天野美恵忍草母の会事務局長の告別式がしめやかに
10月7日正午から10月4日に急逝された天野美恵忍草母の会事務局長の告別式が、シティホール富士吉田でしめやかに、また北富士闘争に生涯を捧げた天野さんの闘いをたたえるにふさわしい内容で行われた。
僧侶の読経に続いてまず忍草入会組合の天野豊徳さんが弔辞を述べた。
豊徳さんは、故天野美恵さんを「姉」と呼び、「昭和22年忍草入会組合結成以来五十有余年の長きにわたり、姉は活動されました。昭和三十五年忍草母の会の骨組みを作り、事務局長として北富士梨ヶ原への入会権の確立、平和利用の最終目的に向かってありとあらゆる手段をもってその目標に挑戦してきたよなあ」と故人に呼びかけた。そして「北富士忍草に母の会あり」とその名を轟かせたすばらしい闘いを確認し、「波瀾万丈に富んだ姉の一代記は一言では言い表せません」とたたえ、「一緒に活動できたことが私の一生のよい思い出です」と述べ、「忍草の夜明けを信じながら、活動の途中であの世へ行った数々の仲間たちに最後までがんばり抜いた忍草の女集団・母の会の生き様、死に様をよーく話してくれ」とはなむけの言葉を贈った。 次に三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長が弔辞を述べた。北原さんは美恵さんの逝去を悼み「もったいないことをしたという一念を感じています」と語った。「三里塚との連帯、命がけで着弾地に座り込んで軍事演習をくいとめた忍草母の会の闘い、さらに全国の基地反対闘争に取り組み闘った姿は、偉大な歴史の証人」と美恵さんの偉業をたたえた。そして「反対同盟は、北富士闘争と三里塚闘争、すべての住民闘争の勝利を必ずや実現する決意であることを御霊前に誓います。それが故人の遺志を引き継ぐ者の使命であると深く肝に銘じるものです」と誓った。
続いて婦人民主クラブ全国協議会代表で相模原市議の西村綾子さんが弔辞を述べた。「数々のゲリラ闘争の先頭に立ち、米軍演習をぶっ止め、米軍にも警察にも大泡を吹かせ、たくましく、粘り強く北富士反戦闘争の勝利を手にしてこられた生き様は、世界に誇る、歴史に深く刻まれる。美恵さんこそ偉大な反戦の母でした」「私たち婦人民主クラブは母の会と共に闘ってきたことを誇りにしています。とりわけ全国協としての再出発をこの北富士で宣言して以来、どれほど教えられてきたか計りしれません」と感謝を述べた。「美恵さん見ていて下さいね。美恵さんが生涯かけて貫いた戦争も差別もない社会の建設、基地を完全になくす悲願を今度こそ実現するために、私たちもがんばります。いつか再び霊峰富士の上でお会いするときまで、感謝を込めてお礼の言葉とします」と弔辞を結んだ。
3人の弔辞を聞きながら参列者は亡き美恵さんの姿をまざまざと思い出し、涙を抑えることができなかった。
最後に遺族が、「皆様が語られたように強い母でしたが、私たち家族にとってはとても優しい母でした。孫も良くかわいがってくれました」と家族愛にあふれた一面を語り、お礼の言葉を述べた。(T)