2009年4月14日18:01

タイでデモ隊がASEAN首脳会議を粉砕

 4月11日タイで、タクシン派による集会・デモが中部パタヤで予定されていた一連のASEAN首脳会議やプラス3(日中韓)などの会議を粉砕した。ASEAN体制を根底から揺るがし、帝国主義支配に打撃を与える決起となった。その後、首都バンコクでの占拠闘争に対する軍の排除行動が行われ、死者が出る事態となっている。大恐慌下、帝国主義の世界支配の大動揺の中で起きたこの事態を、帝国主義打倒、7月サミット粉砕へのバネに転化して闘おう。

 タイで起きている事態の階級的本質、その背景は何か。
 アシピット現政権派は、06年にクーデターによってタクシン首相(当時)を追い出した。この06年軍事クーデターの中心は軍、警察、裁判所などを軸とするいわゆる王党派であり、現枢密院議長を中心としたタクシン登場前の旧支配層である。しかしその後、07年12月の総選挙で再びタクシン派が議会の多数派を形成し、タクシン派政権が誕生する。昨年の首相府占拠・空港占拠などの一連の「民主市民連合」の運動は、これを覆す目的で行われたものである。ちなみに黄色は国王の色だ。そして昨年12月の最高裁判所による与党・国民の力党などへの解散命令によってタクシン派政権は崩壊し、議会内の多数派工作によって現アシピット政権が誕生した。
 アシピット政権は、これで分かるように基本的にクーデター政権である。タクシン派は、北部を軸とした農民層に支持されている(タイ人口6500万人のうち農業人口は3割以上]。2001年に発足したタクシン政権は、農民支配層を金で買収するなどの選挙対策で圧倒的な農村票を組織し、実際にもそれまで病院にもかかれなかった貧困農民に対する医療保証などの改革を行うことで支持を固めた。またIT産業の導入などによってタイの支配層の再編を行い、労働者への大合理化攻撃や民営化攻撃も進めた。そしてタイの支配構造を自らをトップとしたものへと強引に作り変えようとした。それは表現の自由を規制する独裁的な政治手法を駆使したものであって、都市部を中心に人民の怒りを形成した。
 こうして現在のタイ政治は、これまでどおりやって行けない中での新旧支配層の対立と、一方での都市部中間層対北部貧困農民層の対立を内包して進んでいる。だがしかし、日本企業が大量進出しているタイにおける労働者階級は、この対立構造の中で、独自の政治潮流としてはっきりと登場することが未だできていない。
 重要なことは、世界金融大恐慌の爆発のもとで、世界で進む革命情勢の一端が、タイでの新旧支配層の対立抗争の激化と二重権力的事態となって現れていることだ。世界的な経済危機の中、タイでも労働者階級が激しく首を切られ、困窮化が進んでいる。今回のデモ・集会に、生きて行けない労働者が含まれていることは間違いない。だがタイの労働者人民の真の未来は、現政権はいうまでもなく、タクシン派政権の復活によって切り開かれるものでも断じてない。労働者階級が農民とともに、新旧の支配層全体を打倒して自ら権力を握る闘いに決起していくことこそが、タイ人民の解放への未来を開くのだ。
 その上で、帝国主義の国際政治の一環であるASEANプラス3の首脳会議が、その開催に反対する大衆行動によって実際に、完膚なきまでに粉砕され尽くしたことは決定的である。日帝・麻生は、日帝による北朝鮮侵略戦争発動への諸国の屈服と同意の取り付けを狙い、アジアを再び日帝の勢力圏化する野望をもってタイでの会議に乗り込んだが、大破産した。労働者人民の巨大な大衆的実力行動のもつ威力がまざまざと示された。これはタイの人民がタクシンらを乗り越えて進む上でも重要な階級的経験である。そしてそれ以上に全世界の労働者階級にとって、帝国主義サミット粉砕への新たな進撃の号砲だ。これを受け、4月下旬からの闘いに断固突き進もう!

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