ペルーで7000人のデモ隊が地方政府庁舎を占拠
7月9日、ペルーで食糧と燃料の高騰に抗議して全国的なストとデモが闘われた。労働者たちは、政府が医療や教育にもっと資金を投入することも要求した。この闘いは、南部および東部のいくつかの都市では地方政府(県)の建物にデモ隊が突入する暴動的事態にまで発展した。南東部の町プエルトマルドナードでは、7000人のデモ隊が地方政府庁舎に突入・占拠し、公文書やパソコンなどを焼き払った。デモ隊は、阻止しようとした警察部隊を弓矢で攻撃し散々に追い散らしたという。首都リマでも5000人の労働者民衆がデモに参加した(写真)。
ペルーは、中南米諸国の中ではインフレ率の低い国として知られている。一番低いのはエクアドルの2・7%、二番目はメキシコの3・8%、そしてペルーの3・93%だ。反対に、インフレ率が高いのは、ベネズエラ(20・5%)、ボリビア(10・5%)コスタリカ(9・8%)、そしてアルゼンチン(8・5%)と続く(数字はいずれも2007年のもの)。また、ペルーの経済成長は07年で9%、08年は8%の予測と言われ、表面的には中南米諸国のなかでも安定した印象を与えてきた。しかし、そのペルーにおいてスト・デモ・暴動が一気に地方政府を占拠するまでにいたっているのだ。
06年6月、メキシコで革命が起きた。南部のオアハカ州で教育労働者組合を拠点に、APPO(オアハカ諸民族人民会議)が結成され、州政府のほとんどのビル、施設や放送局を占拠し支配した。「人民警察」が首都オアハカ市をはじめ20以上の市町村で「革命的治安」を維持した。APPOは、自らを「コミューン」と呼んだ。パリ・コミューンやロシア革命のソビエトのような、労働者みずからが主体となって社会を動かしていく革命的権力が一時的とはいえ出現したのだ。今回のペルーの事態は、メキシコのオアハカのような闘いが中南米のどの国でも、いつでも爆発する現実性をはっきりと示すものとなった。(は)