契約がいやならやめてもらって結構だ、という労務管理は絶対に許さない! そのような労務政策が本山を倒産寸前の身売りする事態を招いたんだ。責任をとれ! 仕事もしないで組合対策ばかりやっていることは本山一族時代と同じだ!」と、怒りの追及で管理職もうなだれるばかりでなんの迫力もない。正午、断固として管理職と対峙して、堂々と2時間ストライキをうちぬき、昼休みに工場から出てくるJAM労働者に対し、ともに闘うことを訴えて第一波のストライキは勝利的に貫徹された。
ストライキ貫徹は、職場復帰以後の職場闘争第2ステージの一歩
今春闘は、世界大恐慌、戦争か革命かが問われる階級攻防の中で、職場復帰からの本格的闘いの春闘として闘われた。3月からの門前ビラまきマイク情宣から攻防が開始され、会社側は闘いの強化と見てとり、労組に対する態度を一変した。「会社は許可していない」とマイク情宣へ規制を加え、高齢者再雇用での嘱託=フルタイムから、15日勤務のシニア強制などの一方的な労働条件の変更。これに対して労組はスト権を確立し、シニア問題について闘うことを決断した。
会社側は全金本山との団交以前に早々とJAMに定昇のみで妥結させ、98年以来続いている53歳以上の賃下げ分のうち、2000円を回復させるとしてきた。しかしJAMへの賃上げ分と定昇分は10数名のシニア化による賃下げで補うというのだ。賃金で分断し、団結破壊する労務政策は絶対に許せない。これにたいしてJAMは成果としている。おかしいという声がJAMのなかからも出ている。職場からの反乱は不可避な情勢だ。
鬱積する第二組合内の不信、不満を第一組合に組織するストライキとして決断した威力が発揮されるのはこれからだ。「今回は第一波だ。会社との力関係をみせつけて、これからも職場で組織する」と新たな闘いの決意を語る全金本山労組組合員とともに、ともに闘おう。(宮城労組交流センター OK)